第2章 閉ざされる館
乱場の決断は早かった。懐からスマートフォンを取り出すと、「1」「1」「0」の順にディスプレイ上のテンキーをタップする。
「……人が死んでいます。場所は、スキーロッジ深雪。住所は、ええと……」
乱場は、ここの管理人である駒川成一郎の顔を見た。それを察したのだろう、駒川は住所を――震え混じりの声で――口にし、乱場がそれを復唱して通信指令センターの職員に伝えた。乱場はさらに、自分の氏名や、死体の現状についてなど、スマートフォン越しに職員と必要な情報のやり取りを重ねていたが、
「……えっ?」
突然、頓狂な声を上げた。不安そうな面持ちの皆が見守る中、
「……はい。……はい。……もしもし……?」
耳元から端末を離した乱場はディスプレイを確認する。
「どうした? 乱場」
汐見が訊くと、
「電波が……」
「なにっ?」それを聞き、汐見も自分のスマートフォンを取りだすと、「アンテナ、立ってないな」
端末の受信感度を表すマークが表示されるべき箇所は、通信不能を表すそれに取って代わられていた。彼女以外の全員も自分のスマートフォンを確認したが、そのどれもが同じ状態となっていた。
「ここと電波をやり取りできる唯一の基地局のアンテナが、雪で被災してしまったのでしょう」ため息まじりでスマートフォンを懐にしまった駒川が、「一昨年も、同じことがありました」
「こんなタイミングでですか……」小坂井加子は、はあ、と嘆息し、「間一髪だった……」と岸長光宏は汗を拭った。
「それで、乱場くん」と曽根牧央が、「警察とは、何かやりとりを出来ましたか? 通話が途切れる直前、何か驚いたような声を出していたけれど……」
「そうなんです……」乱場は、一同の顔を見回してから、「ここへ繋がる唯一の山道が、雪崩で塞がってしまっているそうです」
その場にいる全員が「えっ?」と驚きの声を上げた。
「ですので」乱場の声は続き、「警察がここへ到着できるのは、どんなに早くとも明後日になるだろうと……」
またしても全員が声を上げた。先ほどと同じ驚きに加え、落胆と絶望の色も混じる悲鳴に近い声だった。
「そ、それじゃあ……」と岸長が両手を広げて、「わ、私たちも、ここから出ることは出来ないと……そういうことに?」
「どうでしょうか、駒川さん」
その答えを乱場は、管理人である駒川に委ねた。
「……はい。麓とこのロッジを繋ぐ道は、皆様をマイクロバスでご案内するときに通った一本きりしかございません。そこが使えないとなりますと……」
「そんな……」
岸長の表情に絶望の色が浮かんだ。
「ヘリコプターは飛ばせないんですか?」
小阪井の質問には、乱場が、
「この周辺は今夜から朝にかけて嵐になるらしく、とてもヘリを飛ばせる天候ではないそうです。時折は晴れ間も見えるでしょうが、なにせ山の天候は変わりやすいですから、不用意にヘリを出すよりは、雪崩を撤去して陸路の復旧を待つほうが現実的だろうと。そもそも、この周辺にはヘリを着陸させられる場所もありませんし……」
乱場のその言葉を聞くと、全員の口からため息が漏れた。
「ですので」乱場の話は続き、「遺体も含めて現場はこのまま保存して、警察の到着を待って欲しいと、そう言われました。そこまでやり取りが出来ただけでも、幸いと言うしかありませんね」
「まじかよ……」
声を漏らすと汐見は、不安そうな顔で体を寄せてきた朝霧の肩に手を乗せた。
数秒ほどの間、その場を沈黙が支配していたが、
「か、確認なんだけど……」と小阪井が、「し……死んでいる……んですよ……ね?」
窺い見るように、ギロチン台に目をやった。
「はい、間違いありません。大瀬さんが……」
乱場も改めて、被害者となった大瀬竜彦の首に視線を向けた。答えを聞くと、小阪井は手で口元を覆い、他の全員も一様に表情を歪ませた。
「そ、そりゃ……あ、あの状態じゃあ……」
岸長も大瀬竜彦の首を横目で見て、小阪井同様に震える声で言う。曽根の、ごくりと唾を飲み込む音が聞こえた。有賀茜は壁に体を預け、体を小さく震わせている。立ち尽くす駒川成一郎は、口を一文字に結んだまま、断頭台を凝視していた。
乱場はギロチンに近づいて、床に転がる頭部と、その周辺の床を見回し始める。
「どうかしたの? 乱場くん」
間中に声をかけられた乱場は、
「いえ――」
「ど……どうするんですか? こ、これから……」
岸長が、誰に訊くともなく声を上げた。
「そうですよ!」と小阪井も、「なに? 何なの? これ」
その声に驚いたのか、曽根は「ひぃっ!」と悲鳴に似た声を発し、壁にもたれかかっていた有賀は、すすり泣きを始めた。
「皆さん、落ち着いて下さい」ギロチンから離れ、駒川たちのもとに戻った乱場は、「警察への通報は済ませています。だから、今の僕たちに出来るのは、現場の状況を維持したまま警察の到着を待つことだけです。そして、到着した警察の手に事件を委ねればいいんです」
「じ……事件……」と小阪井は、「そ、そうですね……これは……事件。だ、だったら……は、犯人が……こ、この中に、い、いるはず……」
ちらと大瀬の首を一瞥してから、乱場を始めとした自分以外の八人の顔を順に見ていった。
「――きゃあっ!」
小阪井と目を合わせた有賀が、悲鳴を上げてしゃがみ込む。
「ま、待って下さい!」
それを皮切りに広がりつつあった、さらなる動揺の波を抑えつけるように、乱場は両手を広げて、
「そ、そうと決まったわけじゃありません!」
「乱場の言うとおりだ」と、そこに汐見も加勢して、「事故や自殺の可能性だって、あるだろ?」
「じ、事故?」「じ、自殺?」
小阪井と有賀は、そろって汐見を見る。
「そ、そうだよ……」二人の視線を浴びつつ、汐見は、「お、大瀬さんだっけ? か、彼は、あのギロチンで遊んでいて、誤って刃を落としてしまった事故かもしれないし、自殺をしたのかもしれない……」
「ギロチンで遊ぶ?」「ギロチンで自殺?」
眉根を寄せる小阪井と有賀に、
「え、ええ」と今度は乱場が助け船を出して、「昼間に資料室を見学したとき、大瀬さん、あのギロチンに興味津々だったじゃないですか。だから、誰も来ない夜にこっそりと遊んでいたのかもしれないですし、元々自殺願望を抱えていて、ギロチンを見たことで実行に移してしまっただけかもしれません。ほら、塞神喜之助の話を、大瀬さんも知っていましたから……」
塞神喜之助。ここ、スキーロッジ“深雪”の建物の以前の所有者であった医師。大瀬の首切り死体が発見された、館の三階の“資料室”は、かつてここが塞神邸、その後“塞神喜之助記念館”となった時代の名残を残す唯一の場所だった。
「そ、そうですよ……」と今度は朝霧が、「それに、大瀬さんは、おひとりでここに泊まりに来たお客ですから、私たち全員とは今日が初対面だったはずですよね。そんな中に、たまたま大瀬さんに対する殺意を持っていた人がいたとは考えられませんし……。私たちがここへ到着してからの数時間で、誰かが殺意が芽生えさせてしまう事態が発生したなんていうことも、ちょっと現実的ではありません……」
乱場たちの説明に納得したのかはわからないが、小阪井と有賀は平静さを取り戻したように見えた。
「とにかく」と胸をなで下ろして乱場は、「ここは、各自いったん部屋に戻って、落ち着いた頃にまた集まることにしましょう。そうですね……今が」乱場は腕時計を確認して、「八時半ですから、三十分後の九時に、また二階の娯楽室に集合するということで、どうですか?」
反対意見を出すものはなく、互いに顔を見合わせてから一同は、それぞれに頷きあった。深いため息をついてから踵を返しかけた岸長に、
「あ、待って下さい」乱場は声をかけて、「全員で行動することにしましょう。みなさん、こんなことが起きてしまって、ひとりになるのは不安でしょうから、極力大勢で行動するべきです」
その意見にも、全員が頷いた。
「では、行きましょう。それと、九時に集合する際にも、僕たちが皆さんの部屋に迎えに行きますから。それまでは決して部屋の外に出ないよう、お願いします」
乱場たちは集団移動しながら、メンバー各自を部屋に送り届けた。乱場はさらに、部屋に入ったらドアと窓に鍵を掛け、九時以降に自分たちが迎えに来るまで、決して誰も中へは入れないようにも指示を出した。死体となった大瀬の部屋の前を通るときには、ドアノブを回して施錠がされていることを確認した。
管理人の駒川が自室へ入り、ドアに施錠する音が聞こえた。残るは、乱場、汐見、朝霧、間中の四人だけ。
「次は、間中先生です」
「それは駄目よ」乱場の言葉に意見した間中は、「生徒を残して、教師が先に部屋に戻るなんて真似、出来るわけないでしょ」
「いえ、僕は、これから現場検証をするつもりですから」
「現場検証?」
「はい。死体と周辺を詳しく調べてみようと思うんです」
「でも、事件は警察に任せるって、乱場くん、言ってたじゃない」
「そうですけれど、警察が来るのは、早くて明後日ですからね、時間が経過しないうちに見ておかないと、失われてしまう情報や痕跡もあると思いますから。もちろん、僕が得た情報は、すべて警察に提出しますし、現場を荒らすようなことはしませんよ」
「……さすがね」
「えっ?」
「さすがは、本郷学園が誇る名探偵」
「そ、そういうんじゃ……」
「先生、知ってるわよ。乱場くん、学校の内外で起きた事件を、いくつも解決してきてるんでしょ。ときには、殺人事件のような凶悪犯罪を相手に、警察の捜査に協力もしたりして」
「ま、まあ……」
「さっきも、凄かったわよね。突然あんな恐ろしい事件に遭遇したっていうのに、てきぱきとみんなに指示を出して」
「え、ええ……。へ、変な言い方ですけれど、慣れてるというか……。じたばたしたって仕方ないですし……」
ふふ、と間中は微笑むと、
「よし、それじゃあ、先生も手伝っちゃう」
「えっ? そんな、先生を巻き込むわけには……」
「なに言ってるの!」
「うっ!」
乱場は間中に背中を叩かれた。そのまま乱場の背中をさすりながら、間中は、
「私、養護教諭だから、医者の真似事だって出来るわよ。例えば……死体の死亡推定時刻を割り出すとか。もちろん本職並にとは行かないけれど、少しは頼りになると思うんだけど」
間中は乱場に向けて片目をつむる。
「そ、それは……」
そのウインクを受けた乱場が、若干頬を染めて視線を逸らしたところに、
「待て待て待て」汐見が二人の間に割って入り、「当然、私も協力するぜ。何と言っても、私は乱場の助手だからな」
と右腕を曲げて作った力こぶを左手で叩いた。
「汐見さん、それだとワトソンというよりは用心棒じゃないですか。乱場さんの正式助手は、この私です」
朝霧は、負けじと胸を張った。
「何を言う朝霧、お前みたいな虚弱体質で探偵の助手が務まるものか」
「汐見さんこそ、何をおっしゃるというのですか。探偵に必要なのは、何を置いても頭脳です。定期試験成績で学年ベスト3圏内から落ちたことのないこの私こそが、乱場さんの助手たり得る人物であることに疑いの余地はありません」
「ベスト3など片腹痛い。私は女子の体力測定でトップに君臨し続けているんだぞ。足りないものを補い合ってこその探偵と助手だろ」
「いいえ、頭脳と頭脳を掛け合わせて、さらなる高みを目指すべきです」
「まあまあ……」
見かねた乱場が、二人をなだめに入った。
「ふふ」と間中は目を細めて、「仲がいいのね、三人とも」
「間中先生、誤解のなきよう」投げかけられた言葉に朝霧が反応し、「仲睦まじいのは、私と乱場さんの関係だけであって、汐見さんは蚊帳の外ですから」
と乱場の左腕を抱え込む。すると、
「あっ! お前!」汐見も負けじと反対側から乱場の右腕を取り、「アウト・オブ・カヤなのは朝霧のほうだ。死体を見てもびびらず、たじろがず現場検証を行える、私のような強者じゃないと、百戦錬磨の乱場のワトソンは務まらん」
「ちょ、ちょっと、お二人とも……」
先輩女子たちから左右に腕を引かれ、乱場は困惑する。その様子を微笑ましく見ていた間中は、
「ふふ、じゃあ、私も乱場くんのワトソンに立候補しようかな。オリジナルのワトソンって、医者だったんでしょ」
「あっ、それは駄目です」
「定員オーバーです」
間中の申し出を、汐見と朝霧は同時に拒絶した。
「ま、まあまあ……」と乱場は、左右から挟み込んでくる二人の手をやんわりと振り払って、「今はそんな言い合いをしている場合じゃないですよ。そ、それじゃあ、とにかく、みんなで一緒に現場まで行くことにしましょう」
この提案に汐見と朝霧も、仕方がない、と矛を収め、四人は現場である三階の資料室を目指した。
「ひとりの探偵に助手が三人もいるだなんて、随分と大所帯ね」
間中が自分以外の三人を見回した。
「そうですね。こうなったら、何か名前を付けるか? “乱場軍”とか」
汐見が言うと、
「それじゃプロレスのユニット名じゃないですか。こういう場合は普通、“少年探偵団”とか、“ベーカー街特務隊”に準じたネーミングが先に出てきません?」
朝霧は、はあ、とため息をついた。
※プロレスのユニット
ひとつのプロレス団体であっても、その中は複数の勢力で区分けがされていることが普通であり、その勢力同士の抗争がプロレスの大きな魅力のひとつとなっている。そういった、ひと昔前は“軍団”などと呼ばれていた団体内組織のことを、昨今では“ユニット”と呼ぶ。