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第31章 犯人の思惑

「……どうぞ」


 (らん)()が手を向けると、岸長(きしなが)は、「それじゃあ……」と居住まいを正してから、


「乱場くんの推理では、犯人――つまり、君の言うところの私――が、ギロチンの刃の重量である66キロに足りない自身の体重を補うために、給湯室の水タンクを利用した、ということだけれども、それだって、資料室から娯楽室に侵入した行為と同じように、私がやったとは断言できないよね。正確には、私以外のもの――曽根(そね)さんにも、それは出来たはずだ。

 ――おっと、乱場くんの、そして、みんなの言いたいことは分かる。そもそも70キロの体重を持ち、自分自身の体だけでギロチンの刃の重量66キロをすでに超過している曽根さんには、わざわざタンクを身につけて加重する必要なんて、これっぽっちもない、そう言いたいんだろう。でも、やる必要がない、イコール、絶対にやらなかった、ということにはならないはずだ。確かに、すでに66キロオーバーの体重である曽根さんが、わざわざ水タンクなんて余計なウエイトを抱え込む必要はない。でも……()()()()はなくても、()()()()なら、あるんじゃないか?」

「どういう意味でしょう」

「とぼけるなよ。君も名探偵と呼ばれる人種なら、とっくに気が付いてるはずだ。このことに触れられないよう、やり過ごすつもりだったのか? 曽根さんが、わざわざ必要もない水タンクを抱える理由、それは、ずばり、“自分以外の人間に容疑を着せるため”さ。つまり、現場に残された手がかりから、探偵が、“予備の水タンクをウエイトとして使った”という推理を組み立てることを期待したということだよ。そうなれば自然、生身のままでギロチンの刃を引き上げることの出来る人間――つまり犯人――は、その時点でうまうまと容疑圏外に逃れられるという寸法さ。

 乱場くんが言った、夜中にポンプを作動させることは当然として、タンクを満たす水を確保するために外から雪をかき集めることも、曽根さんに出来なかったという根拠はない。確かに曽根さんの部屋は二階だから、窓から出入りして雪を集めることは難しいだろう。でも、一階へ下りて玄関なり裏口からなり屋外へ出ることは可能だ。乱場くんは、ポンプの音で目を覚ました誰かが部屋から出てくることを警戒したから、犯人も部屋に閉じこもったまま雪を集めたんだろう、と言ったけれど、その推理にしたって、満タンにしたタンクを給湯室へ戻すため、結局犯人は自室を出ているわけだ。ポンプの音が鳴ってからある程度時間が経過したことで、もう安全だと、そう犯人が判断したからだよね。だったら、曽根さんもそのタイミングまで待って、そののちに外へ出たのかもしれない。5リットルの水の分量の雪を集める作業なんて、何時間もかかるものじゃないだろうからね。ポンプの音がしたのは、深夜一時だそうだけれど、それから朝になってみんなが起床するまで、たっぷり五時間以上はある。十分猶予はあるよ」


 一気に言い終えた岸長は、ふう、と小さく息を吐いた。それを黙って聞いていた乱場は、


「そうですね。確かに、岸長さんの言い分はもっともです。でも……」

「でも?」


 訊き返す岸長の目を、じっと見つめて乱場は、


「仮に……仮にですが、今の岸長さんのお話――つまり、犯人は実は曽根さんで、探偵――僕ですね――が、犯人の残したニセの手がかりに引っかかって犯人像を誤認してしまい、結果、体重66キロ未満の人間を犯人だと思い込んでしまう。それを期待していたとしましょう。でも、それは、やっぱり変ですよ」

「変って、何がだい?」

「曽根さん犯人説が成立するためには、まず、僕が曽根さんの仕掛けたニセの手がかりに引っかからないと、ようは、ニセの手がかりを発見できないと上手くないわけです。逆に言えば、犯人は、僕が必ずそのニセの手がかりを発見するよう、そう仕向けるはずです。今回の場合、そのニセの手がかりというのは、給湯室の予備の水タンクですね。でもですね、今回、僕がこの水タンクが重要な手がかりになる、と気づけたのは、先ほども言いましたが、本当に偶然からだったんです。今日の最後の現場検証で、同行した汐見さんが給湯室のウォーターサーバーから水を飲んで、そのときセットされていたタンクがたまたま水切れ直前で、その場でタンクを交換して、その水を飲んだ汐見さんが味の違いに気が付いた、からこそです。さらに、『水の味が違う』と言った汐見さんの言葉を確認するため、僕たちも続けて水を飲んだことで、タンク内に混入していた()(さか)()さんのイヤリングがサーバーポンプで吸い上げられた。だからこそ、僕は、その水タンクが怪しい、と気付くことが出来たわけです。どうですか、この手順、犯人が仕掛けたにしては胡乱すぎるとは思いませんか。

 もし、犯人が曽根さんで、水タンクを犯人が現場を脱出するためのアイテムとして使ったのだと僕に必ず気付いてほしい、と考えた場合、もっとましな手段を取ると思うんです」

「ましな手段って?」

「簡単なことです。犯人は――本来不要な――水タンクを持って娯楽室に侵入した直後、タンクをそのまま娯楽室に残しておくなり、窓の下のわずかな地面に投下するなりすればいいんですよ。そうすれば、“どうしてこんなところに水タンクがあるのだろう?”って僕は疑問に思い、駒川(こまがわ)さんが、“それは資料室に隣接した給湯室で使われているウォーターサーバーの予備の水タンクだ”と証言してくれます。そうなったらもう、犯人にとってはしめたものです。“どうして給湯室の水タンクがこんなところに?”から、“これは犯人を示す手がかりだ”を経て、“このタンクは犯人がウエイトとして使用したものだ”という結論になり、“すなわち犯人はギロチンの刃の重量に満たない体重の人間だ”という推理結果に帰結するのは時間の問題です。

 仮に、犯人が犯行後に、タンクの中身を空にして、いったん持ち帰ったのは、娯楽室や外の目立つところにタンクを放置してしまうというのは、ヒントの出し方としてあからさますぎる――今どき、こんな分かりやすすぎるニセの手がかりに引っかかる探偵はいない――と考えたからだった、としましょう。であれば、犯人は、ニセの手がかりに探偵の目を向けるための好機が目の前にあるというのに、それをみすみす見逃してしまった、ということになります」

「……その好機というのは?」

「昨日の解散前、僕が駒川さんに、現場検証の手伝いをして欲しい、と頼んだことですよ。あれは、犯人――仮想犯人である曽根さん――にとっては、大チャンスだったはずです。このまま犯人が何もせず、探偵――僕を給湯室に行かせられれば、ニセの手がかりを、とても自然な形で提示することが出来ていたはずです。

 その、自然なニセの手がかりの提示のされかたというのは、こうです。“現場検証の際、駒川さんが『サーバーの予備タンクがひとつなくなっている』と証言してくれる”。……どうですか、これは、大変自然な手がかりの発見例だとは思いませんか。水タンクが、娯楽室や窓の外に“ある”のではなく、あるべき場所に“ない”ことで、それが重要な手がかりだと探偵に認知される。いかにも、現代の探偵術らしい手がかりの獲得方法じゃありませんか。こんな千載一遇のチャンスを、犯人が見逃すはずがないと僕は思うんです。

 なのに、実際は違いました。ウエイトとして使用された水タンクは、見た目上ほぼ完璧に原状回復されていました。この、犯人がタンクの原状回復に費やした労力には、涙ぐましいとさえ思えるほどの執拗さがあります。“絶対にこのタンクに着目してほしくない”という犯人の思惑がにじみ出ています。“ニセの手がかりであるタンクに絶対に気付いてほしい”、という仮想犯人の思惑とは、まったく相反するものです。

 しつこいようですが、犯人が曽根さん――体重が66キロ以上の人間で、水タンクがニセの手がかりであった場合、犯人は、探偵に絶対にこのニセの手がかりに気付いてもらわないといけないというのに」


 今度は、乱場のほうが、ふう、と小さく息を吐いた。そのまま、対する岸長の目を見るが、その双眸には、まだ降参したような色は滲んでいない。それを証明するかのように、岸長が再び反撃を開始した。


「乱場くん、君は、予備の水タンクの中に小坂井さんのイヤリングが混入していたのは、純粋なアクシデントだった、と言っているけれど、本当にそう言い切れるのかい?」

「……どういうことでしょう」

「どうもこうもないだろう、“小坂井さんのイヤリングは、偶然タンクに混入したものではない。それさえも、犯人の思惑の一部だった”。その可能性も消しきれないと、私は思うけれど」

「……例えば、犯人は昨日の昼間に、たまたま小坂井さんがなくしたイヤリングを発見したけれど、“これは何かに使える”、と判断して持っていたものだった。そして、いざ、犯行のときを迎えて、“拾ったイヤリングをタンクに入れておこう。探偵はこれが偶然混入したものだと判断して、推理の方向に見誤るはずだ”と」

「そうだよ。小坂井さんがなくしたイヤリングを犯人が偶然拾う。そんな偶然はあり得ないと一蹴するかい? でも、犯人がかき集めた雪の中にイヤリングが混じっていた、という説と、偶然の度合いではそう代わり映えはしないと、私は思うけれどもね」

「確かに、そうかもしれません。でもですね、そもそも、犯人が定滑車のアクロバットをやって、窓から娯楽室に侵入したのは、完全なアクシデントだったわけですよ。犯行――(おお)()さんの殺害――を終えて、現場を立ち去ろうとしたとき、たまたま階段の下に()(なか)先生がいたため、やむなく窓から脱出したというだけですよ。そんなアクシデントに襲われることを予見して、つまり、予備の水タンクが“ニセの手がかり”として機能するということを予測して、拾ったイヤリングを後生大事に所持していたとは、とても思えません。小坂井さんがイヤリングをなくしてしまったということは、宿泊客全員が知っていたことなのですから、もしも犯人がイヤリングを拾ったのであれば、そこは小坂井さんに返すのが当たり前なのではないでしょうか。もしかしたら、イヤリングを拾うところを誰かに目撃されていないとも限りません。犯人は、自分が犯人である、ということを決して誰にも気取られもせずに過ごしきりたいと思っていたはずです。“李下に冠を正さず”じゃないですけれど、いたずらに不審を招くような言動は慎むべきだと肝に命じているはずですからね、犯人は。

 それでも、もし、イヤリングを拾ったのは犯人で、それをニセの手がかりの一環として使った――水タンクの中に故意に入れた――のだとしたら、だったら犯人は、やっぱり、そのことを探偵――僕に気付いてもらわないといけないわけですよ。さっきの話の繰り返しになりますよね。“探偵に気付いてもらえないニセの手がかりに意味はない”。このイヤリングの混入が犯人の仕掛けたものだったとしたならば、犯人は、それを僕に気付かせないといけないわけです。何とかして、普段なら用事のない給湯室の、サーバーの水を飲んでもらわないといけないわけです。このことについて、曽根さんが何か僕に対して導線を引きましたか。いえ、何もしていません。まったく何も。給湯室に行くよう、そこのサーバーの水を飲むよう仕向けるだとか、そういったことは一切、何も。だから僕は、予備タンクの中にイヤリングが混入していたことは――犯人自身も与り知らない――完全な偶然だったと判断して、犯人は岸長さん以外にあり得ないと、そう結論づけたわけです」


 喋り終えた乱場は、小さく息を吐いた。それを黙って聞いていた岸長は、


「それにしたって……」数秒の沈黙を破ると、「傍証でしかない。そういう考え方も出来る。いや、自分を追い詰めるわけじゃないけれど、常識的にそう考えるのが妥当、ということでしかない。それを持って、完全な証拠となるわけじゃあ、ない」

「“推定無罪の原則”というわけですか。でも、証拠というのは、何も物的なものに限るわけではありません。信憑性のある証言も、立派に証拠として通用します」

「なに? 証言?」

「はい。もし、岸長さんが、犯人しか知り得ない、あるいは、犯人の立場でしか言い得ない証言をしていた場合、それが証拠として適用されると思いますが」

「だろうね」

「だったら、やっぱり犯人は岸長さんです」

「私が……何を言った?」

「話を少し戻します。先ほど僕は、“深夜にポンプの作動音を聞いた”ということを、複数の人から証言してもらった、と言いました。正確に言うと、朝霧(あさぎり)さん、(あり)()さん、そして、岸長さん、この三名です」

「ああ、確かに私はそう証言した」

「音を聞いたのは、自室でですよね」

「そうだよ。その音で目を覚まされたけれど、すぐにまた寝たよ。でも、それが何だというんだい? 夜中――深夜一時頃だということだが――に何者かがポンプを一瞬だけ作動させたというのは、間違いのないことなんだろう?」

「はい。三名もの証言があれば」

「それが?」

「ちょっと待って下さい。ここで、もうひとり、証言の確認をしたい人がいます……駒川さん」

「――はい?」


 急に名前を呼ばれた駒川は、びくりと体を震わせた。その駒川に視線を転じた乱場は、


「僕との聞き取りで証言してくれたことを、もう一度ここで確認させて下さい」

「何なりと……」

「駒川さんは、夜中に目を覚まして――ああ、これはポンプの音が原因ではありません、それよりももっと前の時間です――手洗いに行き、そのまま自室には戻らず、ロビーの掃除をした、とおっしゃっていましたね」

「はい、間違いございません」

「その時間を、もう一度証言してもらえますか」

「承知いたしました。目を覚ましたのは、深夜零時五十分頃で、ロビーの掃除を終えたのが、一時頃のことでございます」

「その間、何か音を耳にしたということは?」

「ありません。静かな夜でした」

「何も?」

「ええ」

()()()()()も?」

「はい」


 駒川が答えた瞬間、岸長の顔色に初めて異変が生じた。


「僕が何を言いたいのか、察してくれましたね、岸長さん」


 乱場に目を向けられて、視線を逸らしたのも初めてだった。乱場のほうは、なおも岸長を見つめ続けて、


「ロビーと岸長さんの部屋は、ポンプのある厨房からの距離はほぼ同じです。そして、ポンプの音がしたのは、深夜一時である、と有賀さんが証言しています。その、深夜一時、駒川さんはロビーに、岸長さんは自室に、それぞれいました。なのに、一方はポンプの音が聞こえた、と証言して、もう一方は、何も聞こえなかった、と証言したというのは、どういうことなのでしょう。どちらも、ポンプからの距離は同等だったというのに。しかもですよ、距離的には同等でも、ロビーと岸長さんの部屋とでは、物的条件が異なります。岸長さんの部屋と厨房との間には、部屋のドアという障壁がありますが、ロビーにはありません。つまり、厨房でポンプが稼働したのであれば、よりその音が聞こえる条件がよいのは、圧倒的にロビーのほうなわけです。だというのに、ロビーにいた駒川さんは『聞こえなかった』と言い、部屋にいた岸長さんのほうは『聞こえた』と証言しています。

 岸長さん、あなたは確かに、深夜一時にポンプの音を聞きました。でも、それを聞いたのは自室で寝ているときではありません。ウエイト使用したあと中身を捨てて空にした水タンクを再び水で満タンにしようと、厨房でポンプを動かした、そのときにです。岸長さんは、予想以上の音量に驚き、すぐにポンプの使用を断念しましたが、そのときに聞いた音が余りに大きく――なにせ、ポンプのすぐ前で聞いたわけですからね――印象に残ったため、“この音はロッジ内に響き渡ったに違いない”と思い込み、“これは証言に使える。というよりも、このことを黙っているのはむしろ不自然なのでは”と思ってしまったのでしょう。結果、“聞こえるはずのない場所で、聞こえたはずのない音を耳にした”という、おかしな証言をする羽目になってしまったわけです

 いかがですか。この証言が真実かどうかを確かめるのは簡単です。誰かひとり厨房にいてもらい、他のみんなが岸長さんの部屋に入って、実際にポンプを動かしてみればいいだけです。やってみますか?」


 岸長の表情が、その必要はない、と訴えていた。

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