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第25章 駒川の聴取

 ノックの音がした。どうぞ、と招じ入れる乱場の声が終わると、ゆっくりとドアが開かれる。敷居の向こうで一礼してから部屋に足を踏み入れてきたのは、最後の聞き取り相手である駒川(こまがわ)だった。思わず(らん)()も立ち上がって頭を下げる。それにさらに一礼を返してから、「失礼します」と駒川は斜向かいの席に着座した。


「食堂に戻られた皆さまは、最初よりもだいぶ緩やかな表情をなさっていました」


 駒川が言うと、


「そうですか」


 乱場は笑顔になった。


「乱場さまとの聞き取りで、恐らく、事件に関わることだけではなく、何気ない日常会話もなさって緊張がほぐれたのだろうと察しました。そういった、よ――関係者に対しての配慮など、さすが名探偵と感服いたします」


 駒川はゆっくりと腰を折る。今ほど彼は、関係者のことを「容疑者」と言いかけたのだろう。それでは言葉が強すぎると思ったのかもしれない。そして、自分もその「容疑者」の圏内にいることを自覚しているというのは、穏やかな中にも若干の緊張を含ませたその面持ちで判断できる。


「駒川さんは」乱場が会話を切り出した。「お勤めを定年退職されて、今はこのロッジのお仕事だけをされていらっしゃるんですよね」

「はい。私、定年後も属託として働かないかと、退職した会社に誘われたのですが、老体に鞭打ってあんな激務をこなすのはもう無理だ、と断りまして、このロッジの管理人の仕事が募集されているのを知り、応募して採用していただいたのです」

「前は、どんなお仕事を?」

「小さなメーカーの営業職でした」

「福島県の?」

「いえ、東京です」

「では、こちらにはご実家が?」

「はい。属託を断ったのも、もう都会の生活に疲れ果てて、疲弊しきっていたという事情もありましたもので」

「そうだったんですか。駒川さんって、あんまり営業職ってイメージありませんけれど」

「さようですか」

「ええ、泰然としていて、あまりお客さん相手にがつがつ行くタイプじゃないなって感じていたもので」

「営業にも、それぞれスタイルがございますから。これでも、営業としては結構よい成績だったのですよ」

「それなら、会社は引き留めたくなるでしょうね」

「退職の挨拶で客先を廻った際には、『駒川がいなくなるなら、もうそちらとは取引しない』などと、半分冗談でおっしゃられるお客様もいらっしゃいました」

「それでも、引退の決意は固かった」

「はい、私の後任の営業は大変だったと思いますよ。一時的に会社の売上も下がったかも知れません」

「会社のことがご心配にはならなかったんですか?」

「いえ、全然、むしろ、いい気味でした」

「あはは、何ですか、それ」


 乱場が笑うと、釣られたように駒川も微笑を浮かべて、


「私の緊張もほぐれてきましたので、そろそろ事件についての聞き取りを始められますか?」

「あ、そ、それじゃあ、お願いします。駒川さんには、かないませんね……」頭をかいてから、乱場は、「では、常套句の質問をします。僕たち宿泊客がここへ来てから、何か気になったこと、変わったことなど、ありませんでしたか?」

「事件に関係ないと思われることでも、ですね」

「そうです、そうです。あと、駒川さんはバスで僕たちをピックアップしてくれましたので、その車内での出来事でも、何かあれば」

「そうですね……」駒川は、豊かな口髭をたくわえた口元を結び、記憶を探るように視線を下げ、「……申し訳ございません。特に、提供に値するような出来事など、なかったかと」

「そうですか」乱場は、落胆した表情も見せず、「ところで、昨夜は、よく眠られましたか?」

「昨夜でございますか? ああ、いえ、それが……」

「夜中に目が覚めるようなことが?」

「よくお分かりになりましたね。そうなんです、私、事件のことで気が張っていたのか、夜中に目を覚ましてしまいまして。普段は眠りは深いほうなのですが」

「その、目が覚めたきっかけというのは?」

「いえ、特にきっかけなどはございませんでした。ただ自然に目が覚めてしまったという」

「……そうなんですか。何かの音を聞いたとか、そういうわけではなく?」

「ええ。音が、何か問題なのでしょうか」

「いえ、続けて下さい」

「はい。それで、目が覚めたついでに手洗いに行こうと思い、部屋を出たんです」

「それは、何時頃のことだったか、お分かりですか?」

「恐らく、零時五十分くらいだったかと」

「時計で確認したのですか?」

「ああ、いえ、目が覚めて、部屋を出る際はいっさい時間の確認はしなかったのですが、そのあとのことから逆算しまして」

「ああ、話の腰を折ってすみません、続けて下さい」

「いえ。で、用を足して部屋へ戻ろうかと思ったのですが、私、夜の日課にしているロビーの清掃を怠っていたことを思い出しまして。事件のことがあって気が動転していたのでしょう」

「ああ、ここのトイレは、フロントとロビーのすぐそばにありますものね」

「ええ、ソファがずれているのが目について、そうなったら、もう手を付けずにはいられませんで、かれこれ十五分くらいは、掃除と整理をしていたでしょうか。最後に、掛け時計が曲がっていたのを直しまして、そのときに見た時刻が、一時五分を少し回ったところだったのです」

「なるほど、だから、逆算すれば、駒川さんが目を覚まして部屋を出たのは、零時五十分」

「そういうことでございます」

「その、ロビーの整理をしているあいだ、何か気になったことなど、ありませんでしたか?」

「……いえ、特には、何も」


 駒川は首を横に振った。


「掃除や整理の作業に関わることじゃなくてもいいのですが、例えば、何か物音が聞こえたですとか」

「そういったことはなかったかと思います。なにぶん深夜のことですから、私も、なるべく音を立てないように静かに掃除をしていましたが……」

「……そうですか」

「それが、事件の手がかりとなるのですか?」

「いえ、そうと決まったわけではないのですが……」


 ()(さか)()曽根(そね)に対してもだったが、ここで、“ポンプの作動音を聞かなかったか?”と訊くことは簡単だ。だが、その情報を知り得ていることの有無が、犯人特定の決め手にならないとも限らない。「知らない」と証言している人に、あえてそのことを吹き込むのは、現段階では避けたほうがいいと乱場は思っていた。


「それにしても」と駒川は、「乱場さまは、高校生でいらっしゃるのですよね」

「はい、二年です」

「その若さで、もうひとかどの名探偵として活躍されているとは、感服いたします」

「そんなこと言わないで下さいよ。僕なんて、まだまだひよっこですよ」

「私の若い頃などは、名探偵といえば、壮年以上世代の男性がほとんどでした」

「それは、今もあまり変わっていないんじゃないですか?」

「分母が違いますよ。今は、昔に比べて若年齢や女性の探偵も増えましたから、必然、壮年以上の男性が占める割合は縮小していると感じます」

「確かに、探偵に限らず、あらゆるジャンルで若い世代の台頭が目立ってきていますね」

「少子高齢化の世の中で、人数が少ないはずの世代から、こうも才能を持った若者が次々と出てくるという昨今の現象は、人間は進化しているのだということを、まざまざと感じさせられます」

「大げさじゃないですか?」

「いえ、私も現役時代に痛感いたしましたから。今の若い世代の人たちは、我々世代が十年かけて会得したことを一年でやってのけてしまいます。一年かけたものなら、一箇月です。恐ろしいまでの飲み込みの早さですよ」

「環境の違いもあると思います。昔は手動でやっていた作業も、パソコンやスマートフォンなどを使えば一瞬で出来たりしますし。それに、若い世代は、先人たちが何もない場所で一から生み出した資産を最初から使えるというアドバンテージも持っていますから。探偵に置き換えてみれば、過去に幾度も起きた不可能犯罪と、それを解決してきた先輩方のアーカイブがすでにあるので、事件が起きた際に、どこに目を付ければいいのか、何に注意したらいいのかということを直感的に判断できますし、犯人が仕掛けるトリックの可能性なども、アーカイブ形式で、ある程度は瞬時に取捨選択が可能です」

「しかし、それは、犯人側にも同じことが言えますね。これだけの不可能犯罪アーカイブが構築されていれば、生半可なトリックなんて、すぐに探偵に見抜かれてしまうでしょう」

「でも、そういったアーカイブに頼る捜査方針は、ある意味危険だと僕は思っているんです」

「どういうことでしょう?」

「例えば、どこかで密室殺人事件が起きたとして、恐らく、現場状況や遺留品、手がかりなどから鑑みて、アーカイブでトリックを絞り込むことは可能です。『物理的なトリックは出尽くした』とは、この業界で何十年も前から言われ続けていることですからね。でも、今の不可能犯罪というものは、そこで――トリックを見破ったから――終わり、というものではありません。幾多の方法がある中で、どうしてそのトリックを選択、実行したのか。そのトリックを実行可能だったのは、どういう条件下にいた人物だったのか。そこまで推理を広げていかないと、犯人に辿り着くのは容易ではありません、そういった、個々の現場条件や人間心理は、アーカイブ化できる類いのものではありませんからね」

「なるほど。探偵に必要なのは、知識ではなく知恵、ということになりますね」

「おっしゃるとおりです。犯人だって馬鹿じゃありません。過去に同じような不可能犯罪が、先達の名犯人たち――という言い方が適切かは分かりませんが――の手によって起こされているんです。同じことをやったって、アーカイブ検索されてすぐに見破られてしまうのは当たり前です。だから犯人は、意識しようとしまいと、アーカイブ化されない場所、『こんな状況で犯罪を犯したのは自分だけだ』あるいは、『こんな自分の心理を他人に悟られるはずがない』というパーソナルな部分に、自身の犯行のよすがを求めるんだと思うんです」

「なるほど。ここまで不可能犯罪が頻発して、そのほとんどが名探偵によって犯行を暴かれ、犯人が逮捕されているというのに、未だに不可能犯罪を犯す人が絶えない事情が、理解できたような気がします」

「すみません、関係のない話をしてしまって」

「いえ、大変興味深いお話でした。ありがとうございます」


 駒川が一礼したのを機に、聞き取りは終了となった。

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