表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
27/39

第23章 曽根の聴取

 窓枠に手をかけ、景色を眺めていた(らん)()は、ふと視線を上げる。頭上にはロッジ三階の窓が見える。顔を出し、上階に並ぶ窓を眺めていた乱場は、


「――な、何をしてるんですか!」

「あっ! 曽根(そね)さん!」

「早まってはいけません!」

「ち――違!」


 入室してくるなり、駆け足で飛び込んできた曽根のタックルを受け、窓枠にしたたか腰を打ち付けた。


「ぐふっ!」

「乱場くん! 気を確かに!」


 さらに押しつけてくる曽根の体と窓枠の角とに挟まれ、乱場は声なき悲鳴を上げた。



「いや、すみませんでした……」平身低頭して曽根は、「私はてっきり、乱場くんが身投げをしようとしているのかと……」


 斜向かいに座る乱場に向けて、詫びの言葉を口にした。


「い、いえ……ぼ、僕も悪かったんですから……」テーブルに突っ伏して腰をさすっていた乱場は、「もう、だいぶ痛みも引きました……」そう言いながら上体を起こすと、「……どうかされましたか?」


 と声をかけた。曽根が俯き、哀しそうな表情をしていたためだった。


「ああ、いえ……」顔を上げた曽根は、「昔のことを思い出してしまって」

「昔のこと?」

「実は……会社の同僚に死なれたことがあって」

「えっ? 『死なれた』ということは?」」

「はい。自殺でした。もう五年くらい前のことなんですけれど……」

「そうだったんですか、それで」

「ええ、乱場くんのことを見て勘違いしてしまったのは、それが原因です。会社が入っているビルの屋上から……」

「つらいことを思い出させてしまって、申し訳ありません」

「そんな。乱場くんに全然責任はないじゃありませんか」


 曽根は顔の前で何度も手を振った。


「……もし、差し支えなければ、詳しく聞かせていただけませんか?」

「同僚の自殺のことをですか?」

「はい。無理にとは言いませんし、今度の事件に関係があるとも思えませんけれど、参考までにと」

「構いませんよ」居住まいを正して、曽根は、「私が建設会社に勤めているというのは、お話しましたよね」

「ええ」

「うちの会社では、仕事のほとんどが土木公共工事の受注で成り立っているんです」

「道路や、橋なんかの工事ですね」

「そうです、そうです。で、そういった工事というのは、施工の段階ごとに状況を写真撮影して、工事の発注者――国とか都道府県の機関ですね――に提出しなければならない、という決まりがあるんですよ」

「そうなんですか」

「ええ。施工ミスや不正を防止するためです」

「ああ、なるほど、完成したら外からは見えなくなってしまう部分もあるからですね」

「さすが乱場くん、察しが早い。それで……私の同僚が自殺してしまった原因というのが、その工事写真だったんです」

「写真を撮り忘れたとか、そういうことですか?」

「もっと悪かったんです。……写真の……捏造です。しかるべき段階での写真撮影を忘れてしまったその同僚は、過去に似たような工事で撮影された中から、使えそうな写真をピックアップして、それを現在の工事の写真だと偽って提出してしまったんです。でも、そのことが発覚してしまい……」

「その責任を問われて、命を絶ってしまった?」

「ただ写真の捏造がばれただけであれば、そこまでしなかったと思います。捏造が発覚した過程が問題だったんです」

「どういうことでしょう?」

「内部告発だったんです。会社の人間が元請けに密告したことで、写真の捏造は明るみに出たんです。その密告をした人間というのが、自殺したやつと入社以来ずっと仲良くなってきた同期だったらしいのです」

「そんなことが」

「実際、捏造が発覚して、上司から叱責を受け、減俸などの処分が言い渡されたときは、さすがに落ち込んではいましたけれど、普通に出社してきてはいたんです――当然、担当していた現場からは外されましたけれど――でも、それから一週間ほど経って、内部告発者が誰々らしいという噂が社内に流れ始めて、それがあいつの耳にも入ったのでしょう、急に無断欠勤をしたんです。それで、その翌日に……。将来は小さな喫茶店を開くのが夢だ、と飲み会の席で言ってくれていたのを、今でも思い出します……」


 そこまで喋ると曽根は、深いため息を吐き出した。


「ありがとうございます。話していただいて」

「いえ」曽根は、首を軽く横に振って、「乱場くんは、このことが今度の事件に何か関係があると思いますか?」

「そこまでは、わかりませんが」

「私と、殺された(おお)()さんとは、ここで会うまでは見ず知らずの他人でした。それなのに、さらに私の過去の同僚の自殺が、事件に関わっているとは、正直、とうてい思えませんけれど」


 大瀬の殺人事件は、殺し屋Kが仕事として引き起こしたものだということは確実視されている。先に聞き取りをした岸長(きしなが)()(さか)()もだが、彼、彼女らの過去に、今度の事件に尾を引く出来事が存在している可能性は極めて薄い。とはいえ、そのことを今の段階で告げるわけにはいかない。


「それでは、ここに滞在している間についてのことを伺います。気になったこと、変だなと感じたことなど、何か思い出したことはありませんか? 事件に無関係と思われることでも、何でも構いません」


 質問を受けると、曽根は腕組みをして、


「申し訳ありません。これといって……」


 済まなそうな表情をするとともに、組んだばかりの腕をすぐにほどいた。


「いえ」乱場は首を横に振ると、「曽根さん、夜は、どうでしたか?」

「夜?」

「はい、よく眠れましたか?」

「まあ、こんな事件がことで気持ちが乱されて、しかも、隣が殺された大瀬さんの部屋でしょう。何だか気になってしまって、なかなか寝付けなかったですけれど、それでも睡眠は取れたと思います」

「夜中に、目を覚ますようなことは、ありませんでしたか?」

「ええ、ぐっすりと。それがどうかしたのでしょうか?」

「ああ、いえ、ほんの参考までに」


 そうですか、と答えてから、しばらく黙り込んだあと、曽根は、


「……ところで、乱場くん」

「はい」

「乱場くんは、この事件を解決するつもりでいるのですよね」

「えっ? ま、まあ……そうです」

「昨日、乱場くんが通報で交わした内容によれば、明日には警察がここへ到着するんですよね」

「はい。雪崩を撤去するのに、それくらいの時間がかかるそうで」

「だったら、以降の捜査は、すべて警察の手に委ねるべきですよ」

「……」

「正直に言うと、どうして乱場くんが、事件を解決――引いては、犯人を明らかにしようとしているのか、私には、それがよく分からないんです」

「それは……」

「私も、こういう外部との連絡、交通手段が閉ざされた状況下――“クローズド・サークル”っていうんですか?――で殺人事件が起きて、偶然居合わせた名探偵が犯人を明らかにする、という事件のことが書かれた小説を何冊か読んだことはありますけれど、読むたびにいつも疑問に思うんです。いくら“クローズド・サークル”といっても、その状態が永遠に続くわけじゃありません。殺人事件が起きた時点で、全員が常に一緒に行動するか、絶対に誰にも会わないようにしてひとりで過ごすか、これを徹底して、あとは外部と連絡が取れる状況になるのをひたすら待ったほうがいいんじゃないかって」

「……そうかもしれませんね」

「絶対にそうですよ。下手に誰かが探偵役を買って出て捜査を始めるだなんて、いたずらに犯人を刺激するだけですよ。仮に、犯人の目的がひとりだけで、他の人たを殺すつもりはなかったんだとしても、探偵の存在が犯人の思考に影響を与えてしまって、予定していなかった殺人を犯す可能性もあり得ます。乱場くんは、“観察者効果”という言葉を知っていますか?」

「確か、観察するという行為自体が、観察対象に影響を及ぼしてしまう、という話ですよね」

「そうです。とある現場で、労働災害防止のためにと、作業場に監視カメラを設置したことがありました。何か危険な行動、仕事の手順をしている人がいたら、すぐに注意できるようにです。ところが、そこでは、他の現場よりも災害の発生が多くなってしまったんです。作業員たちは、『常に他人――上司や元請けといった自分たちよりも上の立場の人たち――に見られている』という緊張から、普段だったら何でもないような作業や仕事でミスを頻発するようになってしまったんです――すみません、話が逸れましたが……」

「いえ。つまり、事件現場で探偵が捜査を行うという行動――観察――自体が、観察されるもの――つまり犯人――に危機感という影響を与えて、予定していなかった殺人を犯してしまうこともあるんじゃないかと」

「そう、そうです」

「特に、“クローズド・サークル”という、否応なしに探偵と犯人が同じ空間に同居してしまうような状況では。通常の開かれた社会で起きた事件であれば、犯人は外出なり旅行なりして探偵の捜査圏外に逃れることが――その行動自体が疑いをもたらす可能性があるとはいえ――出来ますが、“クローズド・サークル”ではそうはいきませんからね。探偵の捜査、というか、探偵の存在自体が、犯人には逃げられないストレスとなってのしかかってくることになるかもしれません」

「さすがですね。私の言いたいことは、まさにそれです。だから、乱場くんには――ああ、いや、決して乱場くんの探偵としての手腕を疑っているとか、そういうことではないのですが……まあ、疑おうも何も、私は、乱場くんがこれまでに、どんな事件をどんなふうに解決してきたかとか、そういう情報を一切知らないわけですが」

「もっともだと、僕も思います」

「はは、何だか拍子抜けですね。私はまた、『僕のことが信用出来ないんですか』って剣幕で怒られるかと思っていたのに」

「そんなこと、言いませんよ」


 乱場は笑みを浮かべた。


「いや……申し訳ない」と曽根も、ばつの悪そうに笑って、「でも、そう考えると、名探偵が事件を解決した小説が流布されて、世間にその活躍が知られるというのは、意味があることなのかもしれませんね」

「どういうことですか?」

「だって、“クローズド・サークル”内で殺人を犯した犯人がいたとして、そこにたまたま、世に名高い名探偵がいることを知ったとしたらですよ、もう犯人は早々に観念してしまうんじゃないですか? あるいは、同じ空間内に名探偵がいる、ということを犯行前に犯人が知ったとしたら、計画していた殺人を急遽中止することもあるでしょうし、何かのきっかけで殺意が芽生えたのだとしても、『あの名探偵がいるここで殺人を犯すのは悪手だ』と考えて、冷静になって思いとどまるかもしれないじゃないですか」

「そうなってくれれば、嬉しいですね」

「世の中の名探偵の中には、自分の活躍が世間に知られるのを嫌がる人もいますけれど、その考えは改めるべきだと思うんですよ。世の中にはこんなに名探偵がいるということがもっと世間に認知されれば、犯罪の抑止力になります。公共の利益を考えたら、絶対にそうするべきですよ」

「そ、そうかもしれませんね」

「あ、すみません、つい熱くなってしまって……。だから、乱場くんが見事に犯人を突き止めて事件を解決した暁には、ぜひ、この事件を小説化して下さい。名探偵、乱場ここにありを、世に知らしめましょう」

「か、考えておきます」


 熱く拳を握った曽根との話はここで終わり、次に話を聞く(あり)()を呼んできてもらうことになった。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ