第21章 岸長の聴取
次に聞き取りを行う岸長が娯楽室に入ってきた。
「どうぞ」
と乱場に促され、テーブル席――間中が配した、角を挟み斜向かいとなる席――に座った岸長は、
「この座席の配置は、そう親しくない間柄同士でも、リラックスして会話が出来るということが、心理学的にも証明されているものだね。さすが探偵だ」
「いえ……」
間中に教えてもらったのだとは伝えず、乱場は、
「さっそくですが、岸長さん。事件について、新しく何か思い出したことなど、ありませんか?」
「そうは言われてもね……。殺された大瀬さんは、この旅行で初めて顔を合わせた人で、彼の人となりなんかもよく知らないからね」
「大瀬さん個人に関することじゃなくても構いません。何か、変だなと思ったこと、少しでも気になったことなどがあったら、聞かせてもらいたんです」
「そういうのって、名探偵の常套句だね」
「はあ、すみません……」
「はは、謝る必要なんてないだろ。常套句ついでに、事件の犯人が分かったら、みんなを集めて『さて……』とでもやり始めるつもりなのかな?」
「い、いえ……そんなことは……」
「ああ、ごめん。からかうつもりはないんだ」岸長は、はは、ともう一度笑ってから、「すまない、不謹慎だね。見ず知らずの他人とはいえ、人がひとり殺されて、犯人も分からない状況だって言うのに……」
神妙な表情になり、懐からシガレットケースを取りだした。
「ああ、吸うつもりはないよ。ヘビースモーカーなものでね、この愛用のケースをいじっていると落ち着くんだ。名探偵から一対一で聴取を受けるだなんて、初めての経験なものだから……」
「そんなに、かしこまらないで下さいよ。僕のほうが緊張してしまいます」
「おいおい、名探偵がそんなじゃあ、みんな不安になってしまうよ。まあ、無理もないか。乱場くんは、まだ高校生だものね」
「はい、二年です」
「見えないよね」
「は、はあ、そうですか……」
「全然見えないね。いいとこ中学二年生ってところだよ」
「そ、そんなにですか」
「そんなにとは言うけれど、中二と高二じゃあ、三つしか違わないじゃないか。私くらいの歳になると、三歳の年齢差なんて、あってないようなものさ」
「岸長さんは、三十五でしたっけ」
「よく憶えているね。風呂に入ったときに一度教えただけだっていうのに。そういうところは、若くてもさすが名探偵だなって思うよ」
「岸長さんは、貿易会社に勤務されているんですよね」
「そうだよ。風呂でも言ったけれど、期待外れもいいところだったけれどね」
岸長は自嘲気味に笑みを浮かべた。
「それでも、お仕事で外国へ行けるのでしょう? 僕なんて、海外に出たことはまだ一度もないから、羨ましいなって思っちゃいます」
「もしかして、颯爽と世界を股にかけるビジネスマン、みたいなのを想像してるのかい? それなら、とんだお門違いだよ」
「違いますか」
「全然。今はネットで大抵の仕事は片付いちゃうからね。たまに渡航するにしても、観光を売りにしているような場所に行くこと自体が皆無だよ。日本人は誰も聞いたことがないような辺鄙な町や村に建てられた工場とかね。たまにメジャーな都市に足を運ぶことはあっても、空港と現地の取引先とを往復するだけさ」
「それでも、外国に行くことはあるんですよね。やっぱり、羨ましいです」
「しかも、会社の金で」
「あはは」
「まあ、確かにいい勉強にはなるよ。日本にいたら絶対に味わえないようなことも体験できたしね」
「例えば? どんなことですか?」
「それは……未成年には言えないようなことさ」
「――はぁっ?」
「はは」
乱場が目を泳がせるのを見ると、岸長は笑って、
「冗談、冗談だよ。さっきも言ったけれど、仕事が忙しくて、そんなことしてる暇なんてないよ。――あ、暇があったらやりたいっていう意味じゃないからね」
「は……はぁ……」
「背負っていたデイパックをいつの間にか切られて、中身の財布を抜き取られたとか、そういうことだよ」
「ええっ? 盗みの手段が強行すぎません?」
「乱場くんも、海外に行くことがあったら、荷物を背負うのはやめたほうがいい。しっかりと体の前で抱きかかえていないとね」
「す、凄いって言うか、恐ろしい話ですね……」
「海外じゃあ、未だに『日本人は金持ち』っていうイメージで見てくる人が大勢いるからね。うちの会社なんて、輸入がメインだから、この円安でひいひい言ってるっていうのに。この冬のボーナスも予定額は出してもらえなかったよ」
「大変なんですね」
「乱場くんも、こんな会社でよければ歓迎するよ」
「あ、いえ、僕は……外国語も全然ですし」
「そんなの、現地に行けばどうとでもなるよ」
「岸長さんは、やっぱり外国語も話せるんですよね?」
「……まあ、英語を日常会話程度ならね」
「何か、話していただけますか?」
「……いいよ」岸長は、乱場の目を見て、「Do you suspect I'm the criminal?(私が犯人だと疑っているのですか?)」
「――えっ? あ、いえ……」
「Did you make me speak English to make sure I really work for a trading company?(私が本当に貿易会社に勤めているか確かめたくて、英語を話させたのですか?)」
「え、ええと……すみません、最初の英語は何とか聞き取れたんですけれど……」
「……はは、ごめん、ごめん。最初と同じようなことを訊いたんだよ」
「こ、こちらこそ、すみません。岸長さんのことを疑っているわけではないんですけれど……」
「それは、嘘だろ」
「えっ?」
「探偵が、殺人事件が起きた“クローズド・サークル”内にいる他人を、疑いの目で見ないわけないじゃないか」
「……」
「逆に、私のことを疑っていないというなら、その根拠を教えてもらいたいものだよ」
「すみません……」
「謝ることなんてないよ。これも逆に、私のことは疑わない、なんて言い出したら、乱場くんのことを信用できなくなるよ。それで探偵が務まるのか。この事件を解決できるのかってね」
「それじゃあ、お言葉に甘えて、遠慮なく疑わせていただきますね」
「はは、それでこそ名探偵だよ」
「もちろん、岸長さんだけじゃなく、他の皆さんのことも同じように疑いますけれど」
「そうこなくっちゃ」
岸長が笑った、そのとき、グオン、とモーターが唸る音が響いてきた。
「ポンプですね」乱場は一度床に視線を落としてから、「駒川さんが、みんなにコーヒーでも振る舞おうとしているんですかね……」
顔を上げると、斜向かいに座る岸長は、何やら考え込むような表情を見せていた。
「……岸長さん?」
「乱場くん……今のポンプの音を聞いて思い出したんだけれど」
「なんですか?」
「昨夜、この音を聞いたよ」
「えっ? 昨夜って、何時くらいのことですか?」
「何時かと、そこまでは分からない。どうしてかというと、眠っている最中にこの音で目を覚まされて、時計も見ないですぐにまた寝てしまったからなんだ」
「時間――ポンプの音が鳴っていた時間は、どれくらいだったかとか、憶えていますか?」
「たぶん……ほんのわずか、長くても数秒程度のことだったんじゃないかな。そんなに長時間音が聞こえていたら、またすぐに寝てしまえるわけがないからね」
「なるほど……」
「夜中に誰かが水でも飲もうとしたのかな」
「……」
「……乱場くん?」
「あ、ああ、はい」
「どうしたんだい? このことが何か重要な手がかりになりそうなのかな?」
「まだ、そこまでは……。でも、ありがとうございます、思い出してくれて」
「何かの役に立てれば嬉しいよ」
「他には、何か思い出したことなど、ありませんか?」
「……いや、申し訳ない」
「いえ、十分参考になりました」
「それじゃあ、私はお役御免ということで、いいのかな?」
「ご協力感謝します」
「やっと一服できるよ」
岸長は、手の中で弄んでいたシガレットケースに恋しそうな視線を向けた。
「ああ、すみませんが、一服するのは、小坂井さんを呼んできてからにしてもらえますか?」
「はは、わかったよ」
ケースを懐に入れて、岸長は席を立った。




