第20章 間中の聴取
娯楽室に入り、テーブル席まで来ると間中は、先に乱場を席に着かせ、自分は乱場が腰を下ろした席と隣の辺の位置に椅子を持っていき、そこに座った。二人は正面から向かい合わず、テーブルの角を挟んで九十度の位置関係で話すことになる。
「真正面よりも、こういうふうに角を挟んで斜向かい座ったほうが、緊張がほぐれて相手の話を聞きやすくなるそうよ」
「そうなんですか」
「うん」
間中は、浮かべた笑みをすぐに消すと、
「それで、大丈夫なの?」
「はい。さっき食堂で話したとおり、この聞き取りで犯人――Kが僕に何かしてくるということは、ないと思います」
「私、この聞き取りが終わったら、いちおう隣の朝霧さんの部屋に待機しておくわ」
「いえ、聞き取りを終えた間中先生が食堂に戻らないと、変に勘ぐられてしまいます」
「そう……でも、何かあったら、すぐに大きな声を出すのよ」
「分かりました。それよりも……」
「なに?」
「先生、どうして、汐見さんたちと一緒じゃなくて、おひとりで聞き取りをしたいと? 何か……他人の耳には入れられない情報を持っているとか……?」
「それはね……昨夜のことなんだけれど」
「昨夜って、みんなで資料室に駆けつけたときのことですね」
「そう」
「正確には、先生が公安本部との連絡を終えて、娯楽室を出た僕たちに合流するまでの詳細というわけですか」
「さすが、察しが早いわね」
「聞かせて下さい……」
乱場は椅子の上で居住まいを正し、聞く体勢を整えた。
「分かったわ……。私が本部との通話を終えたのは、七時五十分頃だったわ。それからすぐに部屋を出て、まず、同じ一階の小坂井さんと岸長さんの部屋の様子を窺ったの。足音がたたないよう、廊下はゆっくりと歩きながらね。で、ドアに耳を付けてみたんだけれど、室内の物音は聞こえなかったわ。このロッジは暖房効率を高めるためか、ドアも壁も厚く作られているみたいだから、そのせいもあったのかもね」
「その二人が部屋を出て娯楽室に向かったのは、八時少し前だということですから、その証言を信じるなら、七時五十分頃だと、二人ともまだ室内にいたことになりますね」
「そうね。あまりそんなことをしていて、誰かに目撃されでもしたら怪しまれるから、すぐに今度は食堂に向かったの。食堂内には誰もいなかったわ。でも厨房のドアが開いていて、食器を洗う水音なんかが聞こえていたから、駒川さんと有賀さんは証言どおり夕食の後片付けをしていたんでしょうね。で、駒川さんと有賀さんの部屋の前を通り、北西の階段を上って二階に来た私は、そのまま三階に上がるか、それとも二階を調べるか、どうしようか迷って立ち止まっていたの」
「どのくらいの時間、そこにいましたか」
乱場に訊かれた間中は、
「そうね……一分、いえ、三十秒くらいだったと思う。三階に行こうかと階段に脚をかけたり、やっぱり二階を見ようかと廊下の先を眺めたりしてね。で、私は先に二階を調べることにしたの。汐見さんと朝霧さんの部屋の前を通って、娯楽室を覗いたけれど、明かりも点っていなくて、まだ誰もいなかったわ。ちなみに、二人の部屋の様子を窺ったりはしなかったわ。彼女たちがKじゃないことは明白だからね」
「はい」
「続けるわね。娯楽室を覗き終えて、二階廊下の角を曲がると、私はまた、客室の様子を窺ったの。でも、一階のときと同じだった。どの室内からも何も物音なんかは聞こえてこなかったわ」
「二階のその列の客室だと、曽根さん、大瀬さん、僕、の三人ですね」
確認した乱場は、間中が頷いたのを見ると、
「先生が娯楽室を覗いたとき、中に誰もいなかったのであれば、その時刻は恐らく、曽根さんが部屋を出る直前、八時に差し掛かろうかというところですね」
「そうだと思うわ。というのもね、私、三人の部屋の様子を窺い終えると、残る三階を調べようと思って廊下を引き返したの。で、二階の廊下の角に物置があるじゃない」
「ええ、一階だと裏口に当たる位置ですね」
「そう。私、その中も調べようと思って、物置に入ったのよ。そうしたら、部屋のドアが開く音に続いて、廊下を歩く音も聞こえてきて、その足音は娯楽室に入っていったみたいなの」
「であれば、その足音の主は曽根さんでしょうね」
「そうね。足音はすぐにやんで、娯楽室ドアの開閉音が聞こえたから、私、もう足音の主――十中八九、曽根さんでしょうね――は娯楽室に入ったと思ったから、物置を出ようとしたの。でも、念のため、まずドアを薄く開けて廊下を覗いてみたのよ。そうしたら今度は、ちょうど岸長さんが娯楽室に入ろうとするところで、私、すぐにドアを閉めちゃったわ。何だかばつが悪くって……」
「確かに、物置なんかに入って、何をしてたんだって詰問されかねませんね」
「うん、危なかった。幸い、岸長さんは、物置から遠い方のドアから入っていったので距離もあったし、私も物置のドアを薄く開けていたことが幸いして、気付かれなかったみたいだったけれど」
「でしょうね。でも、もしそのときに、岸長さんが間中先生のことを目撃していたのなら、これからの聞き取りで話してくれるかもしれませんね。物置に潜んでいたという行動が怪しすぎて、みんながいる前だと口にするのを躊躇っていただけかもしれませんから」
「そうかもね。で、ドアが閉まる音を聞いて、岸長さんも娯楽室に入ったなと確信したから、今度こそ私、物置を出ようと思ったんだけれど……間の悪いことに、そこからみんなが娯楽室に集まり始めちゃったのよ」
「ああ、八時になったからですね」
「そう。足音がいくつか続いて、何人が娯楽室に入ったかも分からなくなっていたから、まだ入ってくる人がいるんじゃないかって、びびっちゃって、そのまま物置に待機することにしたのよ」
「ということは、もしかして……」
「そうなの、私が乱場くんたちに声をかけたとき、さも廊下を走ってきた振りをしていたけれど、実際は物置から飛び出したところだったの」
「なるほど、それなら、三階へ行こうとする僕たちの背後から姿を見せるわけですよね」
「私が本当は物置に隠れていたってこと、何か重要な手がかりになりそう?」
「いえ、そこまでは、まだ何とも」
「今まで黙っていて、ごめんなさい」
「いえ。詳しく話してもらえて、助かりました」
「役に立てたのなら、嬉しいわ。他に訊きたいことはある?」
「はい、ひとつだけ……」と乱場は、人差し指を立てて、「先生は、昨夜にポンプの作動音を聞きましたか?」
「ポンプ? って、あの厨房にあるやつ?」
「そうです」
「昨夜って、具体的に何時頃のこと?」
「そこまではっきりとは言えないんです。十一時は過ぎているとしか」
「そう……私は零時くらいに寝たけれど……分からないわね。その、夜中にポンプの音がしたというのは、確かなことなの?」
「朝霧さんが証言してくれたんです。夜中にポンプの音を聞いて、目を覚ましてしまったと。朝霧さんが就寝したのが十一時くらいだったそうですので」
「そういうことね。でも、やっぱり聞いていないわ。私、朝まで目を覚ますことはなかったから、もし、ポンプの音がしたのだとしても、眠っている私の目を覚ますほどの音量ではなかったのかも」
「そうですか……。ありがとうございます」
「うん」にこりと微笑んだ間中は「……ところで、乱場くん……」
「なんですか?」
「私が、ひとりだけで聞き取りをさせてほしいってお願いしたのにはね、実は、理由があって……」
「はい?」
間中は、ちらとドア横目で窺ってから、乱場の首に向かって手を伸ばしてきた。細められたその目は先ほどまでとは違い、怪しい眼光を放っている。
「――先生?」
身を引きながら立ち上がった乱場だったが、間中の手から逃れることは出来ず、側頭部を掴まれてしまった。さらに間中は、もう一方の手も首筋に回し、乱場を完全に手中に押さえ込んだ。
「せ、先生……まさか……?」
「乱場くん、これが私の目的だったの。二人きりじゃなきゃ、こんなこと出来ないでしょ……」
乱場を引き寄せた間中は、顔を近づけると……困惑して固まる乱場の頬に、自分の唇を触れさせた。
「――はぁっ?」
乱場は、それまで見せていた緊張の上に、困惑の色を塗り重ねた表情をして、横目に間中を見る。
「あのね、私……」間中は、顔だけでなく乱場の体をも引き寄せると、「妹から乱場くんのことを聞いて、撮影した画像も見せてもらってね……それで、好きになっちゃったのよ。会いたくて、たまらなかった……」
頬に唇を付けたまま、熱い吐息の混じる声で囁いた。さらにそのまま十数秒ほど、無言で触れさせていた唇をようやく離した間中は、紅潮した顔に笑みを浮かべると、
「……ごめんね」
乱場の頬を撫で、指先で唇に触れ、椅子から立ち上がると娯楽室を出た。
「お待たせ」
「来ましたよ」
聞き取りを終えた間中に呼ばれ、汐見と朝霧が娯楽室に入ってきた。
「……ん?」テーブル席に座った汐見は、「乱場、どうかしたか?」
「えっ? べ、別に、どうもしませんよ……」
汐見の隣に座った朝霧も、
「確かに、顔色が変ですよ?」
乱場の顔を覗き込んだ。
「だ、大丈夫ですよ……」先輩二人の追求を逃れて、乱場は、「そ、それよりもですね、間中先生の、昨夜の詳しい行動が分かりました」
乱場は、今しがた間中から聞いた内容を二人に話して聞かせた。
「……ははあ、物置にねえ」
「大変でしたね、間中先生」
汐見と朝霧は、うんうんと頷いてから、
「それにしてもよ、それを話すために、先生はひとりで聞き取りを受けたのか?」
「別に、私たちが一緒に聞いても差し障りないように思えますけれど」
二人同時に首を捻った。
「そ、それは、あれじゃないですか、かっこ悪いところを聞かれる生徒は、ひとりでも少ない方がいいと思ったんじゃ……」
「あの間中先生は間中先生のお姉さんで、本当の間中先生じゃないだろ」
「あ、ま、まあ、そうなんですけれど……」
「ややこしいです」
朝霧が言ったところで、乱場は、
「そ、それよりも、お二人に来てもらったのはですね、もう一度、事件の様相を整理しておきたいなと思ったからです。朝霧さんが昨夜書きだしてくれた事件の謎のうち、解明したものもいくつかあることですし」
「……これですね」
朝霧は手帳を取りだし、書き込んだページを開いてテーブルに置いた。
・心臓を刺されて絶命した大瀬の遺体は、なぜギロチンに掛けられたのか。
・大瀬を殺害した凶器は両刃のナイフと見られるが、それはどこにあるのか(あったのか)。
・犯人が大瀬を殺した動機は何か。
・犯人は何者なのか。外部犯か内部犯か。
「このうち、明らかになったのは下の三つだな」
汐見が言うと、
「そうですね」と乱場は項目を指さし、「まず、二つ目、大瀬さんを殺害した凶器は、犯人が持参したものでしょう。相手はプロの殺し屋ですから、殺し専用の得物を用意してきているのでしょうね。三つ目の殺害動機は、“殺し屋としての仕事だから”で、四つ目の、犯人が誰かまではまだ分かりませんが、内部犯であることは間違いありません」
「そうなると、やはり、この事件最大の謎が……」
朝霧が、項目の一番上を指さした。
「そうです」乱場もそこへ視線を落とし、「なぜ犯人は、大瀬さんを刺殺によって絶命せしめたにも関わらず、さらに死体の首を斬り落としたのか」
「しかも、ギロチンなんて大道具でな」
汐見の声が続いた。
「あの、僕、思うんですよ。午前中に朝霧さんが言っていた、『大瀬さんの首は本当は日本刀で切断されたのではないか』という推理には、無視できないものがあるんじゃないかなって」
「あ、私、重要な発言しちゃいました?」
ほくほく顔になる朝霧に、
「お前が言わなくても、乱場も同じことを考えていたに決まってるだろ」
と汐見が言葉を投げると、
「なにおう」
「なにコラ」
「なにがコラですか、コラ」
「なにがしたいんだ、紙面飾ってコラ」
「タココラ……って、やめましょう、今は時間が惜しいです」
「そうだな」
二人が素直に矛を収めあうと、乱場は、ほっとした表情をして、
「じゃ、じゃあ、朝霧さんの推理のポイントを整理しましょう。
犯人がギロチンの刃を落とした――正確には、音を聞かせた――のはアリバイ工作のためで、実際は被害者の首は、それより前に展示品の日本刀で切断されていた。八時十五分に僕たちが娯楽室で聞いたギロチンの音は、事前に録音されていたものだった」
「そんな感じだったな」
「はい」
汐見と朝霧が頷くと、乱場は続けて、
「この推理の最大のネックは、ギロチンの刃を落とす音を録音した再生機器を、あとで犯人が回収しなければならない、というところです。ですが、音が聞こえた直後に僕たちがすぐに現場検証を始めたため、犯人にその機会があったとは思えません」
「そうだな」と汐見が、「そんなものが現場に残されていたら、乱場、私、朝霧、間中先生と、四人もの目があったのに見逃すはずがない」
「はい。だからこそ、機器の回収が可能なのは、現場検証に当たった僕たち四人の中に限られるわけで、僕たちの中に犯人がいない以上、この推理は却下せざるをえません。とはいえ、さっきも言いましたが、首斬りの手段に関する推理については、このまま捨ててしまうのは惜しいんじゃないかという思いがあることは確かです」
「あの刀のルミノール反応を調べられれば、一発なんですけれどね」
残念そうに朝霧が言うと、乱場も頷き、
「そうなんですよ。この事件が、科学捜査の介入を拒絶した“クローズド・サークル”での殺人だというのが、効いていますね」
「でも、乱場」と汐見が、「大瀬さんの首が実は日本刀で切断されたという推理が、仮に正しかったとしよう。それでも、ギロチンの音が聞こえたのは確かだ」
「ええ……」
「さらに、そもそもの話として、どうして死体の首が切断されたのかという問題が放置されたままだ。何らかの方法で時限式にギロチンの刃を落とすことが出来たのだとして、そのアリバイ工作のために死体の首を切断したんだとしても、大がかりすぎないか?」
「ええ、それは僕も思っていました。それにですよ、実際にギロチンが動かされたことが事実で、犯人にどうしても死体の首を切断しなければならない事情があったのだとしたら、死体の首はどの道、ギロチンが作動した時点で切断されていたわけですよ。事前にわざわざ刀を振るう必要なんてありません。二度手間もいいところです」
「確かに」
「とりあえず、今はこのくらいにしておきましょう。他の人たちの聞き取りで、また何か新事実が浮かび上がってくるかもしれませんし」
「だな」
「ですね」
汐見と朝霧は強く頷いた。
※「なにコラ」
2003年11月18日、プロレス団体ゼロワンの練習場で行われた記者会見の最中、当時険悪の仲だったと言われた、橋本真也と長州力との間で交わされた口論、通称「コラコラ問答」に出てきた言葉のひとつ。「言ったなコラ」「やるぞコラ」など、とにかく両者の口から発せられる言葉の末尾のほとんどに「コラ」が付いたことから、こう呼ばれるようになった。「紙面飾って」もコラコラ問答の一部で、この「紙面」とは、当時、両者が記事、インタビューでも舌戦を繰り広げていたスポーツ新聞「東スポ」のこと。
 




