第17章 彼女の秘密
朝霧は、もう一度、うーん、と唸ると、
「ギロチンの音……音……そうです!」
「ど、どうした?」
汐見が声を上げると、朝霧は、
「先ほど汐見さんが言った言葉は的を射ていたんですよ!」
「私、何か言ったか?」
「『ギロチンの音がした時間、イコール、犯人が資料室から脱出した時間ではないとしたら?』これです」
「これって……」
「音ですよ!」
「音?」
「はい、私も含めて、気付かなかった人もいたものの、昨日の午後八時十五分に、確かにギロチンの音は資料室で鳴りました」
「ああ、私には間違いなく聞こえた」
「ですが、それは、音が聞こえたというだけで、実際にギロチンの刃が落ちる場面を見たわけじゃありませんよね」
「当たり前だろ」
「そこで、です。もし、ギロチンの刃が落とされていなかったとしたら?」
「はあ?」
「あのギロチンが、実際に稼働されてはいなかったとしたら? 私たちは、刃が落ちる音を聞かされることで、ギロチンが使われたと思い込まされていただけだったんですよ!」
「な、なんだって?」
「間中先生は、大瀬さんを殺害したあと、ギロチンの刃が落ちる音を録音してある再生機器を、指定の時間にその音が再生されるようタイマーセットして残し、資料室を出たんです。つまり、実際はギロチンは使われてなどいなかった!」
「ちょ、ちょっと待て、朝霧。ギロチンが使われていなかったって、実際、大瀬さんの首は切断されていたんだぞ」
「首を切断できる道具というのは、何もギロチンだけに限りません。思い出して下さい、汐見さん、あの資料室には、過去に幾多の人間の首を実際に斬り落としてきたという、恐ろしい武器が展示してあったじゃないですか!」
「ああっ! 八世山田浅右衛門吉亮の刀!」
「そうです。駒川さんのお話では、あの刀は本物の日本刀だということですから、人の首を斬り落とすことも可能なはずです。どうですか、汐見さん。これこそ“チェーホフの銃”じゃないですか? もし、この事件が小説化されることになったら、昨夜の現場検証で汐見さんがあの刀に触れたことは、省略されることなく必ず記載されるはずです!」
「私のあの行動は無駄じゃなかったってことだな」
「ファインプレイでしたね、汐見さん」
朝霧は汐見に向かって親指を立てた。
「サンキュー。って、それはいいから、で、間中先生は具体的にどうやって犯行に及んだんだ?」
「経緯はこうです。夕食が終わると、間中先生は例の手紙で大瀬さんを資料室に呼び出し、そこで胸を凶器――言うまでもなく、この凶器は間中先生が持参してきたものです――でひと突きして殺害します。次に、大瀬さんの首を刀で斬り落として、胴体はギロチン台の上に寝かせ、八時十五分にタイマーセットした音声再生機器を置いて資料室を出ます。そして、再生機器から鳴ったギロチンの音を耳にして娯楽室を出た私たちに背後――北西の階段とは反対方向――から合流することで、完璧なアリバイを手にします。資料室に残してきた再生機器は、私たちと一緒に現場検証をしている隙に回収したんです。実際、間中先生は、乱場さんが現場検証をする、と言ったらついてきました。もちろん、先に乱場さんに再生機器を発見されてしまうのを阻止するためです。当初の計画では、間中先生が夜中にこっそりと回収するつもりだったんでしょうね。ちなみに、ギロチンの音を録音したのは、私たちがここに到着してスキー、スノボに興じている時間にです。間中先生は、トイレに行くついでに三階まで上がって、一度ギロチンを稼働させて、その音を録音したんですよ」
「ロッジの中にいた駒川さんと有賀さんには、気付かれなかったのか?」
「昨夜のことを思い出して下さい。八時十五分にギロチンの刃が落とされた――私の推理によれば、これは録音された音を再生しただけですが――とき、一階の自室にいた駒川さんと有賀さんは、その音が聞こえなかったと証言していました。間中先生がギロチンを稼働させたとき、二人は一階の厨房で昼食、ないし夕食の準備をしていたんですよ」
朝霧の推理を聞いた汐見は、ううむ、と一度唸ってから、
「そもそもの話として、ギロチンの刃はどうやって引き上げたんだ? 確か間中先生の体重は刃よりも軽いから、どんなに力持ちだったとしても、先生には不可能だったはずだ」
「それは……何とかしたんじゃないですか」
「おい」
「冗談です。けれど、本当に何とかしようと思えば出来たはずです。要は、間中先生の重量が、ギロチンの刃の重量――66キロ――と同等になればいいわけですから。この体重の問題さえクリア出来れば、66キロの鉄の塊を引き上げることも可能なはずです、間中先生の腕力を持ってすれば。確か、間中先生の体重は50キロでしたから、そこらにある何かを16キロ分、体に括り付ければいいだけです。もしくは、両脚でギロチン台の柱を挟み込んで体を固定して反力を得た上でロープを引っ張るとか」
「……あまりかっこいい犯行手段じゃないな」
「格好を気にしている場合じゃありません。トリックを成功させられるかどうかの瀬戸際なんですよ」
朝霧は、どん、と拳でテーブルを叩いた。
「まあ、それはいいとしよう」汐見も、いちおうは納得して頷いてから、「じゃあ、動機は? 間中先生は、どうして恐らく初対面のはずの大瀬さんを殺さなきゃならなかったんだ? しかも、こんな山奥のスキーロッジで」
「そればかりは、推理のしようがありません。そもそも、動機を詮索することは無意味だと思います。実は過去に二人の間に殺意を抱かせるような関係があったのですが、大瀬さんのほうはそのことを――間中先生のことすらも――忘れていたですとか、動機なんていうものは、いくらでも推測できてしまいますから。重要なのは、誰が犯行を行えたか、この動かざる事実だけです。犯行場所をこのロッジに選んだのも、何かここが先生にとって因縁の場所だとか、そういう理由があったのかもしれません。もしくは、大瀬さんのことを調査しているうちに、大瀬さんがこのロッジに宿泊すること、さらに、ここにギロチンがあることも知り、これはアリバイ工作に使える、と判断したというだけなのかも」
「……にしては、解せないな」
「何がですか?」
「そんな計画殺人を企てている人が、どうして私たちを誘ったりしたんだ? ただの旅行じゃない、人を殺すための殺人旅行だぞ。そんなのひとりで行くはずじゃないか。しかも、しかもだぞ、誘ったうちのひとりは、数々の不可能犯罪を解決に導いてきた名探偵なんだぞ!」
汐見は、びしりと乱場を指さしてから、
「なんで、これから自分がやることを台無しにしてしまうような人間を、わざわざ連れてくるんだ? 山羊に手紙を預けるようなものだろ」
「それは……」朝霧も、乱場の顔を見て、「もしかしたら、間中先生は、心の奥底では、自分の犯行を止めてほしいと思っていたんじゃないでしょうか? だから、我が学園の名探偵、乱場秀輔を今回の旅行に誘ったんですよ。
積もりに積もった、まさに積年の恨み。大瀬のことは絶対に殺さなければならない。でも……本当にそれでいいの? 私、本当は殺人なんて恐ろしいこと、やりたくないって思ってるんじゃ? ……そうだ、我が校には名探偵がいる。彼を誘おう。ねえ、名探偵、私の犯行を止められる? 私の中に潜む悪魔に、気付いてくれる? ねえ……乱場くん……」
「くっつくな、くっつくな」
胸の前で手を組み、瞳を潤ませながら乱場に近づいていく朝霧を、汐見が引き剥がしにかかった。
「はっ、つい犯人になりきってしまいました。ふう……」
我に返ったような顔をして、手の甲で額を拭うと朝霧は、
「もしくは、あれですよ。名探偵と勝負がしたいという欲求です」
「名探偵よ、私の仕掛けたトリックを見破ることが出来るか? ってやつか」
「そうそう、それです。大胆不敵な犯人なんですよ、間中先生は」
「じゃあ、私たちは?」
「えっ?」
「私たち二人だよ。乱場に犯行を止めてほしいと思うにしても、勝負をするつもりだったとしても、どちらにせよ、乱場ひとりだけを誘えば済む話じゃないか」
「まあ、そこは、あれじゃないですか? やはり、いかな教師と教え子とはいえ――いえ、そういう関係だからこそ、男女二人だけで宿泊旅行に行くというのは、さすがに体面が悪いと思ったんじゃないですか?」
「……本当にそうか?」
「それ以外に、何か理由があると?」
「私は、今、朝霧が言った乱場を連れてきた理由っていうのも、ちょっと怪しいんじゃないかって思ってる」
「どうしてですか?」
「本当に、“自分の犯行を止めてほしい”だの、“名探偵と勝負がしたい”思っているのだとしたら、あまりに犯人――間中先生からのアクションがなさ過ぎると思わないか?」
「アクション、ですか」
「そうだよ。思わせぶりに乱場を頼るとか、現場に犯行声明文を残すとか、そういうことをしそうだろ」
「ありえるでしょうね」
「だろ」
「でしたら、間中先生が私と汐見さんを……いえ、そもそも乱場さんも含めた私たち三人を誘った理由というのは?」
「……ひとつしかないんじゃないか?」
汐見の表情がシリアスなものになった。
「そ、それは、まさか……」
朝霧も、ごくりと喉を鳴らす。
「ああ……」汐見は、すう、と息を吸ってから、「私たち三人は……間中先生の標的として連れてこられたんだよ!」
「な、なんですってー? わ、私、間中先生に恨まれるような心当たりは、なにひとつ……」
「甘いぜ、朝霧。今、お前が言ったばかりじゃないか、動機の詮索は無意味って」
「そ、それにしたって……」
「実際、昨日の間中先生、何だか様子のおかしいところがあったじゃないか」
「……ああ、現場検証が終わったときに」
「そう。いきなり私たちを抱き寄せて、『ごめんね』なんて謝ったりして」
「あれは、自分が誘った旅行先で殺人事件が起きてしまったことに対して言ったのかと思っていましたが……」
「違ったんだよ。これから、私たちを手にかけてしまうことへの謝罪だったんじゃないか?」
「あ、謝るくらいなら殺さないでもらいたいんですけど……」
「そこは先生にも、やむにやまれぬ事情ってものがあるんじゃないか? かわいい教え子だけれど、どうしても私たちを亡き者にしてしまわなければいけない理由が――」
と、そこに、ドアをノックする音が響いた。
「どなたですか?」
二人の話を無言で聞いていた乱場が、ドアに向かって誰何すると、
「間中よ」
ドア越しに聞こえてきた声に、汐見と朝霧はベッドから立ち上がった。
「吹雪になったから戻ってきたの。どう? 乱場くん、一緒にコーヒーでも……」
乱場を横目で見てから。汐見は、
「乱場、気をつけろ」
と呟いた。朝霧も頷いて、
「鍵を開けては駄目ですよ」
「そのとおり……」
そこまで言ってドア方向に目をやった汐見は、あっ、という顔をした。ドア内側のサムターンが解錠を示す角度になっている。汐見の視線を追って、朝霧もそれに気が付いた。
「ちょ――そもそも施錠がされていないじゃないですか! 最後に入ったのは誰ですか?」
「わ、私だ……」申し訳なさそうに小さく手を挙げた汐見は、「と、とにかく、鍵を――」
ベッドから立ち上がった、そこに、
「……乱場くん、いないの?」
間中の声と同時にドアノブが回り始めた。
「あっ!」
まだ中腰姿勢の汐見が声を発した直後、部屋のドアが開け放たれた。長方形に切り取られた出入口の向こう、敷居を挟んだ廊下に立つ間中は、室内の三人を順に見ると、
「……あれ? 汐見さんと朝霧さんも一緒だったのね」
そう言いながら、敷居をまたぎかけた――そこに、
「ストップです! 先生!」
「えっ……?」
少々引け腰気味に、水平に腕を伸ばして両手の平を突き出す朝霧の声を受け、間中は踏み出しかけた足を止めた。直後、
「またぐな!」
「……えっ?」
さらに汐見に声を浴びせられ、間中は、きょとんとした顔で敷居の向こうに立ち尽くした。
「またぐな」なおも汐見は部屋の敷居を指さして、「またぐなよ」
入室してこようとする間中を制する。
「ちょ……ちょっと、どうしちゃったの? 朝霧さんに、汐見さんまで――」
「またぐな!」少しでも動きを見せた間中に対して、汐見は執拗に敷居を指さし続け、「朝霧、またがせるな」
「ねえ、乱場くん……」
間中は困惑顔で、汐見、朝霧を超して乱場に声をかけた。その乱場は、いつの間にか懐から取りだしたスマートフォンを耳にあてている。間中の視線を追って、それを見つけた汐見と朝霧も、不思議そうな表情で乱場のことを眺めていた。
「……はい……はい……分かりました、ありがとうございます。では」
乱場は、そう言い終えるとスマートフォンを耳から離す。
「何してたんだ? 乱場」
「そうですよ、今は電波が……」
声をかけてきた汐見と朝霧に、乱場は、
「……実は、電波は繋がっているんです」
「なにっ?」
「えっ?」
汐見、朝霧は驚いた顔を見せる。
「このとおり」
突き出してきた乱場のスマートフォンのディスプレイ上には、電波を送受信していることを示すアンテナマークが確かに表示されていた。
「恐らく」乱場はスマートフォンを懐にしまうと、「スマホが繋がらなくなったのは、基地局のアンテナが損傷したわけじゃなく、悪天候の影響による一時的なものだったんでしょうね」
「そ、それはいいけれど、乱場、お前、いったい誰と何を話してたんだ? この非常事態に」
汐見に訊かれると、乱場は、
「……間中先生です」
「……はあ?」
汐見は頓狂な声を上げ、朝霧も、「はい?」と首を傾げ、二人同時にドア方向へと視線を戻した。出入口を通して見える廊下の壁を背景に、間中が無言で立っている。乱場も、一度間中を見てから、
「学校に電話して、間中先生を出してもらったんです。先生、ここのところ仕事が溜まっていて、休日でも出勤することがあるっておっしゃっていましたから」
「い、いや……なに言ってんだ、乱場」汐見は、ドア方向に指を向けて、「間中先生は、あそこにいるぞ……?」
指をさされた間中は、手を腰の横にだらりとさげ、依然、微動だにせず立ち尽くしている。乱場は椅子から立ち上がると、間中と視線を交差させた。表情から困惑の色を消している間中の、その目は――獲物を狙う捕食者のような、あるいは、すべての感情を押し殺したような――冷たい色を滲ませていた。
ひゅう、という鋭い音とともに、風に叩かれた窓ガラスが音を立てた。
乱場は、間中の眼光を真正面から受け止めて、
「……あなた、誰ですか?」
※「またぐなよ」
90年代末期、大仁田厚は「狙うは長州の首ただひとつ」をスローガンに、引退した長州力に対して、自身が掲げる“邪道”の象徴ともいうべき試合形式“電流爆破マッチ”で復帰対戦するよう執拗に要求を続けていた。
そして、2000年6月30日、大仁田は長州相手に対戦の嘆願書を渡すべく、神奈川県で行われる新日本プロレスの興行会場に、客を入れる開場前に参上した。しかし、大仁田の存在もそのアピールも快く思っていない長州は、嘆願書を手に観客席側に立つ大仁田に対して、“こちら側(リング設営箇所)に入ってくるな”という意味で「(敷居を)またぐなよ」を連呼。その場にいた越中詩郎にも、「詩郎、またがせるな」と大仁田を牽制させた。その長州の迫力に気圧された大仁田は、実際に観客席とリングとの境をまたぐことのないまま、会場をあとにすることとなった。なお、持参した嘆願書は、当時新日本プロレスのリングアナウンサーだった田中秀和氏が「ケロ(田中リングアナの愛称)もらっとけ」の長州の言葉で受け取っている。




