第16章 ギロチンとアリバイ
ガタン、という音に、乱場たちは身を震わせた。風が窓を叩いた音だった。いつの間にか、窓外に見えていた景色は雪のベールに覆われている。それもただの雪ではない。雪は上空から自由落下に任せて降り落ちてはおらず、風に乗り左右に、あるいは下から上へと、縦横無尽に乱れ舞っている。
「この吹雪では、間中先生たちもスノボをやめて戻ってくるはずです」
乱場の言葉で顔を見合わせた三人は、互いに頷き会うと、まず、乱場がスマートフォンのカメラで復元した紙を撮影、汐見は机の上に散乱した鞄の中身を戻し、朝霧は床にぶちまけているゴミをゴミ箱に入れ直した。撮影を終えた乱場も、バラバラになった紙片を再びゴミ箱に投じる。部屋の状態を復元して廊下に出ると、階下から間中たちの話し声が聞こえてきた。乱場たちは、もはや足音が鳴るのも構わず廊下を走り、階段を駆け上がり、鍵を大瀬の死体の懐に戻し終えると、とんぼ返りで乱場の部屋へ飛び込んだ。
部屋に入ると、乱場は椅子に腰を沈め、汐見と朝霧もベッドに体を投げ出した。窓の外は本格的な吹雪になっていた。先ほどまで降り注いでいた陽光は、厚い雲と舞い散る雪に遮断され、午前中だというのに日暮れのように暗い。
「……まだ、昼食までには時間がありますね」
腕時計に目を落として乱場が言った。
「冷めちゃっただろうけど、コーヒーでも飲んで落ち着くか」
ベッドから起き上がった汐見が、デカンターからコーヒーを三つのカップに注いだ。
冷え切ったコーヒーでは砂糖は溶けないだろうと、三人はミルクだけを入れたコーヒーに口を付ける。
「……さっきの紙」十数秒ほどの沈黙を破って、朝霧が口を開いた。「あれって、何だったんでしょうか……」
「何って……」
言いかけた汐見だったが、そのまま沈黙してしまう。
「間中先生ですか?」
両手で包み込むようにカップを持つ朝霧が、汐見を見る。
「な、何がだよ……」
「間中先生が……犯人なんですか?」
「そ、そんなこと、私が知るか……」
「だって、あの文面……」
そこで朝霧は乱場へと視線を移した。汐見の目も同じ方向を向く。二人のまなざしを受けて、乱場はコーヒーをひと口すすると、
「昨日の夕食後、間中先生は大瀬さんの部屋に、あの紙を届けた。恐らく、ドアと床の隙間から部屋の中へ滑り込ませたのでしょう。直接会ったのであれば、要件を口頭で伝えれば済む話ですからね。文面を読んだ大瀬さんは、書かれていた指示どおりに紙をちぎってゴミ箱に捨てると、三階の資料室に行き、そこに待ち構えていた間中先生に……」
「……殺された?」
乱場の言葉を朝霧が継ぐと、
「おいおい……」
汐見が弱々しく口を挟んだ。
「ですが」と朝霧は、「そうとしか考えられないんじゃありませんか? 考えてもみて下さいよ。ギロチンの音がしたときに、私たち三人と、岸長さん、小坂井さん、曽根さんの六人は、みんな一緒の部屋にいましたし、駒川さんと有賀さんは互いのアリバイを補完しあっています。アリバイが不明瞭なのは、間中先生だけなんですよ?」
「それは、否定されただろ。乱場の昨日の推理で……」
「ええ、わかっています。この建物で三階への行き来が可能なのは北西の階段一本だけで、そこへ向かう途中で私たちよりも後方にいた間中先生には、三階からそこへ移動する手段がないんですよね」
「そうだよ」
「でも……」
「でも、何だよ?」
「何かしらのトリックが使われていたとしたら……?」
「どういうトリックだよ」
「そこまでは分かりませんけれど……例えば、窓からとか。資料室の窓は常時施錠されていませんですし」
「三階の窓から出て、どうやって二階の廊下の、私たちの背後に移動するんだよ」
「ですから、それは分かりませんけれど……」
朝霧は乱場を見て、汐見の視線もそちらを向く。
「トリック、ですか……」乱場は、またコーヒーをひと口すすってから、「何かしらやろうと思えば可能かも知れませんね。窓から出てしまえば、比較的近い一階東側には裏口もありますし」
「おいおい、乱場まで先生を疑うのか?」
との汐見の声に、乱場は、
「いえ、やってやれないことはないだろうという憶測だけですよ。それをやる根拠や実現性は別として」
「三階から一階へか……」汐見は、カップをテーブルに置いて腕組みをすると、「あ、単純に飛び降りたんじゃないか? 見ての通り、外は厚く雪が積もってる。三階から飛び降りても雪がクッションになったんだよ。助かった、雪で、ってやつだ」
それを聞くと、朝霧はため息をついて、
「汐見さん、三階窓の真下の地面は数十センチの幅しかなくて、その向こうは切り立った絶壁ですよ」
「あっ、そうだった……」
「着地に失敗したら奈落の底へ真っ逆さまです。リスクが高すぎますよ。それに、よしんば僅か数十センチ幅の地面に着地できたとしても、地上から裏口を通って私たちの後ろに辿り着くには、どんなに急いでも一分以上はかかりますよ。でも実際には、間中先生は私たちが娯楽室を出た直後に声をかけてきたんですよ。ギロチンの音が聞こえてから、長く見積もっても数十秒くらいしか経っていませんでした」
「間中先生は、とんでもない健脚だったんだよ」
「あのときの先生は息ひとつ乱れていませんでしたよ。とても三階から地上へのダイブに加えて、建物の中を全力疾走してきたとは考えられない状態でした」
「お前、歴代の超犯罪者たちが弄してきた、数々の物理トリックの凄まじさを知らないな? トリックはフィジカルだ。不可能犯罪を目論む超犯罪者はアスリートなんだぞ」
「その体力と実行力を、もっとプラスに活かして欲しいですね。わずか数十秒でそんな芸当が出来るなら、その犯人は本当にアスリートに転向すべきですよ。制限時間内に障害物を越えてゴールを目指す競技のテレビ番組に出たら、スターになれますよ」
「うーん……。あっ、二階だよ!」
「二階?」
「そう、駒川さんの話だと、窓に施錠をしないのは三階の資料室だけじゃなくて、二階の娯楽室も同じだと言ってたじゃないか」
「三階の窓から二階の窓に飛び移ったということですか?」
「不可能じゃないんじゃないか? 窓の枠にぶら下がって、二階との落差を最小限に抑えた上で、手を離して落下中に二階の窓枠に掴まるんだよ」
「難易度上がってません?」
「でも、成功したときのリターンは大きいだろ。なにせ、外から裏口を廻ってくる距離と時間を一気にカット出来るんだ。一か八かの賭けに勝ったんだよ、先生は」
「それも難しい、というか、ないんじゃないかと思います」
「どうして?」
「さっきも言いましたけれど、間中先生が声をかけてきたのは、私たちが娯楽室を出た直後だったんですよ。時間的に考えて、間中先生がもし二階の窓から入ってきていたのなら、絶対に誰かが気付いたはずですよ。窓枠に飛びついて、室内に入って廊下に出るだけでも、結構な音がするはずですし」
「ううむ……」
汐見は腕組みをして頭を傾げる。朝霧は、ため息をついて、
「ギロチンの音がしたこと、これは絶対に明らかな事実です。その瞬間、犯人が資料室にいたというなら、間中先生だけでなく、他の誰にも犯行は不可能ということに……」
「じゃあ、あの紙は何だったんだ? 間中先生が大瀬さんを資料室に呼び出した、あの紙は」
「それは……」再び、うーん、と唸った汐見は、「あっ!」と顔を上げ、「もしかしたら私たちは、“ギロチンの音”に固執しすぎてたんじゃないのか?」
「どういうことでしょう?」
「確かに、ギロチンを落としてから資料室を抜け出して私たちに合流する、というのは困難――というかほぼ不可能だろう。でも、ギロチンの音がした時間、イコール、犯人が資料室から脱出した時間、じゃないとしたら?」
「ギロチンの音がしたとき、すでに犯人は現場を離れていた? つまり、ギロチンの刃は時限式の装置か何かを使って落とされたと?」
「そうそう。だったら、超人並みのフィジカルも必要ない。犯人は余裕を持って、確実に資料室を抜け出せるわけだ」
「時限式の仕掛けって、どうやるんですか?」
「だから、そこまでは分かんないよ」
「具体性に欠けますよ」
「何とかしたんだよ。世の中の物理トリックは、『何とかした』で大抵の説明は付けられるって、どこかの偉い先生も言ってたぞ」
「どなた様ですか」
「例えばだな……ギロチンの刃を引き上げた状態にしておいて、ロープを氷なんかで床や壁に固定しておくとか」
「で、氷が溶けたら、どすん、ですか」
「そうそう」
「そんなことが可能ですか? 六十六キロもの重量がある鉄の塊を、氷の着力だけで宙吊りにしておくなんて」
「何とかしたんだよ」
「そもそも、そんな時限装置を仕掛けていたのであれば、犯人――間中先生は、ギロチンの刃が落ちた瞬間に、どうしてひとりだったんですか。せっかくのアリバイ工作なのですから、誰かと一緒にいるべきでしたよ」
「それは、あれだよ、計算が狂ったんだ。本来は、先生も娯楽室にいて、私たちと一緒になることで鉄壁のアリバイを作ろうと思ってたんだけど、想定よりも早く――娯楽室に向かう途中で氷が溶けて、ギロチンの刃が落ちることになってしまったんだよ」
「間抜けすぎませんか」
「その場で咄嗟に考えついたトリックで、予行練習が出来ないからな。そんなに上手くいくはずがない……って、いくら何でも苦しいよな」
汐見は喋り疲れたように、はあ、とため息を吐く。朝霧も小さく息をつくと、
「ですね。現実味のある手段だとは、とても言えませんね。とはいえ……昨夜午後八時十五分に、資料室でギロチンの刃が落とされたということは、疑いようのない事実のはずですし……」
「まあ、朝霧は気付かなかったけどな」
「そのことは置いておいて……」朝霧は、自分の前から荷物をどかすようなジェスチャーをすると、「音……ギロチンの、音……」
ううむ、と唸って腕組みをした。




