第1章 ギロチンの音
「――何か、聞こえませんでしたか?」
乱場秀輔は、Jが二枚そろったカードを捨てようとする手を止め、周囲に声をかけた。
同じテーブルを囲む二人の先輩のうち、長身で精悍な顔つきをした汐見綾は、
「……ああ」
と小さく頷き、対して、小柄で眼鏡をかけている朝霧万悠子は、
「私には……何も」
きょとんとした顔を見せた。すると、はあ、とため息を吐き出して汐見は、
「朝霧は野生の勘が鈍りきってるから、何も感じなかったんだよ。文明社会にどっぷりと漬かりやがって。お前、そんなことじゃ、もしもサバンナのど真ん中に放り出さるようなことになったら、生きていけないぞ」
「私、サバンナのど真ん中に放り出される事態に見舞われるとは思えません、今後の人生で」
「コンゴ、だけに」
「……」
「……ほら、今、朝霧が言った『今後』と、アフリカの『コンゴ』をかけたんだよ。サバンナ繋がりで」
「汐見さん、コンゴって山に囲まれた熱帯雨林地帯なので、地形的にサバンナはほとんどないんですよ」
「なんだとこのやろう」
「ボケの間違いを訂正して切れられました」
「切れちゃあいないよ」
言い合いを始めた二人の先輩を放って、乱場は手札をテーブルに置くと、同じ娯楽室に居合わせている面々に目をやった。
開いた窓の外に向け紫煙を吐き出していた男性、岸長光宏。赤い顔をしてバーカウンターでグラスを傾けていた男性、曽根牧央。本棚の前に移動させたソファに座り読書をしていた女性、小阪井加子の三人は、それぞれが取っていた動作をやめ、乱場と視線を合わせた。曽根と小阪井は首を傾げて無言のままだったが、岸長は、「そういえば……」とつぶやいた。
「音って……」小阪井は、読んでいた本を閉じて、「どんな音でしたか?」
乱場、汐見、岸長の三人――音を感じたと証言した人物――を順に見た。
「なにか……重いものが落ちるような音だった気が……」
乱場が答えると、
「ああ」と汐見も同意して、「上から……だったような」
天井を指さした。
「この上って、確か……」
グラスをカウンターに置いて、曽根は上を見やる。
「“資料室”ですよ」
朝霧も眼鏡越しに目をやった。
「……行ってみましょう」
乱場が椅子から立ち上がると、汐見、朝霧も自分の手札をテーブルに投げ、三人で興じていたババ抜きは中断された。残る三人もそれぞれ、携帯灰皿で煙草をもみ消し、栞を挟んだ本をサイドテーブルに置き、グラスの底に残っていた琥珀色の液体を喉に流し込み、乱場たちに続く。
扉から室内に動線のように敷かれている赤く細長い絨毯を踏み、娯楽室を出たところで、
「――あっ、乱場くん」
背後からひとりの女性に呼び止められた。
「間中先生」足を止めて振り返った乱場は、女性の名を呼び、「今、何か音が聞こえて……」
「音って?」
「たぶん、資料室からじゃないかと」
「そうなの?」
「とにかく、今は急ぎましょう」
間中を加えて七人となった乱場たちは、足速に廊下を進み、階段を駆け上がった。薄暗い照明は廊下や階段の隅々にまでは行き届かず、くすんだ色をした板敷きの床を実際以上に広く感じさせる。乱場たちが足を踏み出すたび、靴底と板張りがぶつかり合う乾いた音が反響した。
「開けますよ……」
娯楽室の真上に位置する資料室の前にたどり着き、乱場が両開きのドアに手をかけると、
「待って、乱場くん」間中が前に出て、「ここは私が」
乱場の横から伸ばすと、片方のドアの取っ手を掴み、ゆっくりと引き開けていく。
「照明が点いていないわ」
間中の言葉どおり、ドアの隙間から見える空間は泥のような闇を湛えていた。
「ということは、誰もいないということ? やはり、乱場さんたちの勘違いだったのでは……」
朝霧も、間中の後ろからそっと室内を覗き込む。
「いや、確かに……」
汐見は朝霧の横から顔を出し、暗闇の室内を見回す。間中はドアの隙間から体を滑り込ませると、手探りで電灯のスイッチを入れた。天井複数箇所に設置された蛍光灯が順次またたき、資料室から闇を追い払う。
「何も……おかしなところはないみたいだけど」
「そう……ですね……」
間中と汐見は資料室の敷居をまたぎ、乱場もその後ろに続いた。
資料室のほぼ中央に据えられている、“資料”のひとつである断頭台の手前まで来た乱場は……
「――近づいては駄目です!」
片手を伸ばし、間中、汐見のそれ以上の接近を止めた。
「えっ……?」汐見は声を震わせ、間中は「くっ」と呻いて唇を噛む。ドアの隙間から室内を覗き込んでいた朝霧は「ひゃっ!」と両手で口元を覆い、そして、間髪入れず、
「いやぁっ!」「うおっ!」「なっ!」
乱場たちに続いてきた三人も、口々に悲鳴と叫び声を上げた。
断頭台の下にあるもの、それは、切断された人間の頭部だった。側面を床に付け、顔をドアに向けた状態で転がっている。
乱場たちが呆然と立ち尽くしている間に、階段を駆け上がってくる足音が近づいてきて、「何事ですか?」と、駒川成一郎、その後ろに、有賀茜の二人が姿を見せた。これで、ここ、“スキーロッジ深雪”、またの呼び名を“首切り館”に滞在する十人全員がそろったことになる。宿泊客のひとりである大瀬竜彦、ただひとりだけは、首斬り死体となって。