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第15章 手紙

 窓に顔を付けた(らん)()(しお)()朝霧(あさぎり)の三人が外を見回すと、確かにゲレンデを滑走する影は二人分しか見受けられない。ウェアの色と体型から、その二人は岸長(きしなが)曽根(そね)と確認できた。


「リフトに乗っているのでは?」

「いません」


 朝霧の声に乱場が答えた。稼働しているリフトはすべてが空だった。なおもゲレンデに目を走らせつつ、乱場は、


「トイレでいったんロッジに戻っただけなのかも……」

「確認してきましょうか?」


 朝霧が窓を離れようとしたが、


「待って下さい。行くならひとりでは――」

「いたぞ!」


 汐見の声に、乱場と朝霧は窓外に視線を戻した。


「あそこ。ゲレンデの端だ」


 汐見が指先を窓ガラスに付けた。ゲレンデ脇に広がる原生林から、スキーウェアを着た二人の人物が出てくるのが見て取られる。


「……あれは、確かに()(なか)先生と()(さか)()さんですね」

「間中先生が小坂井さんの手を引いています」

「おおかた、小坂井さんがミスって林に突っ込んでしまって、間中先生に助け出されたって感じだな」


 乱場、朝霧、汐見は、そろって安堵のため息を吐いた。吐息を浴びて窓が白く曇る。間中と小坂井が滑走を再開したことを確認すると、三人はもとのように椅子とベッドに戻った。


「すみませんでした。ちょっと目を離した隙に」

「仕方ありませんよ。終始ゲレンデを監視し続けるのは難しいですからね」

「話をしながらじゃあ、どうしてもな。交代で見張ることにするか?」


 乱場、朝霧、汐見と順に喋ったところに、ドアをノックする音が聞こえた。三人は顔を見合わせると、


「……どなたですか?」


 乱場が誰何(すいか)すると、


(あり)()です」


 ドア越しに有賀の声が返ってきた。乱場は、もう一度二人の先輩と顔を見合わせてから、椅子を立ち出入口に向かい、ドアを押し開けた。


「コーヒーでも、いかがでしょうかと思いまして」


 敷居の向こうに立っていた有賀は、そう言って笑みを浮かべた。その後ろには、コーヒーの入ったデカンターと、砂糖、ミルクの入った小瓶、四つのカップを載せた盆を持つ駒川(こまがわ)の姿も見える。


「わざわざ、すみません」


 礼を述べると、乱場は二人を招じ入れた。

 カップにコーヒーを注ぐ駒川に、乱場は、


「何も、おかしなことなどはありませんか?」

「ええ、いたっていつもどおりです。ゲレンデではお客様がスキー、スノボを楽しまれ、私どもは朝食の片付けと昼食の用意をする。普段と何も変わらない風景です。正直……大瀬さまが亡くなったことが、信じられないくらいに……」


 だが、三階資料室のギロチン台の上には、今も確かに大瀬の遺体が寝かされ、床にはその首が転がっている。

 コーヒーを注ぎ終え、お代わりにと中身の残るデカンターもテーブルに置くと、駒川は、


「乱場さま、どれでも好きなカップをお選び下さい」


 コーヒーを注ぎ終えた四つのカップを手で示した。


「……毒味、というわけですか」

「左様でございます」駒川は小さく腰を折ると、「無論、砂糖とミルクも入れます」

「いえ、そこまでしなくとも」

「私の気が済みませんので。どうか」


 再び腰を折られ、乱場は仕方なくひとつのカップを示した。


「では」


 駒川が指定されたカップに砂糖とミルクを投入し、スプーンでかき混ぜ、口元に運ぶ途中で、


「待って下さい。やっぱり、こっちでお願いします」


 乱場が別のカップを指さすと、駒川は言われたとおりにカップを持ち替え、そちらにも砂糖とミルクを入れたうえで、コーヒーを飲み干した。


「……ご覧のとおりでございます」


 駒川の様子には、何も変化は見られなかった。


「ありがとうございます」


 乱場が礼を言うと、駒川は、


「それでは、失礼いたします。何かご要望がございましたら、何なりとお申し付け下さい」


 そう言い残して一礼すると、自分が飲み干したカップを盆に載せ、有賀とともに乱場の部屋を辞した。廊下を歩く足音が聞こえなくなると、汐見が、


「駒川さん、自分が犯人じゃないっていうアピールまでして、大変だな」

「そうですね」と朝霧は、残された三つのカップを眺めてから、「……本当に、大丈夫ですよね?」


 乱場を向いた。


「ええ」朝霧からの視線を受けた乱場は、「もしも、万が一、駒川さん――ないし有賀さん――が、このコーヒーに毒を混入していたのだとしたら、犯人だと名乗り出るに等しい行為ですからね。そんな杜撰な真似はしないでしょう。さっきの毒味の状態で、何かしらのトリックを弄して毒を回避できたとも考えられませんし……いただきましょう」


 乱場は、最初に指定して駒川が飲みかけたコーヒーカップを手にし、それを機に、汐見と朝霧もカップを手元に引き寄せ、それぞれ砂糖とミルクを投入した。



「……なあ、乱場、(おお)()さんの部屋に入ってみないか?」


 汐見のその言葉を聞くと、乱場と朝霧はカップを口に運ぶ手を止めた。


「部屋の鍵は、遺体のポケットに入ったままだろ」


 続けた汐見の言葉に、乱場は沈黙で返す。


「……さすがにそこまではやりすぎか、捜査権もないのに――」


 ため息をついた汐見が、カップを口につけたところに、


「やりましょう」


 乱場の声で、汐見は口に含んでいたコーヒーを吹き出した。


「汐見さん、汚いです」


 ごほごほとむせる汐見の背中をさすりつつ、朝霧はテーブルにこぼれたコーヒーをハンカチで拭き取っていく。


「わ、悪い……し、しかし、乱場、やるか?」

「はい。今が絶好のチャンスです。僕たち以外の宿泊客はみんな滑りに出て、駒川さんと有賀さんは昼食の用意に取りかかりっきりですから。それに……」


 乱場は横目で窓外を窺う。間中たち四人がゲレンデを滑走しているのが見える。視線を上げると、先ほどまで広がっていた青空は、その半分以上が灰色の雲に覆い隠されていた。灰雲の侵攻はなおも続き、徐々に天空にその領土を広げ続けている。がたり、と音がした。風が窓ガラスを叩いたのだ。


「天気が荒れそうです。そうなったら、間中先生たちも滑るのを中断して戻ってくるでしょうし」

「急いだほうがよいということですね」


 朝霧の言葉に、乱場と汐見は頷いた。三人はカップを置くと部屋を出て、三階の資料室を目指すべく廊下を進んだ。


「……別に、悪いことしてるわけじゃないから、走ったっていいだろ」

「いえ、悪いことですよ。勝手に鍵を拝借して、他人の部屋に入ろうとしているんですから。これは侵入ですよ、侵入」

「だったら、余計に急いだほうがいいぞ」

「そうは言いますがね、汐見さん……やはり気になりますよ」

「だよな……」


 汐見と朝霧が言うように、三人は廊下を歩いていた。靴底が板張りの廊下に当たる足音を気にしてのことだった。現在、ロッジの中に宿泊客は乱場たちしかおらず、駒川と有賀も、昼食の用意のため厨房から出てくることはないだろう。厨房では食事の用意をしており、雑多な音も発し続けているはずで、二階の足音が厨房まで聞こえるとは思えないが、それでも後ろめたさも手伝い、三人の歩調はどうしても足音を抑えた歩き方になってしまう。

 角を曲がり、娯楽室の前の廊下を歩いているとき、グオン、という低いモーター音が響き、思わず汐見と朝霧は、「うおっ!」「ひゃっ!」と声を上げ、乱場も、びくりと体を震わせた。


「ポンプの音ですね」


 乱場が言ったように、この音は、近くの川まで引いたパイプから水を汲み上げるため、厨房に設置されているポンプの駆動音だ。乱場たちは、昨日の夕食前にもこの音を耳にし、その独特な音を怪訝に思った乱場が、夕食時にその音の正体を駒川に尋ねたことで判明した。このロッジで使用される水が、すべて近くの川から汲み上げられたものであることを知ったのは、そのときだった。


「びっくりさせやがって……」


 と汐見は、頬を伝う汗を拭い、


「ちょうどここは厨房の真上なので、余計に音が響いたのでしょうね」朝霧は床を見下ろして、「……ん? そういえば」

「どうした?」

「昨日の夜にも、この音聞こえませんでした?」

「夜に?」

「ええ、私も記憶が曖昧なんですけれど、こんな音が聞こえて目が覚めたような……まあ、目を覚ましたと言っても、また、すぐに寝ちゃいましたけれど」

「私と朝霧の部屋は、確かに厨房の上に位置しているから、ポンプを動かしたら音は伝わるかもな。でも、私には全然聞こえなかったぞ」

「汐見さんの部屋のほうが、厨房から距離があったからでしょうか。それとも、汐見さんの神経がずば抜けて太かったからなのか」

「てめ、こら」

「乱場さんは、気付きませんでしたか?」


 汐見の声をスルーして、朝霧は乱場に訊いた。


「いえ、全然。ぐっすり眠っていました」首を横に振った乱場は、「それって、何時頃のことですか?」

「さあ……」と朝霧はあごに指を当てて、「時計を確認したわけではありませんので……でも、私は昨夜は十一時半には就寝しましたので、それ以降であることは確かです」

「そうですか……」

「乱場さん、そのことが何か気になるのですか?」

「いえ……まあ、とにかく今は、大瀬さんの部屋への侵入を最優先させましょう」

「探偵自ら『侵入』と言っちゃってます」


 三人は――やはり足音を気にしながら――資料室へと急いだ。



 大瀬の遺体から拝借してきた鍵を、乱場がドアの鍵穴に挿す。汐見と朝霧は、それぞれが廊下の左右に目を光らせていた。まだ天候は保っている。間中たちが戻るまで時間はあるだろう。駒川と有賀も、変わらず昼食の用意にかかりきりのはずだ。


「開きました」


 乱場は鍵を引き抜き、素早くドアを開けると、汐見、朝霧と一緒に中に滑り込んだ。後ろ手にドアを閉め、念のため施錠をする。部屋の造りは客室すべてで統一されているため、乱場らの部屋と違っているのは、置かれている荷物だけだ。テーブルの上に大瀬の鞄が載せられている。その中身を探り、乱場は財布を発見した。中には数万円の現金とカード類、さらに、


「免許証です」


 乱場はそれを引き抜き、汐見と一緒に確認した。


「年齢は……三十四歳。保険証も入ってる。警備会社勤務というのは本当ですね」

「他に、何か手がかりになるようなものはないか?」


 汐見に言われ、財布をさらに探った乱場は、


「……いえ、他には、クレジットカードや、お店のポイントカードなんかが入っているだけですね。事件に関連するようなものは、何も」


 他にテーブルの上には、大瀬のものと思われるスマートフォンが充電状態で置かれていたが、パスワードロックがかかっていたため、開くことは出来なかった。


「鞄の中身も、日用品や着替えばかりだな」


 汐見が鞄を探り始めた中、


「乱場さん」


 声に振り向くと、ゴミ箱を漁っていた朝霧が、数枚の細かい紙片を摘まんで見せてきた。


「それは?」


 汐見が訊くと、


「見たところ、一枚の紙を細かくちぎったもののようです。何か書いてありますよ」


 三人は協力して、ゴミ箱から細かくちぎられた紙片すべてを回収し、テーブルに並べた。それは確かに、もともとは一枚の紙だったものらしい。このままでは判読不可能だが、紙にはペンで何かの文字、文章が書かれているように見える。


「復元してみましょう。空白の部分は無視して、何かしら書かれている部分だけを繋いでいけば十分です」


 三人はまた協力して、バラバラになっている紙片をパズルのように繋ぎ合わせていく作業に入った。紙の大きさは一般的な手帳サイズとみられる。徐々に紙片のパズルが組み合わさり、書かれていた文章がある程度判読可能になると、乱場たちは手を止めて顔を見合わせた。


「これって……」

「朝霧、まだ復元が終わったわけじゃないぞ……」

「そうは言いますけれど、汐見さん、もう、ほとんど完成したようなものですよ……」

「いちおう、完成させてみましょう」


 乱場たちは、文字が書かれた部分だけの繋ぎ合わせを完了した。その文章の末尾には、“読み終わったら、細かくちぎって捨てて下さい”と書かれている。大瀬はこの指示に忠実に従ったものと思われる。その前段に書かれている本題の文面を、乱場が読み上げた。


「……“資料室で待っています。来て下さると嬉しいです。間中”」

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