第13章 極限状況の中で
宿泊客たちが集まり、ロッジに到着、そして事件が発覚するまでのいきさつは、以上のようなものだった。
途中で朝食を摂ることとなり、後半は食事をしながらの話し合いとなった。この朝食は駒川と有賀が用意したものだが、毒などが入っていないことを確認するため、ご飯の入った櫃を食堂に持ってきて、銘々が自分の分をよそい、おかずも個人で分けることなく、大皿に盛ったものを自分が食べたい分だけ取るという形になった。
「本来であれば、従業員がお客様と食事の同席をするなど、あり得ないのですが……」
「場合が場合ですから」
戸惑いの表情を見せて宿泊客たちと同じテーブルを囲む駒川に、乱場が声をかけた。もうひとりの従業員である有賀は、駒川ほど今の状況を気にしている様子もなく、淡々と食事を口に運んでいた。
「それで」と岸長が、「乱場くん、今のみんなの話を総括して、何か分かったことはあるかい?」
いったん箸を止めて訊いてきた。
「……やはり、大瀬さんが殺害される理由がない、ということが分かりました。分かったというか、再認識しただけですけれど」
「そうですか?」と、そこに小坂井が、「てっきり、大瀬さんにしつこくつきまとわれるのがウザくて、私が殺したんじゃないか、とか言われるかと思っていたのですけれど」
「そうなんですか?」
「馬鹿、そんなわけないじゃないですか。探偵くん、冗談も言えるんですね」
「すみません……」
「いいですよ。それに、百歩譲って殺すにしても、何も……あんな殺し方で……」
小坂井の言葉に、そろって一同は箸を動かす手を一瞬止めた。
「あ、ごめんなさい」
小坂井はそう言うと立ち上がり、空になった皿にサラダを盛り始めた。
「こういうときって……」お代わりを手に席に座った小坂井は、「事件のショックで食事も喉を通らなくなるんじゃないかって思っていましたけれど、存外食べられるものですね。まして……あんな死体を見たあとだっていうのに。今まで自分では気付かなかったけど、私って薄情な人間だったのかも」
「それは人それぞれでしょう」と曽根も、大皿から取った卵焼きを囓りつつ、「現に、こうして私も食欲はありますから」
「まあ、確かに」と、こちらは味噌汁の椀に口を付けて、岸長が、「こういう殺人事件の記録小説って、閉鎖空間で殺人事件が起きたっていうのに、妙に登場人物たちが平静でいるようなものもたくさんありますからね」
それを聞くと、駒川が、
「私も、そういった小説はたまに読むのですが、確かに違和感を持つことはありましたね。が、しかし……実際にそういう立場に置かれてみると、案外冷静でいられるものだなと思いました。亡くなった大瀬さんに対して失礼なようですが……」
「それは、あれじゃないですか?」そこに有賀も入ってきて、「大瀬さんが、昨日初めてお目にかかった相手だったからじゃないでしょうか。もし、殺されたのが、私の家族とか友達だったら……私、とてもこんな悠長に食事をしていられる自信はありません。先ほどの、これまでの行動についての話し合いだって、参加できていたかどうか……」
実際にそういうことが起きた状態を想像したのだろうか、有賀は声のトーンを落とし、目を伏せてしまった。
「そうは言うけどさ」有賀とは対照的に、よく通る声を食堂に響かせて汐見が、「中には、友人や知り合いが殺されたっていうのに、関係者が冷静でいるような話も結構あるぜ」
まあ、確かに、と有賀や駒川が頷いたところに、朝霧が、
「汐見さん、それは、あれですよ。昨日話した事情と同じようなものですよ」
「どういうこと?」
「あくまで、小説としての流れを優先させたということです。実際には、友人知人、あるいは家族が殺されたのを――しかも、尋常ではない恐ろしい手段で――目の当たりにして、とても冷静ではいられずに、恐慌をきたしてしまうような人もいるでしょう。むしろ、それが人として当たり前な反応ですよ。でもですね、そんなこと――と言っては語弊がありますが――まで、いちいち小説上に再現していたら、いつになっても話は進まないですし、読むほうも辟易してしまいますよ」
「……それは、そうかもな。登場人物が泣き叫んだり、そこら中に当たり散らしたりする様子をこと細かに描写されてもな」
「そうですよ。私たちが読んでいるのは、実際に起きた事件を元にしているとはいえ、あくまで小説という体裁を整えた読み物であるがゆえ、読者への配慮が最優先されるわけです。ですから、そういった事件に関係のない描写は、極力省かれたうえで書かれているものなんですよ、ああいった小説は」
「なるほどな」
「だから、私たち読者は、読んでいる小説の中で、友人や家族が殺されたというのに、登場人物たちがやけに平静にしている文章を読まされたのだとしても、これはあくまで、事件の謎と解決を最優先する形で、情報の取捨選択をされたうえで書かれているものなんだということを忘れてはいけません。実際は、登場人物たちは知人の死に大きなショックを受けたり、動揺したり悲しんだりしているのですが、そういう描写は省かれていることを念頭に置いて読むべきなんです。ですから、それをして『リアリティがない』などというのは、お門違いな批判なわけです。こちとら、知り合いが残酷に殺されたことに十分ショックを受けているなんてことは百も承知で、それはあえて省略して書いてるんじゃ、ということですね」
「ははあ」と、納得したように頷いた駒川が、「そういう視点で、不可能犯罪小説を読んだことは、私はなかったですね。なるほど、そういう小説というものは、作者が事件を振り返って再構成したうえで書かれているわけですから、何から何まで事実を逐一描写する必要はないということですね」
「そうなんです。我々読者は小説を読むに際して、そういう行間までも読むような想像力を持って臨まなければいけないんです」
「勉強になります」
駒川だけでなく、他のメンバーも感心した様子で朝霧の話を聞いていた。
「もしかしたら」と曽根が、「朝霧さんも小説を書いているの? 今のは、実作を書いていなければなかなか出てこない視点だと思うけれど。乱場くんの活躍を小説化しているとか?」
「いえいえ」朝霧は顔の前で手を振り、「書いてませんよ。まあ、乱場さんが関わった事件については、いちおう記録を取ってありますので、書こうと思えば書ける状態にはあるわけですが……」
「読んでみたいですね。その場合、やはり文章は朝霧さん視点での一人称になるんだろうね。ワトソンの記述っていうのが、名探偵の事件記録小説定番のスタイルだから」
「いえ、それも考えたことはあるんですが、さる人物からクレームが付きまして……」
朝霧は自分の隣を横目で見た。その視線を受けた汐見は、
「当たり前だ。視点を朝霧にするってことは、朝霧が正式に乱場の助手て立場になっちゃうだろ。そんなことを認めるわけには断じていかない!」
「……などと申す人がいるわけでして。かといって、私と汐見さんの視点を交互に入れるとなると、視点人物が定まらずに読者の余計な混乱を招いてしまいますから」
「なるほど。色々と大変なんだね」
「だから、もし、乱場さんの事件を小説化することがあったら、そこは三人称視点を用いるしかないのかな、と」
「そうそう。公平にな」
うんうん、と汐見は腕組みをして頷いた。
「でも、三人称って難しいですからね。例えば、Aという人物が、実はBという人物の変装だった場合、三人称の地の文でその人のことを『A』と書いてしまうわけにはいきませんから」
「『フェアじゃない』って言われてしまうね」
朝霧の言葉を受けて、岸長が言った。
「そうなんですよ。一人称なら問題ありませんからね、そういう部分は。視点人物が変装のことを知らず、『B』のことをあくまで『A』と認識していたのであれば、地の文でいくら『A』と書いても一向に構いませんから。あと、三人称であっても、小説の根幹に関わるような事例……例えば、変装なんかの場合も許されてしかるべきなのではないかと」
「変装?」
「そうです。例えば、怪盗が『A』という他人に変装している場合、いくら虚偽になってしまうとはいえ、地の文で『A』のことを怪盗の本名で記すわけにはいきませんよね」
「確かに。話が成り立たなくなってしまうね」
「そうなんですよ。ですから、人物なりすましは、そのなりすました偽名が社会的に通用している場合に限り、偽名で書いても許されるのではないかと。この場合、三人称というのは、言わば『社会の視点』なわけですから、社会が怪盗を偽名の人物と認識しているという解釈も……あ、すみません、話を大きく脱線させてしまって……」
ぺこりと頭を下げた朝霧に、
「いいじゃないですか。ちょうどいい気晴らしになりましたし」
微笑んだ小坂井だったが、すぐにその笑みを消すと、
「それで……これから、どうするんですか?」
乱場の顔を見つめた。各人とも朝食をあらかた片付けており、曽根が最後のご飯をかき込み終えたところだった。その全員の視線を受けた乱場は、
「まずは、昨晩もお話ししていたとおり、駒川さんと有賀さんには、現場検証の手伝いをお願いしたいのですが」
「ええ、構いません」
「……私も」
駒川と有賀は、そう答えて頷いた。有賀の声は明らかに動揺の色を帯びており、駒川も口調こそははっきりしていたが、声色には隠しきれないような若干の震えが混じっていた。
「他のみなさんは」と乱場は、宿泊客側に向くと、「ここ食堂に待機していただきたいと思っているのですが」
それを聞くと、皆の口から深い息が漏れた。安堵、あるいは諦念、それぞれの感情が込められているように思えた。乱場自身は、鋭い表情を崩さないまま、
「皆さん、色々と言いたいことがあるのは承知していますが、警察が道路の雪崩を撤去して、このロッジに到着できるのは早くて明日です。あと一日、ご協力をお願いします」
「乱場くん」と数秒の沈黙のあと、岸長が、「確認なんだけれど、それは、“この中に大瀬さんを殺害した犯人がいる”、そのことを考慮しての措置なわけだね?」
「はい。そうは言っても、トイレなどに行くのは仕方ありませんが、その際も、最低三名以上がまとまって行動するように心がけたほうがいいでしょう」
「単独は当然のこと、誰かと二人きりになることも避けたほうがいいということだね。昨夜の話と同じく」
「はい」岸長に、もう一度返事をしてから乱場は、「犯人の目的、犯行動機がまったく不明な以上、そうせざるを得ないと僕は思います」
「大瀬さんの他にも、犯人は誰かを殺すつもりかもしれない、ということだね」
乱場が頷くと、食堂に再びため息が充満した。
「それとですね」乱場はさらに続けて、「僕たちの現場検証が終わったら、今度は皆さんひとりずつ、個別にお話を伺いたいと思っているのですが」
「それは、どういう?」
岸長に訊かれると、乱場は、
「皆さん、もしかしたら、他人がいる中では口にしづらいようなこともあるかと思いまして」
「ありませんよ、そんなもの。私は皆さんとは、ここで初めて会ったわけですし」
つっけんどんに小坂井が口にしたが、
「それでも、僕はやりたいと思っています。他人の目を気にするようなことの他にも、ひとりになってゆっくりと考える中、何か記憶から甦ってくるようなこともあるのではないかと思いますし」
「……まあ、いいですけれど」
小坂井が言うと、岸長、曽根、駒川、有賀も頷いた。
「でしたら、私の方からも提案、というか、お願いが」
「何でしょう?」
手を挙げた小坂井に乱場が視線を送ると、
「その聞き取りは、昼食後にしてもらえないですか」
「なぜですか?」
「私……」小坂井は窓外に目を移し、「お昼までの時間を使って、滑りに行ってこようかと」
「滑りにって……スノボですか?」
「決まっています。ここはスキーロッジなんですから。ちょうど吹雪もやんで晴れ間も見えていますし」
「しかし――」
「ですから、三人以上いればいいわけですよね」
小坂井は、自分以外の宿泊客たち――乱場も含めた――の顔を見回した。
「そういうことでしたら、私も付き合います」
曽根が手を挙げると、
「私も行きましょう」
岸長もそれに倣った。その三名の視線を受けると、乱場は、
「……そうですね。それでは、皆さんへの個別の聴取は、昼食が終わってからにしましょう。場所は、娯楽室でいいですか」
乱場の提案に全員が了承した。それを確認した乱場は、
「それと、僕からもひとつ条件があります。小坂井さんたちは、このロッジから見える範囲のゲレンデだけで滑るようにして下さい。決して単独行動は取らないこともお願いします。これは、単独行動を取った人がというよりも、残された人が二人きりになってしまうことを避ける意味合いで、です」
「分かりました」
小坂井が言うと、岸長、曽根も頷く。
「そうなると、残る人数はちょうど六名。僕と駒川さん、有賀さんは現場検証に行くとして……」
「ちょっと待て、私も行くぜ」
「私もです」
汐見と朝霧が手を挙げた。そんなことじゃないかと思った、という表情で乱場は、
「分かりました。そうなると……」
乱場は、残るひとりである間中を向いたが、
「乱場くん、私も、滑りに行っていいかな?」
「えっ?」
「私も、少し気張らしをしたいなって思って」
「……それは、構いませんけれど」
意外そうな顔で乱場は応じた。意外そうな表情をしていたのは、汐見と朝霧の二人も同様だった。
「そうと決まれば……」
小坂井が立ち上がり、岸長、曽根も続く。間中は、出入口に向かうすがら、乱場に近づいて、
「あの三人のことは、私が監視しておくから」
と耳打ちをした。そういうことか、と乱場は小さく頷く。その声は乱場の近くにいた汐見、朝霧にも届き、
「だったら、私も――」
汐見が小声で言ったが、
「大丈夫」
間中は汐見に向かって片目をつむると、他の三人に合流して出入口をくぐり、廊下へと姿を消していった。
食器だけ片付けていいですか? と有賀が申し出ると、だったら僕たちも手伝いますよと乱場は、汐見、朝霧と一緒に食器を重ね始めた。お客様にそのようなことを、と渋った駒川だったが、状況が状況ですし、時間も惜しいですから、と乱場にもっともなことを言われ納得し、片付けは五人で行うこととなった。
食器を運び終え、厨房で駒川と有賀が皿を洗う音を食堂で聞きながら(厨房が狭いため、と乱場たちは食器の洗浄の手伝いまでは断りを入れられていた)、汐見が口を開き、
「なあ……」
「どうしたんですか?」
乱場が訊くと、
「私、さっきは、殺人があったことに対して、小説の登場人物たちが恐怖することもなく、やけに冷静でいるってことに文句っていうか、いちゃもんを付けただろ」
「文句もいちゃもんも同じような意味ですけど」
朝霧が突っ込むと、
「黙って聞いてろ。で、あのな、私が思うのは、知人が死んでショックを受けることの他に、考えること、恐怖の対象は別にあるだろって、いつも思うんだ」
「それって……」
「ああ」汐見は、乱場と朝霧の顔を順に見て、「犯人、だよ。人が殺されたってことは、それをやったやつが必ずいるってことだろ。しかも、閉ざされた、同じ空間の中に」
「今の場合も、そうなりますね。乱場さんもおっしゃっていましたが、この状況で、外部から何者かが侵入してくるというのは、現実的ではありません」
朝霧は頷いた。
「犯人……いるんだよな。私たちの中に……何食わぬ顔をして」汐見は、ごくりと喉を鳴らして、「そいつは今、ゲレンデでスキーやスノボに興じてるのか、あるいは、厨房で食器を洗っているのか……」
「もしくは……」と朝霧が続けて、「今、私たちと一緒に食堂にいるのか……」
「バカ」
「あいた」
汐見は朝霧の脳天にチョップを落とした。




