手の負えない天使
「ねぇ、あの娘より私を選んだほうが……なにかと、キミは良いんじゃない。そうは……思わない、和仁ぅ〜?」
妖艶さを際立たせるためかやけにリップ音をさせながら、訊ねてきた蜜璃先輩。
「ひゃあんっ。あ、えっ、えっと……だっ、大胆に、攻めて……きまし、たね随分と……蒸蒼院さん」
彼女の左手のひとさし指が腹から胸部を這って、撫でていく感覚に思わず女子みたいな高い悲鳴をあげてしまった俺。
「その悲鳴、可愛いよ和仁ぅ〜っ!蒸蒼院さんって言ったかしら、和仁ぉはーぁ?」
「すっすみませんッッ、蜜璃先輩ッッ!」
俺は、キラキラと輝く瞳を一瞬にして漆黒の光りも反射させないような瞳に変え、睨み付けてきた彼女に恐怖のあまり誠意を見せる謝罪を口にした。
「よくできましたっ和仁〜ぅ!って、こんなことしてるからあの娘にうつつを抜かされちゃうのねぇ〜反省反省っと〜ぅ」
「あ、はい……けっして、うつつを抜かしてるわけじゃ——」
「そう、そうよね……ごめんね、和仁ー。私があの娘をキミに紹介したからこんな事態を迎えてしまった。ごめんね、和仁。和仁を責めるのはお門違いだよね……傷付けてごめんね、和仁。和仁が私を責める立場なのよね……責めて、和仁。和仁、和仁、和仁、和仁和仁、和仁和仁和仁っ——」
「すみません、すみませんッッ!僕が泡浪さんにうつつを抜かして、蜜璃先輩をおざなりにしてしまってっっ……不安に、させて……すみませんでした、蜜璃せぇん、ぱい……」
俺は、情緒不安定のように感情を、表情を、コロコロと変える彼女を落ち着かせるために、非を認めて謝罪した。
涙まで流されては、どうも無理だ。
彼女から溢れた涙が偽りのモノであろうとも、だ。
俺の胸許——シャツに顔を擦り付けていた彼女が顔を上げて、くしゃっとした涙や洟水で汚れた顔で微笑んだ。
「ごめんね、謝らせるようなことしちゃって。こんな女子でごめんね。和仁には感謝してる、困らせちゃうことしちゃうけど……」
「そんなこと……そろそろ、どいてほしい。下校時刻がギリギリに迫ってる、から」
「ごっごめんっ!すぐどくよ、っしょっと。一緒、に……帰って、くれ、ないよね?……流石に」
俺に覆い被さるようにしていた蜜璃先輩が立ち上がり、塵や埃が付着したスカートをパンパンと手で払い、顔を窺うように気まずそうな調子で誘う。
「帰ろう。一緒に……」
やれやれ、とそういう素振りや含みを隠し、柔らかい声で誘いにのった俺。
汗臭い空間——女子バスケ部の更衣室の隅のロッカーの前で、蒸蒼院蜜璃に押し倒され迫られた数十分間は、地獄だった。
狭い空間から解放された俺は、美味い空気を目一杯に肺へと送った。
深く息を吐き出し、眩しいオレンジ色の夕陽に目を細める。
天使と称される二人の内の一人なんだけどな……この彼女。
俺では、手に負えないとこが彼女には幾つかある。