7 眠る魔力
更新が大変遅くなりました。
こうして誰かを抱きしめたのはいつ以来だろうか。
リーシャが思い浮かべたのは先日亡くなった兄。
微かに残る両親の記憶。
幼い頃、確かに愛してくれた両親。
母の精霊樹が枯れ、後を追うように父の精霊樹が枯れた。
両親の魂を還すため兄と共に歌った。
両親を送った後、兄はリーシャを強く抱き締めた。
それからは兄はリーシャの父となり、母となり、愛してくれた。
リーシャが一つ覚えれば頭を撫でてくれた。
リーシャが一つ出来るようになれば抱き締めてくれた。
そして亡くなるその日もリーシャに感謝を告げ抱き締めてくれた。
リーシャはオルソンを抱き締めた。
それは感謝だ。
100年前に出会った冒険者アーサーが『外の世界』を教えてくれた。
その彼との約束。
それはいつかアーサーに会いに行く事。
いつか甘い食べ物を食べる事。
約束を果たす旅の中で『リーシャの精霊樹』を植える土地を見つける事が出来れば良い。
そんな思いで歩み出した。
ハイエルフの里ではゆっくりと変化の少ない日々を過ごしてきたリーシャ。
一歩踏み出すとそれは出会いと変化の連続であった。
古代竜の死と誕生。
悲しい運命に囚われたケット・シーと魂達との出会い。
魂の無い魔物との遭遇。
冒険者たちとの出会い。
そして偶然に食べる事が叶った甘いお菓子とその衝撃の美味しさ。
僅か三日間で目まぐるしい変化にリーシャの心は高揚していたのだろう。
リーシャは旅の目的の一つを叶えてくれた(甘いお菓子をくれた)オルソンに必要以上に感謝し、感動の余り抱き締めたのだった。
但し感謝されている筈のオルソンはというと何故抱き締められているのか分からず、リーシャの甘い香りと柔らかな感触に頭から湯気を出して目を回していた。
(な、何故リーシャさんに抱き締められてっっ!!ああ、なんて良い匂い……そっそれに柔らかい……むっむむ胸がぁっっ!心臓が止まっ!ああぁぁぁ!!!)
オルソンが死にかけている様子に気付かないまま、オルソンの贅肉のぷにぷにとした感触を全身で密かに楽しむリーシャ。
どうやら彼女はその肉感が堪らなくなっているらしい。
デ〇"専へと歩み出し掛けていた。
ふとリーシャはオルソンに流れる魔力が歪である事に気付いた。
人は誰しも多い少ないはあれど魔力を持っている。
生まれつきオルソンは魔力が少なかったとは聴いていた。
ハーフとはいえ豊富な魔力を持つエルフの血を受け継いでいるのに。
昨晩はあまり気にしていなかったが、今こうしてオルソンの魔力に触れてみるとオルソンの体に流れる魔力は所々欠けたように不自然に感じた。
リーシャは自分の魔力を薄くゆっくりとオルソンの身体へ染み込ませるように流してみた。
するとリーシャの魔力がオルソンの魔力と溶け合い欠けていた流れが全身へゆっくりと巡り始める。
「…魔力栓症か」
「…え?」
それはまだ世間では認知されていない病名だ。
リーシャが生まれる遥か昔、膨大な魔力を持つハイエルフにこの病気を患いながら誕生した赤子がいた。
ハイエルフ達はその叡智の全てを使い数百年振りに誕生した赤子を救った。
原因は全身を血液の様に流れる魔力が詰まり魔力溜りを作ってしまうため、内包魔力が全身を巡らず詰まった魔力は薄い瘴気となり漏れ出てしまう病気だった。
瘴気とは人にって有害なものだ。
瘴気を吸えば人は蝕まれ抵抗力が弱り病気となりやがて死に至る。
オルソンが鍛えても筋肉が付かないのは、『魔力栓症』により瘴気となった魔力が体内にあったためだろう。
死に至る事が無かったのは、努力の末に魔法を使えるようになった事。
操れる微量の魔力を毎日使い続ける事で魔力溜りの瘴気があまり溜まらなかったからだろう。
「ふあ〜、おはよ…えっ!え?ええっ!?」
「にゃにゃにゃっ!!!」
ケット・シーを抱いたイエレナがテントから出てくると目にしたのは、朝から抱き合うリーシャとオルソン。
正確には一方的に抱きつくリーシャである。
「おはよう…ん?んんっ?!」
「おはようございま……」
「おいっ!何立ち止まってんだよっ!ってええーーーーーーーっ!!」
テントから出てきた男性陣も二人の姿を見て驚愕している。
「あ…いや、その。こ、これは…」
オルソンは顔を真っ赤にして汗を吹き出し言い訳しようとするが言葉に出来ない。
「お、お前ぇぇーーー!朝から何うらやま…いや、何してんだよ!」
「り、リーシャ様っ!?」
「お前らまさか…ひ、一晩中っ?!」
「オールソーンっ!!!」
「ひぃっ!」
「うにゃーーーーっ!」
素早いケット・シーはオルソンに駆け登り頭をガジガジと齧りはじめた。
リーシャはそれらを無視して、さらにオルソンを強く抱き寄せた。
びくっと反応するオルソン。
「動くな。もう少しで一番大きい魔力溜りが取れる」
リーシャはオルソンの胸に顔を埋めたまま抱き締める腕に力を込めた。
ピシッとと固まるオルソン。
二人に駆け寄る『疾風迅雷』の面々の目の前に一陣の風が吹くとシルフィが現れた。
「リーシャちゃんの邪魔しちゃダメよ」
「風の精霊…」
イエレナが昨日リーシャと共にいたシルフィの言葉に従い歩みを止めた。
優しい言葉遣いではあるが、やはり風の上位精霊である。
その姿からは言い得ぬほどの威圧感があった。
「だ、どういう事だ?…ですか?」
少々混乱した様子の『疾風迅雷』のリーダー、アレン。
シルフィは今リーシャがオルソンの治療をしていると説明する。
オルソンが病気と聞いて慌てるメンバー。
嘆息してシルフィは「この治療が終わればオルソンって子はもっと魔法が使えるようになるのよ。だから黙って待ってなさい」と言って風と共に消えた。
あまりに端的な説明に納得など出来ないが、上位精霊の言葉には従うしかないとイエレナが言い一同は火がかけられたままの朝食を完成させようと動き始めた。
しかしケット・シーはがしがしとオルソンの頭に齧り付いたままである。
「み、みんなごめん…」
オルソン自身が訳も分からないままに放り出す形となってしまった朝食の準備をするメンバーへ、リーシャに抱き締められたまま頭を下げた。
気にするな、とアレンが苦笑いしながらシチューの入った鍋を焦げないように掻き混ぜた。
その間リーシャは一言も発さず魔力操作に集中していた。
やがてオルソン自身もいつもと違う魔力の流れに気が付いた。
(何だろうこれ…暖かくて全身に魔力が流れている…それにこれはリーシャさんの魔力が俺の中に溶けて……まるでひとつになった様な…)
ふう、と息を吐くとリーシャがもたれ掛かる様にして全身の力を抜いた。
慌てて倒れない様に無意識にリーシャの背に手を回して抱き留めたオルソン。
「あ、あのリーシャ…さん?」
オルソンが不安げに顔色を覗うとリーシャは見上げるようにして微笑みを浮かべた。
「終わったぞ、オルソン。お主の魔力は決して少なくはない。
寧ろハイエルフに匹敵する程だったから少し疲れたよ。
だからもう少しこのままにさせてくれ」
魔力栓症の治療法。
それは他者の魔力を薄くゆっくりと流し融合させ、魔力の流れが全身に巡るように整え魔力の流れを身体に覚えさせるという非常に繊細な魔力操作が必要となる。
その状態を維持したまま魔力溜りを溶かし瘴気となった魔力を体外へ吐き出させるのだ。
この病気を発症したハイエルフはリーシャの兄だった。
赤子の内に完治したという兄から病気と治療法を幾度となく訊いていたリーシャ。
膨大な魔力を持つハイエルフ。
その上で鋭敏な魔力感知が出来るハイエルフだからこそ気付けた。
兄は抱きしめる度にリーシャに魔力を流し教えてくれた。
兄の魔力は微かに両親の魔力が感じられ、ほんのりと甘く暖かくて心地良かった。
そんな兄から繊細な魔力操作を教えられてきたリーシャだからこそ、かつて兄を治療するために数人で行われた治療をリーシャ一人でもオルソンに行う事が出来たのだった。