99「束の間の休息」
戦いでもっとも重要なのは決断するスピードである。
素早く決断して過ちを犯すのをためらうようりも、果敢に行動した者こそが勝利の女神に微笑んでもらえるのは歴史が証明していた。
その意味では、今回の山神を騙った山賊の討伐でカインが示した蛮勇にも似た迅速な決断こそが結果として最良であることを証明した。
思えばカインは今回の村人の難儀に自らかかわっても引き返す場面は何度もあったが、それをしなかった。
調査不足ではなく、村人が供物を捧げる祭壇や生贄が処女という生臭さから、災厄の正体が実に小狡いケチな賊のやりそうなことであることを本能的に嗅ぎ取ったのだ。
ジェフの持つ抜群の武勇があったからこその策であったが、カインの決断は結果として領地における湯治場からの収入の減衰を留めることに繋がり費用効果は、たかだかひと晩にしては中々のものであった。
「姉上にあの場で再会したのも天の配剤であったかもしれないと私は愚考いたすのですが」
「ねえねえ。そんなのはいいからこっち向いてよカインくん。久々の兄妹水入らずだよ」
山神討伐のあと、湯治場の宿に戻ったカインはなし崩し的に姉のメリアンデールと仲よく湯に浸かっていた。
湯気が濛々と立っているが、ほどよい日差しが入る真昼間の温泉ではいくら兄妹であるとはいえ堂々と姉の裸体を目にすることもできずカインはそっぽを向いていた。
「むう、つれないな。お姉ちゃん、久しぶりにカインくんを洗ったげようと思ったのに」
「そんなことをしてもらった記憶はないのですが」
メリアンデールに悪気はないのだ。
十代半ばにしてすでに肉体的には大人の女性と遜色ないほどに完成している彼女に比べて、だいぶ背が伸びたとはいえカインの身体はまだだま子供の範疇を出ていなかった。
それどころか、カインのすらりと伸びた手足と色の白さは貴公子然としており、下手をすれば冒険者として野外活動が多かったメリアンデールよりもはるかに華奢に見えるの。そんな少年をあくまで小さな子供見ているメリアンデールからすれば警戒するわけもない。
(だけどなあ。こっちはそうもいかんのだよ。混浴するのが精一杯でこれ以上は精神がもちそうにない)
姉の懇願に負けて温浴という禁に踏み出したがカインの節制も限界に近かった。
――なので上がるぞ。
ザブッと湯から出ると洗い場でわしゃわしゃ髪を洗っていたメリアンデールが特にためらいもなく振り向いた。
「あ、もう出ちゃうんだ」
「ちょっと、こっちを見ないでくださいよ!」
「そんなぁー。兄妹なんだから恥ずかしがらなくてもいいのに」
「本当にやめてください!」
――なんだか妙に気恥しい。
精神はオッサンであるが本能的にカインの肉体が近親相姦を嫌ったのだろう。
自分でも理解できないほど素肌を見られるのに忌避感が大きかった。
乱暴に身体を布で拭い水気を切ると赤い目をこすってゼンが朝食の準備に取りかかっていた。
「お、若さま。久々の水入らずでの姉上さまとの沐浴はいかがでやした?」
「メシだ」
「もう、若さま照れちゃって」
「……いっておくがゼンの期待しているようなことは微塵もないからな」
カインが否定するには理由があった。ロムレス貴族の古い慣習には腹違いの姉妹を妻として迎えていた事実があり、メリアンデールの積極的な理由をゼンは誤解していたのだ。
「いやいやいや。あっしもそこまで古臭い頭じゃありませんよ。これでも少しは世の酸いも甘いも嚙み分けたことがあるつもりなんで。……で、実際どうなんで?」
「どうもこうもないっての」
カインとゼンがいい争っている間にも椅子に腰かけたままジェフは昏々と寝こけており、ぐおーっぐおーっと怪獣のような高いびきがとどまることはなかった。
「にしてもジェフの旦那は気持ちよさそうに寝入っておりやすね」
「大活躍だったからな。好きなだけ寝かせてやれ」
事実、ジェフの活躍はとびきりだった。
思えば今回は彼ひとりでほとんどの敵を仕留めたようなものだ。カインはこれほどの豪傑が自分につきしたがってくれていることを、今日ほど感謝したことはなかった。
「おまたせー。あ、ゼンさん朝ごはん用意してくれたんだ。おいしそうだねっ」
ほどなくして湯から上がったメリアンデールがまだ濡れている髪を拭きながら明るい声と足取りで近づいてきた。
艶やかな髪と湯上りのよい匂いが鼻腔をくすぐりカインは実の姉ながらドキリとしてわざとらしく咳払いをした。
「とりあえず食事にしようか」
ちなみにジェフはテーブルに朝食が並べられると、バネ仕掛けの人形のように跳ね起きて自分の席に素早い動きで着いた。
「パンは村で求めました。あとは、まあ、時間がなかったのでたいしたものは作れませんでしたが勘弁してくだせえ」
食卓には野草のサラダと焼き立てのほかほかのパン、オレンジが鮮やかな目玉焼きに香ばしいソーセージに新鮮な野菜ジュースが並んでいた。
「いや、充分だよゼン」
「もー、もっ、もももっ、もふーっ」
「姉上は食べながら喋らないでください」
「がふっ、がふふっ、がふっ」
「ジェフ、慌てて食うと喉に詰まるぞ」
――みな目が爛々と輝いている。よっぽど腹が減っていたのか。
「若さま、早くしないとおふたりにみーんな平らげられちまいやすぜ」
「はは、そうだな」
「これすっごく美味しい。ゼンさん、このパンケーキここで焼いたの? 王都の名店に引けを取らないくらいすっごくおいしいっ」
メリアンデールはゼンが追加で運んできた焼き立てのパンケーキにバターとシロップをたっぷり塗って舌鼓を打っていた。
「メリアンデールさま。荒事では活躍できなかったんで、こっちのほうでサポートさせていただきますよ」
「ううん、そんなことないよ。ゼンさんはちゃんとわたしを守っていてくれたじゃない。ね、カインくん」
「姉上のいうとおりさ。ま、適材適所だ。ジェフもゼンもそれぞれの得意分野で私をいつも助けてくれているからな。感謝している」
「若さま、もったいねぇお言葉で」
ひととおり朝食が済むと、一同はゼンが淹れてくれた茶を飲んでリラックスしながら手足を伸ばし、まったりした空気を満喫する。




