96「姉との再会」
「しかし、今晩が山神に人身御供を捧げる日だったとはな……」
カインは村人が供物を運ぶ一行を宰領しながらダカホの山を登攀していた。
村人たちは供物を輿に載せてえっちらおっちら険しい山を登るが、その際にも一様に激しく怯えを見せて、ちょっとでも異変があれば軒並み雪崩を打って逃げ出しそうな様子だった。
山神の正体が白猿だろうがなんだろうが、そのもくろみはカインがこうして供物につき従っている時点で根底から崩れ出した。
カインはそのような強い自負を持ちながらもあたりの警戒を怠らずに、危険な夜の山道を一歩一歩踏み締めて登ってゆく。
ほどほどに村人たちの疲労が溜まったところで休憩を入れた。
「食物に絹、それに酒か。そして、この棺の中に生贄がいるのか」
カインは竹筒から水分を補給しながら棺を担いでいた村人のひとりに訊ねた。
「はい。山神さまは若く美しい巫女でなければお認めくださいません。以前、どうしても生贄の工面がつかず、未亡人の人妻に身代わりを頼んだところ、彼女だけはつきかえされ、翌日、村の家畜はゴブリンの大軍に襲われました」
「ところでその未亡人はどのくらいの年ごろだったんだ?」
「六十を過ぎていましたね」
げっそりしたカインの表情に村人が口元に苦さを露にする。
――そりゃカミサマも頭にくるわ。
カインは苦笑を口元に浮かべながら地に下ろされている棺をコンコンと叩いた。
「なあ、どちらにせよ山神の正体は私たちで突き止めるんだ。飲食物はともかく生贄の巫女はこのあたりで逃がしても問題ないんじゃないか?」
村人は一度まなざしを落として、深く考え込みながら逡巡していたが、再び顔を上げたときにはなにかを決意したかのように力強く答えた。
「わかりました。ただ、わたしどもは役目として山頂まで供物を運ばねばなりません。そのあとにあなた方がどのようなことをされようと関知もいたしません」
「ふぅん。ま、あなた方にも立場があるだろうか、そのあたりの線でゆきましょう」
村人たちは山頂の開けた場所に設置された真新しい祭壇に供物を置くと、さっさと山を下りていった。
残されたのかカイン主従と棺の中の憐れな巫女である。
「ジェフ、棺の中の女を逃がしてやれ。これから十中八九血を見ないことは考えにくい。巻き添えを食うと不憫だ」
「へい、坊ちゃま」
ジェフは自慢の怪力で棺の扉をバリバリと開けた。かなり念入りに五寸釘が打ってあったのだがジェフの前ではどうということもなく引き剥がされてゆく。
――さあ、どんな不憫な少女だろうか。
カインはジェフの肩口からおそるおそる中を覗き込んで、驚きに目を見開いた。
「げっ」
「むーっ、むーっ。む?」
棺の中の少女と目が合う。
少女はカインの顔を見るなりバタバタした動きをピタッと止めた。
カインはだらだらと脂汗を垂れ流し、顔面は死人のように蒼白となった。
「坊ちゃま、お知り合いだんべ?」
ジェフがどこか決まり悪げな表情で棺の蓋を放り投げた。
「あ、姉上。どうしてこんなところに……」
肌が透けて見えるような淫靡な巫女の衣装を身に纏い両手足を縛られ、猿轡をかまされていた少女の正体はなにを隠そうカインの姉のひとりであるメリアンデール・カルリエその人であった。
「むむむ、むむっ、むーっ、むむっ!」
「わ、わかりました。今すぐ解いて差し上げますから。おい、ジェフ。早く姉上を」
カインの命令にジェフは素早くメリアンデールの口元から猿轡を取った。
「ぷはーっ。九死に一生とはこのことだよう。あー、くるしかったぁ……」
ライトブラウンの髪にアイスブルーの瞳が美しいメリアンデールはカインの姉の中でも一番下であり、年齢も近かった。
「姉上、今までどこでなにをしていらっしゃったんですか。家の者はみな心配しておりましたよ」
「えへへ」
メリアンデールはぺろりと舌を出し笑ってごまかした。
「いや、えへへじゃなくてですね。そもそもが、どうしてこんなカルリエの田舎の聞いたことのない村で生贄になっているんですか? たまたま私がお節介を焼かなければとんでもないことになっていたんですよ!」
「怒らないでよう、カインくん。これにはお姉ちゃんもいろいろ事情があるんだよぅ……」
カインが頭を抱えていると、隣にいたゼンからいぶかしげな視線を投げかけられた。
「あ、あの、若さま。話の腰を折るようで恐縮なんですが、このお方が例の姉上さまで」
「そうそう。その姉上さまですよ!」
「……姉上はちょっと黙っていてくださいませんか」
「しゅん」
メリアンデールは棺の中で目元を伏せて反省したポーズを取っている。
カインは夜空を見上げながら、今、現実で起きている事象を噛み砕いて胸の内で昇華しようと懸命に思いを巡らせていた。
(間違いなく、ここにいる少女は失踪したメリアンデールに違いないが。ああ、くそ、数える程度しか会ったことのない腹違いの姉のことなんかほとんど覚えてねぇよ)
カルリエ家の嫡子であるカインからしてみれば、違う屋敷で育ったメリアンデールの存在は遠いものであった。
そもそもが生まれてから同じ家で起居を共にしなければ、血を分けた姉であっても実感はまるきり湧かないものなのだ。顔くらいはなんとなく覚えていたものの、その存在自体が姉弟というよりは親戚の集まりでたまに会う従妹といったほうが実情は近い。
(確か、メリアンデールは婚約者とのいざこざがあって家を飛び出し、その後ゆくえ知れずだったはずだが、なぜ、こんな山奥にいるんだ?)
「ね、ねえ、カインくん。お腹でも痛いのかな。そんな顔してるとお姉ちゃん心配だよ」
「いえ、お気になさらず。自分の中で心の整理を着けていただけです。で、説明してくれるんですよね。失踪した姉上がどうしてカルリエの山奥にいるのですか?」