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94「ゴブリン」

「うむ。久々にオチがつかない感じで一日を終われそうな気がする」


 カインは夕食を終えたのち、再び湯に浸かっていた。


「というか、ほかにすることねぇ」


 今回の療養は心の治療も兼ねているので敢えて一切の仕事に関する道具は持参していなかった。


 食事に関してはゼンに一任しているのでカインは食う寝る以外に行うことのすべてをいうなれば剥奪されていたのだ。


 現代の日本ならばテレビを見るネットに興じる本を読むなどの暇潰しの道具にはこと欠かなかったのだが、生憎と異世界の鄙びた湯治のための宿に娯楽は一切ない。


「まあ、散歩くらいかな」


 お供にジェフとゼンを従えてカインは宿の周辺をブラブラと歩く。


 時刻は陽が沈んでほどなくといったところなので、屋敷にいれば夕食のあと再び事務仕事に手をつけてすぐといったところか。


「しかし、気分転換に足を延ばしてみたが、驚くくらいになにもないな」

「でがすね」


「すっかたなかんべ。坊ちゃま、ここいらはカルリエでも田舎も田舎。お屋敷のほうがずっと進歩的だべ」


 酔いを微塵も見せないジェフが骨つき肉をしゃぶりながらのんきに答える。

 月明かりである。


 カインたちの前には延々と広がる田園風景が広がっていた。


 ――そもそもが豊饒な沃野という村ではない。


 用意周到なカインの事前調査によれば保養の地でほどほどに有名なセルブ村はある程度はにぎわっているという話であったが、湯治宿にもカインたち以外にはちらほらとした客しかおらずなんともいえないさびしさが漂っていた。


「しかし、セバスチャンの話とはまるで違うな。鄙びたというよりかは寂れている」

「ジサマの若いころとは違うべ。けど、坊ちゃまがくつろぐにはあんべぇがいいだべさ」


「ま、ジェフの旦那がいうとおりゆっくり静かに過ごすにはちょうどいいのではないですか」

「ゼンのいうとおりではあると思うが。おや、ずいぶんと景気のよさげな家があるな」


 暗く眠りの底に落ちていた村の中でも、やや小高い丘の一角に煌々と明かりを灯している大きな一軒家がドンと建っているのが目に入った。


「たぶんこの村の庄屋の家だべよ、坊ちゃま。にしても、こんな夜更けに明かりさつけてるのは、集まりかなにか――」


 野夫然とした感じでゆったり喋っていたジェフの顔つきが一変した。

 カインも今までの修羅場で戦闘経験は充分であり、闇の四方からひたひたと距離を詰めてくる殺気に気づき素早く剣の柄に手をかけた。


「ゼン、坊ちゃまを頼むべ」


 ジェフはそれだけいうと腰の長剣をすらりと抜いた。

 不意に月が翳った。

 濃密な闇があたりに立ちこめてゆく。


 鼻を衝く獣臭――。

 カインは整った鼻梁にシワを寄せて小さく唸った。

 腐敗した肉のような嫌な臭いに自然と不快感が露になった。


「若さま、ゴブリンですぜ」


 ゼンの緊張し切った言葉にカインは身を強張らせた。


「こいつがゴブリンか……はじめて見たな」


 丈の低い草むらがガサゴソ乾いた音を立てて十数匹の小鬼が現れた。

 ゴブリンはカインたちが住まう大陸全土に分布するモンスターだ。


 洞窟や深い森、人が滅多に足を踏み入れぬ沼地に盤踞して、禽獣を襲い、特に年若い女を攫って孕ませて固体を増やす習性を持っていた。


 だが脅威度はほかのモンスターに比べればはるかに小さい。

 手先はそれなりに器用で石斧や弓を作り、自在に操る。

 賢くはないが小狡さがある。


 カインもこの手のモンスターの知識は持っていたが、王都ではもちろん見ることがなくカルリエ領に来てからも、常に多勢で行動していたので出くわすことがなく、此度が初見であった。


「若さま。小鬼どもはこちらが少ないと途端にカサにかかってくる習性があるんで」


 コボルトのゼンには戦闘能力が備わっていないので酷く怯えていたが、カインは不快感こそ強かったが、実戦経験があるだけに恐怖感はほとんどなかった。


「んじゃ腹ごなしといくべか」


 普段と変わらぬ歩幅で無造作に距離を詰めるジェフに異様さを感じたのか、ゴブリンの一匹がけたたましい吠え声を上げた。


 それが開戦のしるしだった。

 草むらから這い出てきたゴブリンの数は十四。

 少なくはなかった。


 だが、ジェフは引き抜いた長剣を大上段に構えたまま一気に切り込んでいった。


 ゴブリンが警戒の鳴き声を上げるのとジェフの右脚が群れに駆け入るのとはほぼ同時だった。


 ジェフの長剣が鋭く弧を描いて振り下ろされた。

 まず、最初の一撃で一匹のゴブリンが頭から股下まで両断された。


 石斧を手にした子供ほどの背丈しかないゴブリンは石と石とをすり合わせたような声で鳴くと分かたれたまま左右に倒れた。


 本能的にゴブリンたちは左右に広がって距離を取ろうとする。


 ジェフはまず狙いを右に定めて長剣を払う動作を行った。

 水平に動いた長剣の切っ先は逃げようとするゴブリンたちを確実に捉えて三つの首を宙に舞わせた。


 弓を持つゴブリンは中距離から矢をジェフに向かって放つが、それらはいつもたやすく叩き落され地に転がった。 


 ジェフは斃したゴブリンが落とした短剣を拾うと左手で無造作に投げた。宙をすべるように走った短剣は弓を構えていたゴブリンの額に狙い違わず埋没する。


 断末魔を上げて横倒しになったゴブリンを無視してジェフは巨体を揺るがせて疾駆する。


 ジェフは背後から突進するゴブリンを振り返らずに逆手に持った長剣で突くと、素早く引き抜いて前面に構え直す。

 疾走のスピードをゆるめず駆け抜けると同時に六匹ほどのゴブリンたちが急所を切り裂かれて絶命した。


 残った二匹にもはや戦意はなく悲鳴を上げて逃走しようと試みるも、無防備な後方から頭部を断ち割られて瞬く間にものいわぬ骸と化した。


「みごとだ、ジェフ」

「坊ちゃま。こんなもんは腹ごなしにもならねぇべ」


 戦場でジェフの武勇を知っていたがカインは改めてこのヌボーっとした大男の持つ武芸の凄さを目の当たりにし息を呑んでいた。


「けど、村の周囲は騎士たちが見張っているはずじゃなかったですかい?」


 ゼンがフーッと長く息を吐き出しながら興奮の覚めぬ面持ちで疑問を投げかけた。


「おそらくは私たちが村に着く前にゴブリンたちは隠れ潜んでいたのだろう。もっとも護衛の騎士たちはこの土地に不案内だ。人間が知らぬ出入り口から侵入したかもしれないしな」


 カインが処理されたゴブリンの死体を前に口元をハンカチで覆いながら目を凝らしていると、ドヤドヤと村の人間が集まってきた。


(面倒なことになったな) 


 今回の療養は騒がれないためにカインの存在を「とある貴族の子弟」程度にしか村の有力者に話していなかった。


 領主代行の権限を使えば「黙れ」のひとことで村長にすべてを不問にさせることも不可能ではなかったが、その場合カインの存在が周辺に知られることとなる。


「ジェフ、それにゼン。とりあえず私の存在は黙っていてくれ」


 カインの言葉に従者たちがうなずくと同時に村人たちの猜疑心に凝り固まった目が一同に向けられた。


「村長が話を聞きたいとのことです」


 村人の中でも年嵩の恰幅のよい男が訛りのない言葉でカインたちを誘った。


「わかった。案内してくれ」


 年嵩の男は堂々たる体躯のジェフではなく少年であるカインが答えたことにたじろいだが、仲間内で目配せを交わすと灯火を掲げて丘の上の屋敷へと先導をはじめた。


 ――なんとなくきな臭い話になってきたな。


 カインはつるりと自分の顔を撫で上げると、ことの成り行きにどこかワクワクしている自分に失笑した。


 ――そら、もう平穏に飽いているではないか。


 カインはわずかな時間ものんびりとできない自分の宿命のようなものを感じ、それを当然だと考えている己の心を厄介だと思った。




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