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93「保養」

「うぅー頭いてぇ」


 翌日におけるカインの目覚めは爽快とはほど遠かった。

 マノンと別れて再び床に就いたが眠りが訪れることはなく、カインはけだるげな夜を引きずったまま書類決裁に勤しむことを強要された。


「変な夢見たな」


 結局のところ、カインとメロディの間にはなにもなかった。

 年齢の幼さもあったが、カインはメロディと安易に仲を深めることは、後々になって彼女の人生に深い傷を残すと考え、徐々に関係性を遠くしたのだ。


「ま、これも青春のほろ苦い思い出ってやつか」


 ガンガンと鳴る頭を押さえ、呻きながらペン先をガリガリと動かす。


 扉を開けて入ってきたゼンが心配げに表情を曇らせているのを見るのも、今朝のカインからしてみれば億劫だった。


「若さま、どうしやした。ずいぶんとおつむりの調子が悪そうで」

「絶不調だ」

「お加減、悪いのですか?」


 ゼンだけだと思って本心を吐き捨てたカインであったが、その背後には食後の茶を用意していたジャスティンが顔色を蒼くしていた。


「いいや、いつものとおり絶好調」

「バレバレでやす」

「カインさま、早くお医者さまを呼ばないと」


 狼狽したジャスティンはスカートを翻すといつにない俊敏な動きでパタパタと廊下を駆け去っていった。


「ほら、ゼンのせいでジャスティンが早とちりしたじゃないか」

「でも、若さま。今朝は本当に顔色がよくないようで。無理せず休んだらどうでやすかね」

「馬鹿いうな。ゼンはおおげさすぎなんだよ。ほら、このとおり――」


 カインが壮健さを示すように両手と両足を同時に広げて大の字を作ってみせるが、不意に立ち眩みを覚えて視界が傾いた。


「あら?」


 ふと気づくとカインは横倒しになったまま毛足の長い絨毯に顔を半分埋めたまま、屋敷の従者たちが集まってくる騒々しい音を遠くで聞くのだった。






「過労でございます、坊ちゃま」


 医師の診察が終わったあと、カインはなんら感情のゆらぎが見えないセバスチャンの声を聴いてベッドから上半身を起こした。


「過労って、そんなわけないだろ。ちょっと昨晩はあまり眠れなかっただけだから。ちょっと横になればすぐ治る」


「すぐには治りません。坊ちゃまの眩暈には心因性のものもあると医者は申しておりました」


 セバスチャンはあくまで平静と変わらぬ、聞く人が聞けば素っ気ない態度のように思える口ぶりで断定したが、カインはかの老執事のわずかな表情の曇り具合から真剣に自分を案じていることがわかり強硬に否定することができなくなった。


「ちょっと横になればすぐ治るはず」

「このまま無理をすれば身体にもひずみが出るかと。カインさまのご成長に瑕疵が現れるやもしれません」

「うっ」


 カルリエの一族の体格は遺伝上それほど貧弱ではないが、成長期に無理をして小男になる可能性を大きくするのもカインにとって受け入れがたいことだった。


「けれど、この状況で私が休むなど」

「お言葉ですが坊ちゃま。ひと月やそこら領主がいない程度で崩壊するならば、カルリエ領はとっくに霧散しております。このセバスめは非才でありますが、坊ちゃまが半年やそこら療養したからといって、家政を滞らせない自信はあります」

「うーん」






 結果としてカインはセバスチャンの忠告に従って転地療養のために屋敷を離れることにした。


 向かう先はカルリエ領でも天然の湯が湧くことで知られるドクドク鉱泉があるセルブ村だ。


「はぁ、ジサマも坊ちゃまに湯治を勧めるとはいい考えだべ」


 カインと同道するのは護衛のジェフと身の回りの世話をするゼンのふたりだけである。

 無論のこと、刺客の襲撃に備えて村の出入り口には警備の騎士が十重二十重に囲い怪しい人間が入り込まないか見張っているので安全は担保されている。


「けんど坊ちゃま。ホントにもう馬さ乗らんでもええだか」


「ここまでは馬車できただろ。第一下手に上等な馬で乗りつければ周辺の騎士たちがまたぞろ奉公願いにあっちこっちから集まって骨休めにはならないよ」


「若さま、ご領主稼業もおつろうござんすね」

「領主代行だ」


 村人たちにカインがやってきたことは知らせず、とある貴人の子女が湯治にゆくとだけ伝えてあったので、危惧していた大々的な歓迎はなかった。


 そもそもが、戸数は八十に満たない人の少ない山間の村なのだ。


 カインたちは温泉宿に到着すると、少ない荷物を分配してそれぞれの部屋割りを行った。


「はぁ、ずいぶんとまぁ素敵なお部屋でありますな」


「ゼン、嫌味をいうのはよせよ。別に一流ホテルに泊まりに来たわけじゃないんだからな」


 この世界の温泉宿というのは、こんにちの一般の人々がイメージする綺麗な部屋があって豪華な料理が出るといういたれりつくせりの場所ではない。


 本来、病を患った人間や大怪我をした人間が長い期間、それこそ骨がふやけるまで湯に浸かって傷を癒す場所なのである。


 宿は泊り客に部屋を賃貸しするが世話の一切は基本的に行わない。客は自分たちで飲食物を持ち込み、炊事場を使って三度の食事を作り、暇があれば湯に浸かるのだ。


 早朝から昼までに、何度か湯に浸かり、昼食を取ったあとは軽い午睡を貪ったあと、夕食の間まで、それこそ湯に出たり入ったりを繰り返す。


 夕食を取ったあとは、深夜に至るまで数度の上がったり入ったりを繰り返す。これにはコツがあって、とにかく湯あたりしないように、長湯をしないことである。

 予定滞在日数は一ヵ月ほどである。


 カインは頭に手拭いを乗せながら、目の前に広がる特に変わったところがあるとはいえない田園風景に落ちる夕日を眺めていた。


「ま、こうやってボーッとすることもついぞなかったからな」


 ドクドク鉱泉は冷泉なので長湯はできるが入りすぎてもいけない。

 入浴は思った以上に体力を消費するのだ。

 湯から上がるとゼンが夕餉の支度を終えていた。

 ゼンは手先が器用で食事の支度、裁縫、洗濯など基本的になんでもできる。

 家事のスペシャリストといっていい。


「いい匂いだ」

「若さま、揚がったのからドンドン食ってくだせえな」


 ゼンはエプロン姿でから揚げを次々に揚げていた。

 食事は基本的に外で取る。

 と、いっても宿なので屋根くらいはあるがふきっ晒しにテーブルと椅子があるくらいだ。


(まんまキャンプ生活だな。寝る場所は雨風しのげてシラミの居ないベッドがあるだけましか)


「しっかし炊事場っていってもこの荒れようじゃ。勝手にかまどを作っちまいましたよ」

「管理されてないから気にしなくともよい」


 野天にかまどを作るのはさほど難しくない。

 石を並べて炎が上がる縦穴と薪を突っ込む横穴があればいいだけである。

 ゼンはこれに鍋を吊るして、その中に油を投入して揚げ物を作っていた。


「坊ちゃま。お先にいただいてるべ」


 ゆったりした野良着に着替えたジェフが酒を片手にから揚げを旨そうにパクついていた。


(そういや、スッゲー腹減ったな)


 ここに来る道中でカインはしょぼくれたサンドイッチをわずかにかじっただけである。

 だが、たっぷりと長時間湯に浸かって身体をほぐし、適度に汗をかき、わずかであるが領地のことを頭の向こうに遠ざけたことでカインに旺盛な食欲が戻っていた。


「メインはチーズリゾットとから揚げです。野草のサラダに土地の果物を配してみました」

「うむ。その心遣いすごくグッド」


 ほどよく煮込まれたリゾットからはとろけたチーズの匂いが健全な食欲をくすぐった。

 カインがリゾットをスプーンで口元に運ぶ。

 刻まれたキノコと酸味のやや強いトマト味が混然一体となって口腔内に広がってゆく。


「旨いな。これはいいぞ」

「へへ。リゾットだけじゃなくてから揚げもドンドンいってやってください」


 ゼンが鼻を震わせながら笑みを浮かべる。いわずもがなカインは椀に盛られた揚げたてのから揚げをフォークで刺してかぶりついた。


「うっわ、うま。肉の味が濃い」

「ここらの農家で求めたんで。都のものとは違って田舎のニワトリは勢いが違いやす」


 エプロンをしながら次々に揚げものをするゼンは鼻先を指でこすりながら、やや得意げである。

 ジェフは酒を呷りながらもの凄い勢いで揚がったばかりのから揚げをガッツいている。


「ジェフの旦那。その勢いじゃあ若さまの分がなくなっちまいますよ」

「いんやあ、ゼンの料理はとびきりだべ。これほどの料理の腕があって娘っ子じゃねえってのが惜しい惜しい」


 カインはゼンと視線を合わせて破顔した。

 久方ぶりにゆるりとした空気が心地よい気の許せる男同士の夕餉であった。



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