91「夢の少女」
長い午睡から覚めるようにカインは息を吐き出して目の前の人物に視線を投じた。
パープルスライムのスラ太郎が変じた記憶の中にいた少女は嫣然と微笑んだままだ。
だが、その笑みからはなんら感情は読み取れなかった。
あたりまえである。
目の前にいるのは彼女ではなくスキルによって変化した生物なのだ。
記憶を読み取ってそれらしく振舞っているスラ太郎に感情の機微まで望むべくもない。
カインの気分が落ちたことがわかったのか、スラ太郎は即座に変化を解くと基本である不定形のスライム形態に戻り、寂しげな様子で身体をぷるると震わせた。
その日、カインは珍しく夢を見た。
王都の夢だ。
「夢か」
目覚めても内容は思い出せなかった。
夢は人間が起きている間、脳内に溜められた情報を処理する際に発現するダストの一部であるとカインは奇妙な考えを持っていた。
季節は春である。
窓の外には冷たい風が流れており、毛布から身体がはみ出ればゾクリと強烈な寒気を覚えかねない時期である。
カインの私室は屋敷の中でももっとも日当たりがよく、強固に作られており隙間風が入るなどということは絶対にないが、精神の震えが肉体に作用したのか妙な冷えがあった。
「眠れない」
毛布を剥いで身体を起こすとカインは夜着のままベッドから跳ね起きて、上着を羽織った。
扉の向こうにいる夜番の騎士に声をかけてから外に出た。
無論、刺客の脅威が消え去っていたわけではないが、中庭には目につきにくいポイントで護衛が幾人も潜んでいる。
カインの身分からしてこっそりと夜の散歩を愉しむという
わけにもいかないのだ。
ぷらぷらとわずかに外気を吸うとすぐ部屋に戻る気にもならず、上階の遊戯室にあるバルコニーにあるテーブルに座ると黙然と宙を見つめた。
朧月夜である。
特に声をかけずともメイドが飲食物を運んでくる。
「夜遅くに悪いな」
「いえ、そんな。これもお役目ですから」
黒髪のボブがかわいらしい少女はマノンといって今年で十四歳になる数多くいるメイドのひとりであった。
業務の多さによりアイリーンとそれに近しいメイドたちと日ごろはあまり親しむ時間のないカインであったが、名前と顔はすべて覚えていた。
マノンはよほど緊張しているのかカインの前に差し出すカップが酷く震えていた。
強く甘い香りが鼻先をくすぐってくる。
ホットチョコレートだ。
ミルクでチョコを溶かした飲みものであるが、嗜好品が貴重なこの世界では薬に近いものであり強壮剤でもあった。
アイボリーのカップを取って唇を近づける。
火のように熱く、持っているだけで身体が温まりそうだ。
カップを傾けると甘いチョコがどろりと口内に流れ込み、ジーンと脳が痺れてカインはぬるま湯に浸かったような極上の心持ちになった。
「やあ、これはうまいな。おまけに身体もあたたまる。おっと、悪い」
「あ、そんな! いけません、カインさま」
カインは立ったままのマノンの肩に自分が着ていた上着をかけてやった。それだけでマノンは激しく狼狽しながら後退し、結果バランスを崩した。
「あ、わわわ……」
「っと」
立ち上がったカインは素早くマノンの背に回って彼女を抱き止めた。
――う、しまった。
故意ではないがカインはマノンの胸を利き腕でギュッと掴んでしまった。マノンは激しく動揺しながらも顔を真っ赤にさせて、なにもいえずにうつむていしまう。
その面影が記憶の中の少女と重なった。
――そうか。夢の少女はメロディだ。
カインはマノンから身体を離すとしばし天に浮かぶ月に視線を投じて物思いに耽った。




