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88「奇妙なスライム」

「楽しい散策はここまででーす。カインさまは引き続きカルリエの風光明媚な景色をお楽しみください」


 特徴的な巻き毛をくるくるさせながらキャスリンが優雅に一礼を行う。


「おお、これは確かに美しい」


 濃い森を抜けた向こう側には峩々たる荘厳な山脈が果てしなく広がっていた。


 空はどこまでも突き抜けるように青く、限りがないように深い。


 日本では見られない壮大な景色にカインはしばしその場で足をとどめ景色に見入った。


「いい場所だな」


 誰にとなく呟く。

 メイドたちはそんなカインを見てどこか誇らしげだった。

 彼女たちはすべてカルリエの出身であり、ほぼ王都育ちのカインと違って深い郷土愛を持っていた。


 それだけに故郷の景色を自らの主人に褒められたことがうれしかったのだろう。


 一様に目を細めて、広大な土地の自然を見つめていた。

 レジャーシート代わりの緋毛氈をメイドたちがたちどころに敷く。


 カインはその上に尻を落としてくつろぐと足を延ばして眼下の景色に再度視線を落とした。


 濃淡のある緑の向こうに開けた平野部とまばらな人家がポツポツと点在している。


 お世辞にも肥沃とはいえない土地だが、ロムレス王国でもカルリエはまだマシなのだ。


 実際に領地経営に携わるようになってから知ったのだが、一部の富裕な南部の領地を除いては、国土のあちこちでかなり大規模な農民や野盗の反乱や蜂起が続発している。


 わずか数度の合戦で敵対勢力を一掃できたカルリエ領はまだしも治めやすい土地だろう。


「カインさま、お茶の時間ですよ」

「それひいてきたんか」


 ジャスティンが台車に茶器一式を乗せて屋敷の中と同じように登場した。


 あまり深く突っ込んでも仕方がないのでカインは供された紅茶の馥郁たる香りを楽しみながら、栄養たっぷりの菓子の甘さを楽しんだ。






「ん……?」


 んぼーっとこの世のすべてから解き放たれたように忘我の状態にカインが至っていると、丘の下からわーきゃー叫ぶメイドたちの声が聞こえてきた。


 カインがくつろいでいる間に自由行動をしていた数名の声だ。


 即座にカインの周辺に隠れていた騎士の一団が姿を現して武具に手をやるが、メイドたちの姿が見えた途端に、緊張が緩んだ。


「ひーっ、カインさまぁ、助けてくださぁい」


 キャスリンの頭にはねばねばした半透明の生物がうねうねしながらへばりついていたのである。


「誰か、取ってやれ」


 腰を浮かしかけたカインがため息を吐きながら騎士のひとりに命じた。キャスリンの頭にくっついていたのは、特に珍しくもないスライムという低級モンスターだった。


「キャスリン、おおげさね」

「取って、取ってようっ」

「はいはい、あ、大丈夫ですから」


 アイリーンは騎士たちを制すると手慣れた様子でキャスリンの頭にくっついていたスライムを毟り取った。


「ひいーん、カインさまぁ」

「おっと」


 カインは泣きながら胸元にダイブしてきたキャスリンを抱き止めた。アイリーンはうにょんうにょん動くスライムを両手で掴んだまま呆れたようにいった。


「あのねぇ、スライムなんて別に珍しくもないでしょうに。大げさすぎなのよ」


 アイリーンがいうようにスライムはロムレス全土に分布する別段珍しくもなく狂暴でもない低級な知能しか持たないモンスターだ。

 農村部出身のアイリーンからしてみれば幼いころからよく見かけた生物である。


 スライムは迷宮や沼地に巣食う黒や焦げ茶などのカラーでなければたやすく御せる貧弱な生物であった。


「スライムなんてよちよち歩きの子供でも怖がらないわよ。強い酸を出すのは濃くて汚い色をしたのに決まってるわ。ほら、この子なんて薄い紫でおとなしい種類よ」


 アイリーンがいうように紫色をしたパープルスライムは抱っこされたまま、特に反抗することもなくジッとしていた。

 これらクリアカラーはダンジョンに巣食うゲルとは違う。

 犬猫よりもはるかに従順で害のない種類だった。


「ふぅん。アイリーン、そいつをちょっと見せてくれ。ほう、綺麗なパープルだな。色が澄んでいる固体は馴致しやすく賢いって聞いたことがあるが。おい、スラ公。私はカルリエの領主代行だ。おまえが悪さをしないなら別段イジメたりもしないから安心しろ。おい、ジャスティン。そこの菓子をひとつ取ってくれ」


「あ、はい」


 カインは砂糖をたっぷり使った焼き菓子をつまむとパープルスライムの前に置いてやった。


 目鼻のないパープルスライムは最初、困ったように身体を震わせると、うにょんと小さめの触手を出して菓子をおっかなびっくりチョンチョンとつついてみせた。


「おまえたちは雑食だろ。森の果実を食うなら甘いものもイケるはずだが。ほら、毒はないぞ」


 カインが手にした菓子をわずかに齧ってみせると、パープルスライムもようやく意図を察し、安心して目の前の食物を体内に取り込んだ。


 それから甘みがよほど気に入ったのか身体をぷるるっと震わせると、カインに対して喜びを示すかのようにうねうねとくねらせて踊ってみせた。


 そのなんとも無邪気な振る舞いが見ていた一同の笑いを誘った。

 メイドたちはころころと笑い、護衛の騎士たちも相好を崩している。


「お、なんだ? かわいいやつだな」


 パープルスライムはカインの手のひらに身体をすり寄せると、慣れた犬のようにまとわりついて離れない。


「よしよし……」


 カインが手のひらで撫でてやるとパープルスライムはぷるるっと震えて手のひらに身体の体重を預けてきた。

 もとよりカインは動物嫌いではない。


 そういった好意の情は種を超えて通じるのか、パープルスライムはぴょんとカインの肩に乗ると「ついてゆきますぞ!」とばかりに、そこから離れようとしなくなった。


「なんだ、はは。おまえは私の家来にして欲しいのか。仕方ないな、ついてこい」


 カインは人差し指を伸ばしてパープルスライムを撫でると目を細めた。


 うにょうにょとパープルスライムはカインの頭にすがりつくと喜悦のダンスを踊る。


 カインはこれまで味わったことのない快感に喜悦の表情を浮かべた。


「ははは、かわいいやつめ」


「カインさま、それ、耳から入ろうとしてません?」


 アイリーンの冷静なツッコミも聞こえないほどカインはこのスライムに夢中になった。



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