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87「散策」

 歳月が矢のように過ぎるほどカインはこの世界で春秋を重ねていなかった。


 時間のうつろいはその者の年齢に比例するとよくいわれる。

 年少の者の一日と老齢の者の一日では感じる幅が違うのだ。

 だが、日々を雑務に追われるカインにとっては一日が常に短すぎた。


 ――どうして一日が二十四時間しかないのだろうか。


「カインさま。今日は晴れて絶好の行楽日和ですね」


 アイリーンが竹籠を抱えて陽気な声を上げた。

 ほかにも、多数のメイドがぞろぞろとカインの背後につき従っており、自儘に「ちょっと気が変わったから」などとは容易にいえない状況になっていた。


 ――どうしておれはこの状況でピクニックなどを楽しんでいるのだろうか。


 無論、こうしてカインがうららかな日差しの中、業務を放って若い女たちとキャッキャッウフフしているのは、蒼い顔をして幾日も部屋に閉じこもっていたのを心配したアイリーンの有無をいわさぬ提案を呑んだからである。


 この一団の最後方には、前回の主犯であるリンダが、額に「わたしはしゅじんをあやつりました」と書かれた札を張りつけながらシュンとした様子で重い荷物を背負っている。

 札が大きすぎて前がよく見ないのであろう、ときどき路傍の石に躓きそうになるが、スカーレットがリンダの手を引いて誘導している。


「ほら、ちゃんと歩く。カインさまにこれ以上迷惑をかけない」

「う、ううう。偉い人に訴えてやるうう」

「カインさまより尊い方はここにいない」


 リンダはスカーレットにぴしぴし叱られながら呪詛を吐きつつもずりずりと重たげなザックを背負って行進を続けている。


 ことがことだけにカインもリンダをかばおうとはさすがにしなかったが、武士の情けで後方を振り向くのはやめておいてあげた。


「ま、たまには身体を動かすのも必要かな」


 遠出といっても屋敷から半日ほど歩いた小高い丘が目的地である。

 当然、村からも離れておらず、あちこちに警備の目が光っているので危険度は高くない。

 唯一、気にかかるのは先日屋敷内に堂々と攻め入った刺客の存在だ。


 彼らに関しては、騎士たちに発破をかけてゴライアスが目を皿のようにして領内を見回っているおかげか、あれからとんと音沙汰はなかった。

 散策といっても整地された道を歩くだけのことだ。


 足弱であるメイドたちも楽々ついてくることができるルートだった。


 樹々は村の人たちの手によって剪定がされており、梢でさえずる小鳥たちの歌声はぼんやりと聞いているだけでも事務仕事に疲れたカインの頭脳を癒すのに効果的だった。


「空気もうまいし。たまには人のいうことも聞くもんだな」


 隣を歩くアイリーンがカインのひとりごとが聞こえたのかニコニコとしている。


「森にゆくとすがすがしい気分になりますね。カインさまのお気持ちがほぐれればと思いまして」


「樹木がフィトンチッドを放出しているからな。空気は綺麗だろう」

「ふぃとん……?」


 アイリーンたちメイドが大きな目をしばたかせて戸惑う。


「あー、なんというか、森の樹木からは常に周囲を殺菌・消臭する効果のある精気を発しているんだよ。ホラ、森の中は農村地帯と同じく動物たちの死骸や排泄物で満たされているのに嫌な臭いがしないだろ」


「確かにカインさまがいうとおり、田畑から漂う独特の臭気が森にはありませんものね」


 ガートルードがコクコクとうなずきながら同意する。


「取れたての木の皮で食物を包んでおくと長持ちするのは、樹木から発する清明な気が飲食物を腐敗から守るからなんだ。同様にフィトンチッドは自律神経を安定させて、脳から出るアルファ波の発生を促し、内臓機能を安定させるといわれている……は?」


 カインは自らの内に籠りながら蘊蓄を垂れ流していることに気づき、周囲のあまりの静けさに顔を上げると語りを聞き入っていたメイドたち全員がポカーンとした顔をしていた。


(しまった。ついつい、この世界にないであろう知識をベラベラと)


 従者の常であり、主人の言葉をなんとか読み取ろうとしていたメイドたちは一様に困惑を露にしていた。


「さすがカインさまですね。王都で磨かれた学問と知識はわたしたちメイド風情が理解しえないものですが、その泉の一端に触れられるだけで果報というものです」


 スカーレットが如才なく上手くまとめると、メイドたちはキャッキャッと歓声を上げて褒めちぎりだした。


「そ、そうですっ」

「森ってよきものなのですね」

「カインさまってば物知りー」


 あからさまにヨイショをされれば、白けて頬を引き攣らせるのも致し方ないことであるが、そこはさすがにメイド娘たちの独壇場である。


 かわいらしい娘たちに囲まれてくどいくらいに延々とおだてられればいい気分になってしまうのが男というものだ。


「まあな」


(敢えて乗せられてやるか。しかし、批判者がいなければこの状況で育った貴族は嫌でもバカ殿に育っちまうのは無理ないな)


 貴族教育の弊害に思いを馳せるカインは、昨今、あまり思い返したことのない王都の教育係であったサムスンの姿が脳裏に浮かんでいた。


 ――そう考えるとわざとらしすぎる飴と鞭を使っていたあの男は有能だったというわけか。


 武芸師範であったサムスンはあからさまな褒めちぎり方でカインの増長を防いでいたと思えば、それはそれで貴族の子弟を育てるということに長けていたのだろう。



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