86「三日天下」
「なっ」
アイリーンは反射的に扉を閉めて今見たことをすべてなかったことにしたかったが、背後の男どもが捨てられた仔犬のような目つきですがってくるのでそれはできなかった。
「はろはろー」
リンダは特注の椅子にのけ反り返って座っており、その隣ではカインが巨大な団扇をひらひら動かし扇いでいた。
テーブルには南国の産と思われる果物から、アイリーンが見たこともない山海の珍味が並べられ、部屋にはかつてなかったはずの高価そうな調度品がズラリと並んでいる。
「どったのアイリーン? オモシロい顔になってるよ」
「あ、あなたね。これは、どういうことなの?」
一応はメイド服を着ているが、布地の質が最高級品なのだろう。リンダの光沢のある衣の艶は離れていてもすごいとわかった。
指にはなぜか特大の宝石が埋め込まれた指輪を残らず嵌めている。どうみても屋敷の仕事をするのには不向きだと思われた。
「どゆことって、カインさまがあ、アタシのために買ってくださったのよ。ねー」
「ねー」
カインがアホっぽい声で相槌を打つ。
アイリーンはめまいがした。
あきらかにカインの様子はおかしすぎた。完全に主従が逆転しており、これまで確かに感じられた気品や威厳がカインの全身から取り払われていた。
「カインさま、これはどういうことなのですか? お仕事を放り出してリンダと遊んでばかりでは、領民たちが困ってしまいます」
「私は一向に構わん」
「ってカインさまがおっしゃってるよ。もーう、アイリーンは空気読めなさすぎ。カインさまは、アタシをお妃さまにしてくれるんだもんね」
「なにを馬鹿な――」
「うん、するする。リンダは私の正妻にする」
「んなっ」
カインは団扇を放り投げると、豪奢な椅子に座ってスカートの裾をまくって脚を露にしたリンダの腿に頬をすりつけていた。
「お気を確かに持ってくださいカインさま。病気になっちゃいますよ!?」
「誰の脚が汚物なのよっ! てか、ひどくない? あ、ふふーん。アイリーンってば、ヤキモチ焼いてるのお? ごめんねぇ、カインさまはアタシに夢中なの。ね、カインさま」
「うむ、そういうことだ。てことで、とりあえず出て行ってくれ。話は後日な」
「ちょ――?」
アイリーンは呆然としているほんのわずかな隙を衝かれると襟首を掴まれ部屋の外にポイと放り出された。
「は!」
気づけば廊下の絨毯の上にお姉さん座りの恰好で硬直していた。周囲の男衆から放たれる気の毒そうな視線にカッと頬が熱くなる。
「ふふんのふん。ここは真に寵愛第一のわたしたちの出番のようですね」
「です」
「あなたたちは――」
顔を上げるとそこには双子の姉妹であるリースとライエが腕を組んで胸を反らしていた。
「アイリーン、あなたはカインさまの寵愛ナンバーワンを誇っていたようですが、それは一巻までのお話。二巻に引き続き三巻のヒロインはわたしたち姉妹が勤めさせていただきますよ」
「……? なんの話?」
「ふふっ。リンダのような端役に愛しのカインさまのお側役は務まりません。まあ、そこで見ていてください。若さと瑞々しさが詰まったわたしのナイスボディを目にすればカインさまの気の迷いなど一瞬で晴れますから!」
「姉さま、ちょっと?」
リースはいきなりメイド服を脱ぐとなぜか水着姿になって蠱惑的なポーズを決めた。
「なんでいきなり脱ぐのですか姉さま、はしたないですよ!」
「ライエだってお堀で泳いだときバシッとカインさまの前で決めてたじゃないの。姉は悔しいから作った」
アイリーンは唖然として開いた口がふさがらない様子だった。セバスチャンたちはさすがに主人の寵愛する少女をまともに見るのは不敬だと感じたのか目を逸らしている。
「さあ、カインさま。ぴっちぴちなリースを前に正気を取り戻してくださいませっ」
かわいらしい声で駆け込んだリースであったが、ほとんど間を置かずに尻を蹴り上げられて部屋から追い出され、バタンと勢いよく扉を閉められた。
「間に合ってます」
感情のないカインの声――。
リースは顔面から毛足の長い絨毯に倒れ込み起き上がってこない。よほどショックだったのだろう、顔を埋めたまま嗚咽が漏れていた。
「姉さま……」
ライエの姉を気遣う声。
ズレ落ちたヘッドドレスが物悲しくころりんと廊下に転がっている。
執務室からは勝利を確信したリンダの高笑いが響いた。
「おほほのほー」
完全勝利だ。
リンダは足元で猫のようにゴロニャンと腹を見せるカインを見下ろしながら、勝利の美酒を味わっていた。
自分よりもはるかに信頼を置いていたであろうアイリーンや双子の姉妹にも目もくれないカインは完全に手のひらの上だ。
ワイングラスにたゆたう液体を口に運びながら指先すべてを飾る宝石リングにうっとりする。
「にがっ……」
リンダはおこちゃま舌なので酒精は受けつけず眉間にシワを寄せた。
「ま、いいわ。これからのカルリエはアタシの時代。カインさまの寵愛のもと、すべてをひれ伏させてあげるわ!」
だが、リンダの作った惚れ薬はその三〇分後くらいに普通に効果が消え失せカインは正気に戻った。
三日天下であった。
「ううう、頭が痛い」
カインは溜まりに溜まった書類に目を通し、片っ端から決裁すると惚れ薬のせいかいまだに鈍く痛む頭を抱えながら、気分転換に外へ出た。
玄関口をしょんぼりとした顔のリンダが箒を動かしている。首には「わたしはあるじさまをあやつりました」と書いてある看板がぶら下がっていた。
本来は領主であるカインに一服盛った時点でかなりの重罪なのである。
だが、すべてをわかっていてリンダからかおうとした負い目もあり、罪一等を減じてひとりで屋敷のかなりの部分を清掃を行うという軽い罰で落ち着いた。
「ううう、あんまりだよー。あ、カインさま。ふぐっ!」
「サボらない。とっとと手を動かす」
リンダの首には紐がつけられておりサボろうとするとスカーレットがそれを制した。
――すまん、今回はなにもしてやれん。
カインはほかの家人の手前もあり「たしゅけて」とすがってくるリンダを黙殺して通り過ぎた。
庭を歩いていると、鍬を担いでいたジェフとゆきあった。
「あ、坊ちゃまお散歩だべか」
「おお、そういえば今回はみなに迷惑をかけてしまった」
ジェフは基本的に人を批判しないのでカインは今回の事件のあらましを鬱憤を晴らすがごとくダーッと喋り散らした。
そうしていると、カインが秘本によって自ら惚れ薬の試験体にした二匹のムク犬が寄ってきてぐるぐるとうれしそうに周りを走る。
「しかし、なんであの惚れ薬がこいつらで試してときは効かなかったんだ? 錬金秘本によれば人間以外にも強烈に作用するはずなのに」
「坊ちゃま、この二匹に惚れ薬使ったんで?」
「そうだが」
ジェフは丈夫そうな白い歯を見せて豪快に笑った。
「なにがおかしいんだよ」
「いや、悪かったべ。だけんど、惚れ薬が効かないのは当然だべさ」
「なんで?」
「こいつら二匹ともオスだべ」
カインはその場でひっくり返ったのはいうまでもない。