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82「日常陥穽」

 ――血の臭いだ。


 あれだけの傷で遠くまで逃げることはできないだろう。


「飛んで火にいる夏の虫よ」


 不気味な声だった。


 ゾッと背中に氷を入れられたような不快感を感じ、カインは声の方向を確かめずに横っ飛びに跳ねた。


 一瞬の直感が生死を分けた。


 カインが立っていたすぐそばをもの凄い速さで鋼鉄の爪が駆け抜けた。


 室内から外に出ると闇の濃さが身に染みた。


 転生してから十年以上経つが、現代日本を知っているカインからすれば灯火ひとつない闇夜の恐ろしさは、こんなときだからこそ実感できた。


 刺客は暴風のように荒れ狂いカインを仕留めようと攻撃の手を休めず鉤爪をブンブンと振り回す。


 カインは後方に跳躍して攻撃をかわしながら、庭の一角にある築山に上った。


 ――今だ。


 カインはこんもりとした築山の上で土に足を取られたふりをして、わざと仰向けに倒れこむ。


 チャンスとばかりに一気に距離を詰めた鉤爪男が獣のように築山へと這い登る。


「だがな――」


 招かれざる客よ。

 ここをどこだと思っている。


「私の庭で好き勝手させると思うな!」


 カインは鉤爪男の突きをかわしすと地面に転がりながら手のひらを叩きつけた。


 錬成は一瞬で為された。


 大地に含まれた鉄の成分を錬金術で変換した光が輝く。


 鋭い槍が大地から無数に生えて鉤爪男の身体を刺し貫く。


 足の爪先、脇腹、股間、腕、胸板、顔の側面。


 数か所をカインが錬成した槍で破壊され鉤爪男は絶叫を長く響かせた。


 カインはこのような侵入者に備えて得意の錬金術の効果を高めるため、築山を含めた庭のところどころに大量の鉄粉を埋めて武器錬成の精度を高める工夫を行っていた。


 通常の土で行う錬成は成分にある鉄分を利用して道具を錬成するが、あらかじめ土中の鉄分が多ければ効果はより発揮される。


 それが見事に決まったのだった。


「カインさま」


 リースとライエが駆け寄ってくる。


「心配するな。私は問題ない」


 ――だが、やりすぎてしまった。


 捕らえて自分を襲わせた黒幕の正体を吐かせなければならなかったのに。


 咄嗟のことで手加減ができなかったカインは自分の臆病さに臍を噛んだ。


 覆面を自らの血で黒々と染めた男の命はすでに儚くなっていた。


 カインは自分の顔をつるりと撫で上げると深く嘆息した。


「申し訳ございません。カインさま、男の容貌や所持品からは身元が割れそうなものはなにひとつございませんでした」


 数刻後――。


 屋敷周辺の夜回りから戻ってきたロックを交えてカインは現場の実況見分を行っていた。


 ロックは申し訳なさそうな表情でカインにこの短時間で調べてわかったことを報告していた。


 カインの脇にはセバスチャンが控えている。一見していつもと変わらぬ落ち着いた表情に見えるが、瞳に深く怒りの炎が灯っているのをがわかった。


「坊ちゃま。屋敷をお預かりしておきながらの失態。ただ、処罰はこの賊どもの頭目を討ち果たしてからにして頂きとう存じます。勝手ながら、この老骨に猶予を」


 よほどに悔しかったのだろうか。セバスチャンの握られた拳はあまりの力に爪が手のひらに食い込み、わずかに血が流れ出ていた。


「セバス。あまりに気にするな。今日はたまたま護衛が手薄になっていた」


「しかし、このようなことはお館さまご存命のころから一度たりとてないことでした。なんたる不祥事――!」


 ロックに屋敷を見回らせたことによって、屋敷の警備のほとんどの者が深い眠りについていたことが判明した。


 これらは侵入者がなんらかの方法で屋敷内の警備を無力化したことを意味する。そういったことでカインは今後の屋敷における警備体制の見直しを図られることになった。


(だが、侵入者の輩どもは大きなミスをしたな。今後はこちらとしても対策を立てやすい。私を的にかけるならば、一撃で葬るべきだった。それを後悔させてやるぞ)


 カインは騎士たちを感情をあらわにして騎士たちを責めることはなかったが、内心、自分の命を狙われ屋敷内でやりたい放題されたことに関してひどく腹を立てていた。


「あるじさま」


 パタパタとライエが中庭のあちこちに焚かれたかがり火に照らされて近づいてくるのがわかった。


「どうだった?」

「家人で怪我を負った者はひとりもおりません」


「ジャスティンは?」

「おいいつけどおり、あるじさまのベッドに寝かせております」


「ん。それでいい」


 ――無理に起こして余計なことを教えないほうがいい。


 記念すべき夜が無体な刺客に奪われたと知ればジャスティンがどれほど傷つくかとカインは憂慮したのだ。


「今夜のことは彼女に黙っていろ」

「ジャスティンさまのことを気遣ってですのね。あるじさまはなんとお優しい」


 うっとりとしたようにライエは目を細めてカインを見つめている。


「まぁ、な」


 まったくもってジャスティンは運がなかった。彼女が今夜の呼び出しをどれほどまで心待ちにしていたかは、メイドたちの聞き取り調査で嫌というほど思い知らされた。


「そりゃま、そうですよねぇ。思い人のご主人さまとロマンチックにあれやこれやと思い浮かべていた、その鼻先を不意に金槌で殴られたようなものですもの」


「リース。頼むから、不穏当なことをいわないでくれ。私が誤解される」


「ええと、カインさま。続きをお話ししてもよろしいでしょうか?」


「ああ、ロック。続けてくれ」


「刺客の男の顔は人相を消すためでしょうか、激しく切り刻まれた痕があり、これでは依然から見知っている者でも判別がつかないでしょうね」


「うわぁ、グロ」

「リース。いちいちめくって確認しなくていいから」


「男の両腕は生まれつきなのでしょうか。非常に長いですね。立ったまま膝より下にきます。痩せてはいますが、相当に鍛え上げて絞ったのでしょうね。それと気になることが、ひとつだけ」


「なんだ?」


「肩の部分に、刺青がありました。古い時代のロムレス語で【七】を意味します。おそらくは、男が所属する暗殺ギルドの符丁のようなものでしょうか。明日の朝になれば、こういったことに詳しい部下を呼び寄せて改めて調査を行いますので」


「ナンバリングか。いい予感はしないな」


 だが、ナンバーがあるというのであれば、当然、ほかの刺客もいると考えるのが妥当だ。つまりは大本を取り除かない限りカインは狙われ続けるだろう。


(正直、身がもたない)


 心中でひとりごちた。


「まあ、頭の痛いことだ」


 カインは領地経営だけではなく正体不明の刺客を放った謎の暗殺ギルドにも頭を悩ませなくてはならなくなった。


「カインさま、ため息をつきますと幸せの天使が遠ざかりますよ」


 リースが大げさな身振りで宙に片手をすべらせ「ぴゅーっ」といいながら幸せが過ぎ去るさまを演じた。


「放っておいてくれ……」


 リースの肩をぐいと押す。


 彼女はなぜかニコニコ微笑むと頬をカインに擦りつけてきた。


 やめさせる気力もなく、そのままにさせた。


 ロックの生暖かい視線が気になったが、今夜の気力は尽きかけていた。


 カインはストレスが増大したことを、ひしひしと胃の腑のあたりに感じ取り全身がさらに重くなる。


 じきに夜も明けるだろう。

 そして慌ただしい領主代行の一日がまた始まるのだ。


「ああ、また寝る時間が」


「わたしとライエが添い寝してあげますから。たまにはお寝坊もいいものですよ」


 リースの能天気さを分けてほしいと、芯から願うカインであった。



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― 新着の感想 ―
[一言] るろ剣の番外編に出てきた腕の長ーい刺客をふと思い出した。
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