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81「鉤爪の刺客」

「とりあえず彼女が傷つかないようにやんわりと諭せばいいんだろう。おい、オプレア。まだ、そこにいるんだろ? なんとかいったらどうなんだ」


 カインはジャスティンを部屋に呼びつけたあと、なぜか激しく後悔していた。


「なあ、オプ公。ちょっとだけでいいからアドバイスをくれないか?」


 語りかけるがオプレアからの返答はなかった。


「留守か」


 先ほどまでいたオプレアはカインの問いかけにまったく応じず、気配は微塵も感ずることができない。


 いればいるで鬱陶しくも感じるが、ちょっとした助言を貰いたいときにはまったく姿を見せない地母神を不敬ながらカインは心中で激しくコキおろしていた。


(てか、そもそもなんで領主代行であるおれがいちメイドであるアイリーンに指図されねばならんのだ。そりゃ、ジャスティンに告白を誤解させるようなセリフを吐いたのは悪かったかもしんないけど、不可抗力だろ。だいたい、あいつらちょっとばっかり、いや、かなり自分がかわいいのを鼻にかけて調子に乗りすぎじゃね? いや、壁を感じるほど素っ気なく奉られるよりもフレンドリーに来てもらったほうが、うれしいのは確かだが。だいたい、今はそういうことをするつもりはなくても、将来的には、つーか数年後には全員おれのものなんだろ? どこからも問題がでないというか、おれがメイドたちを、その情けをかけるのは功徳というか。あー、なんか頭ン中グチャグチャになってきた)


 カインはベッドに腰かけながら自分の心を整理しようとして失敗していた。


「だいたいジャスティンはドストライクなんだよなぁ……ひうっ?」


 ついつい地の自分の口調で呟いたところで部屋の入口が小さく三回ノックされた。深夜の不意になる音は心臓にくる。


 ノックの音は護衛の騎士がジャスティンの到着を知らせる合図である。


「お入り」


 きい、と扉が開いてジャスティンが姿を現した。


「こんな夜遅くにすまない。少し、おまえに話があってだな」


 カインがベッドから立ち上がるとジャスティンはゆっくりとした歩みで距離を詰め、唇を釣り上げて薄く笑った。


「う」


 それはあまりに蠱惑的な笑みだった。薄くルージュを引かれた唇はぷりぷりとしていてカインの視線は自分の意識とは別に動かせなくなった。


 強烈な吸引力だ。薄暗さも手伝ってか、妙な気分で胸が激しくどっどっと鳴った。アイリーンと比べると、年上のジャスティンの色香は圧倒的に優っている。


「お、おい、ちょっと。私は、おまえに、話をだな――うぷっ」


 情けないことであるがカインは詰め寄ってきたジャスティンから後ずさりをしていくうちに、ベッドに追い詰められてのしかかられる形になった。


「え、えっとだな。落ち着いて聞いてくれよ? 昼間の話はだな」


 ふんわりとジャスティンの美しいブラウンの髪が顔にかかる。カインは女性独特のなんともえいないいい匂いに包まれて窒息しそうになり目を白黒させた。


「ジャスティン?」


 わずかに彼女の顔が離れて視線が絡み合う。カインはジャスティンの瞳に涙がわずかに浮かんでいることに気づき、瞬時に喉の奥がカラカラになった。


 ――ヤバい。


 ジャスティンから離脱しようと身体をねじるよりも早く、彼女は腰に忍ばせていたナイフをおもむろに振り上げた。


 この距離ではどうすることもできない。


 思考よりも早く硬質な音が鳴って刃物が宙に舞ったのを見た。


「そこまでです!」


 ジャスティンはナイフを弾き飛ばされて振り向くのが遅れたのか、次の瞬間首筋に手刀を喰らって再びカインの上に崩れ落ちた。


「って、リース! いつの間に?」


 リースは短剣を構えたまま純白のメイド姿にほっかむりをしていた。


 問いかけるよりも早く、双子の妹のライエはジャスティンをカインから「うんしょ、うんしょ」と引き剥がすとベッドの上に仰向けにした。


「こんなこともあろうかと、忠臣であるわたしたちはベッドの下に控えていたのです」


「嘘だろ」

「嘘です」


 リースは舌をペロッと出すと、指先で目のあたりにチョキを作りウインクした。


「姉さま」


 ライエが困ったような声を上げる。


「ふーふふ。昨今の事情から鑑みて、わたしはカインさまが噂のジャスティンを閨に呼ぶと見抜きめったくそに邪魔してやろうかと、いや、もとい、カインさまの御身を守るために潜んでおりました」


「おまえ、いってることがメチャクチャだな」

「うふ。それがわたしのチャームポイントですよ」


「姉さま、あまりあるじさまを困らせないで」

「とかいってる場合じゃないな」

「はいです」


 ジャスティンはリースの当身を受けて気絶していた。


 カインがそっと近寄って確かに息があることを確認しようとするとリースが爆ぜるように飛んだ。


 頭上から降りかかる強烈な殺気。


 室内を照らす燭台のほのかな明かりに白々とした鉄の光が躍った。


 反射的に凶悪な殺意からジャスティンを守るようにカインは覆いかぶさった。


 同時に短剣を振り上げたリースが天井から飛びかかる異形に鋭い一撃を加えた。


 ぎいん


 と硬質な音が響いて黒尽くめの男がベッドから離れた場所に着地する。


「無礼者。ここをご領主の寝室と知っての狼藉か!」


 火の出るような声音でリースが誰何した。


 先ほどまでカインとじゃれ合っていたときとはまるで違う声である。


(刺客か。心当たりがありすぎて誰の差し金か見当もつかないな)


 全身を黒い布で覆った異形の男は覆面から赤い舌をチロチロと伸ばしながら笑った。


 獣のように四つん這いである。

 背格好から大男ではない。


 どちらかといえば痩身であり膂力があるようには見えないが、やたらに長い人間離れした両腕は昆虫を思わせるようで見る者に自然と恐怖感を与えた。


 カインは素早く枕元に忍ばせてあった護身用の短剣を引き抜くと構えた。


 異形はその両手に大きな鉤爪を装備していた。


 虎や獅子でさえ容易に引き裂きそうな巨大な鉤爪はカインの私室の足首までに埋もれそうな毛足の長い絨毯をギリギリと引き裂いている。


 カインが素早く視線を動かすと鉤爪男の背後を短剣を構えたライエが陣取っている。


 入口の扉は開け放たれている。


 ――時間が経てば屋敷の者がすぐに駆けつけてくる。


 そのカインの思考を読み取ったかのように鉤爪男は床を蹴って大きく跳躍した。


 迷いのない動きは間違いなくカインひとりを的に絞っている。


「させません」


 だが、リースは果敢にも打って出ると大の男でも躊躇しそうな怪人の鋭い鉤爪を手にした短剣で軽々と打ち返した。


 双子であるライエも姉を助けるために打ちかかるが異形の鉤爪は空気を鋭く割って間合いに入らせない。


 ――考えろ。


 護衛は部屋の前にいた。


 特別な腕利きというわけではないが、それでもカインが選び抜いた騎士の技量がそんじょそこいらの刺客に後れを取るとは思えない。


 まずは、目の前の敵を排除する。


 カインはコンマ数秒で思考を切り替えると私室にやってきた招かれざる客を撃破するために精神を集中させた。


「どいてろ!」


 カインは叫ぶが早いか壁に飾ってあった先祖伝来の槍を掴み鉤爪男に突っ込んだ。


 待ってましたとばかりに鉤爪男は全身のバネを使ってリースとライエを振りほどき躍りかかってきた。


 だが、カインの狙いは最初から槍でまともに戦うことではなかった。


 カインは突きを放つと同時に槍の成分を分解させ再構築させた。


 十八番の錬金術――。


 穂先の部分が溶けたように広がると瞬く間に男の鉤爪の片方に巻きつき絡んだ。


 男は覆面の下であからさまに表情筋を動かし口元を歪めた。


 ――ここだ。


 カインは鉤爪男に、刹那の瞬間だけ隙が生まれたのを見抜いた。


 この攻撃には実際的なものよりも鉤爪男の意表を突くことに力点が置かれていた。


 咄嗟の錬成では穂先を構成する鋼に十分な硬度を得ることができず、男が冷静に前に進む意思を見せればあるいは本懐を遂げることはできたかもしれない。


 だが、人間は予期せぬ状況で想定しえない行動を見せられると本能的に退いてしまう。


 鉤爪男もご多分に漏れず「ギョッ」としてカインに打ちかかる勢いを自分の身体を硬直させることで殺してしまった。


 ――だが、それだけで十分。


 背後に回っていたリースとライエの姉妹は無防備になっていた鉤爪男の背中を深々と短剣で切り裂いたのだ。


 男はくぐもった声で悲鳴を上げると、それでも戦う意思を捨てずに振り向きざまに鉤爪を振るった。


「遅い」


 リースは情け容赦なく微塵の情も零すことなく鉤爪男の左手首を切り払った。


 ゴロゴロと男の手首は凶悪な武器ごと絨毯に転がった。


「さあ、キリキリと吐いてもらいますよ。カインさまを襲えと命じた黒幕の正体を」


 素早く鉤爪男の首元に短剣を突きつけたリースが今にも舌なめずりしそうな歓喜の表情を見せた。


 仰向けになった鉤爪男の胸元を少女であるリースの細く長い脚が押さえつけていた。


 スカートから露になった足には白いストッキングが映えている。


 細く可憐な太ももがチラリと垣間見えてカインはこんな状況だというのに、思わず目を逸らしてしまいそうになる自分を心中で罵倒した。


 鉤爪男は表情の見えない覆面の下でわずかに「コカカ」と痰を吐くときのような嫌な声で啼いた。


「わたしが女だからただの脅したと思っているの」


 酷薄な声でリースは告げると手にした短剣の切っ先で鉤爪男の喉笛を裂いた。


 スッと皮膚が裂けて血が流れ出る。

 刃は男の喉笛深くまで埋まっている。

 カインはリースの横顔を見た。

 感情を排しきった冷徹なものだ。


「いいなさい」


 だが、男はニィと野太い笑みを浮かべ、すぐさま自ら首を横に激しく振って深く喉笛を掻き切らせた。


 霧のような真っ赤な血がパッと舞った。


 この場で殺すつもりはなかったのか、リースは反射的に身を引いた。


 その隙を見逃さなかった男は口中に溜めた血液をリースに向かって吹きかけた。


「くっ」


 リースは咄嗟に片腕で自分の顔をかばった。

 刹那――。


 致命傷ではなかったかのように男は腹の上からリースの脚を弾き飛ばすと、瀕死とは思えない身のこなしで窓を割って中庭に飛び降りた。


 窓ガラスが盛大に割れる音が屋敷内へと大きく響き渡る。


 カインはこれだけ派手に格闘をして変事に誰ひとり気づかず部屋に駆けつけないことから鉤爪男を追うのであれば今の戦力しか望めないことを、持ち前の戦術眼で読み取った。


「リース、ライエ。フォローを頼む」

「了解」

「お任せください」


 カインは鉤爪男を追って躊躇なく中庭に飛び出す。



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