75「普請」
石灰鉱山を手に入れたカインは騎士たちを引き連れ屋敷に戻った。彼らを一時的に近くの村々に分かれて泊らせ股肱となるべく、養い、鍛え、食わせる。
――食わせるものが英雄である。
カインは古代中国における覇者の条件をひとり思い浮かべていた。
戦争においては数でしか表現されない彼らであるが、人間ひとりの面倒を見るのは猫の仔を貰ってきたというわけにはいかない。
飯を食わせ、寝る場所を用意し、着るものも用意する。
まっとうな騎士として養成するにあたっては、体力を保持するために訓練を行い、容儀を整えるためには給金も必要だ。
――それだけのことをやったとしても裏切るときは裏切る。
そこに人間を使うときの難しさがある。カインに信頼のおける有能な参謀がいればこのようなことに気を遣わず、ある程度は肩の力を抜けるはずであったが、そこまでの人材はまだ見つかっていなかった。
「国を為す根幹は人。そのために金はいくらあっても足りるということはない」
手のひらをじっと見る。
――嗚呼、常に金銭に悩まされる我の人生は如何とす。
カインは天に向かってひとり嘆息した。
おまけにこの悩みはほかの誰に相談することもできない。
主人としてはやってあたりまえのことであるからだ。
現在は連れてきた騎士たちを屋敷近くの村々に分散させてお茶を濁しているが、それも限度がある。
いつまでも村々に負担を押しつけるわけにもいかない。
カインはなけなしの財布をはたいて、屋敷のすぐ側に騎士たちが居住できる詰め所の建築をゼンに命じた。
「ホイきた。任せてくださいよ」
奴隷という境遇であっても、頭の切れるゼンは持ち前のコミュニケーション能力とフットワークの軽さを生かして瞬く間に近隣の村から大工を掻き集めて建設を開始した。
カインの下に集まって来た若者たちは村でも持て余し気味であった二男三男ばかりなので、無料で住める詰め所が建つとわかれば、力仕事を進んで手伝い工事は思った以上のスピードで進んだ。
「労働力はこと欠かないな」
カインの腹積もりでは、基本的にカルリエ領の経済が立ち直るまでは軍縮の予定であった。
兵備は金食い虫だが、ことに至って慌ててもどうにもならない。
いざというときに自分の手足となって働く者たちはやはり必要である。
それは今回の石灰鉱山における蛮族討伐で再認識できた。
(徳川家康が必要とした股肱の三河武士団のようなものがおれにも必要なのだ)
無駄な過剰兵力は必要ない。
だが、ほどよく鍛錬された騎士たちはコストパフォーマンスに優れている。
緊急時に招集した雑兵を使いこなす指揮官は重要だ。
「とでも思わなければこれ以上の出費に自分の精神が耐えられそうにないな」
かんこんかん、と木槌の音が響く現場を見回りながらカインはどこかウキウキする気持ちを抑えられなかっ
た。
(なんというか。新築の木材の匂いってのはいいな。気持ちが沸き立つ)
経費を思わなければという理由もつく。
カインは木霊す槌音を聞きながらその場にジッと立ち尽くした。
「経費なんか嫌いだ」
「あの、どうかなされました?」
「おわっ」
不意に背後から声をかけられカインはギョッとして飛び退いた。
慌てて振り向く。
そこには呆気に取られた表情をしたジャスティンが口元をそろえた指先で隠していた。
「カインさま。いくらなんでもそれはひどうございます」
「いや、すまない。ちょっと気を抜きすぎていたな。おまえが悪いわけじゃない。許せ」
「ええと、その、わたしも本気でいっているわけではありませんので。そのように取られますと、少し悲しいです」
ジャスティンはそういうと目元を手のひらで隠しながら「しくしく」と擬音語を口に出して泣き真似をした。
「わかった。別におまえと距離を必要以上に取ってるわけじゃない。私もメイドたちと親しむのはやぶさかではないからな」
「まあ。それではわたしのことをアイリーンと同じくご寵愛くださるということですか」
「あのな。絶対にからかってるだろ」
「まさかまさか」
といいながらもジャスティンはわずかに舌をちろりと出して見せた。生半可な容姿の女性がやれば噴飯物であるが、美貌の彼女がやるとまるで映画のワンシーンに思えてしまうほど嵌っておりカインはそれ以上なにもいえなくなった。
「私だって怒ることもあるんだぞ」
「え、お仕置きですか。それはもう、ご勘弁くださぁい」
ジャスティンはどこか楽しげに自分のスカートの裾をつまんでフリフリ揺らすと、意味深な目で木陰のほうをチラ見している。
「わかった。降参。私の負けだ」
「本気ですのに」
「日の高い内からやるような戯れじゃないな。仲直りしようジャステイン。私は喉が渇いた。熱いやつをひとつ頼むよ」
「お任せください」
目を細めて上品に笑う。カインは自分が貴族であることも忘れてジャスティンの優雅な立ち振る舞いと、小さくなる背中をボーッと眺めた。
「そしてお待たせいたしました」
「早いな」
まもなくジャスティンは茶器一式を台車に乗せて運んでくる。カインは家人に椅子を運ばせるとそれに腰かけながら、大工たちの普請の様子をジッと眺めた。
「職人の方々は本当に器用でございますね」
「飯の種だからな。あそこまで技術を習得するのにも長い年月と苦労があっただろう」
「ふむぅ。手に職、というのはやはりうらやましいですね。わたしにはありませんから」
「ジャスティンは紅茶を淹れるのがうまいじゃないか」
「いえいえ。この程度は自慢にはなりません」
「でも、私が同じものを淹れろといわれてもちょっとできないぞ。ジャスティンは茶の淹れ方は誰に習ったんだ?」
「母でございます。田舎の母は若いころ王都における大身のご貴族さまのお屋敷で奉公いたしておりました。都育ちのカインさまにいうのものお恥ずかしいのですが」
「ふぅん、いいじゃないか。これほど上品な茶は中々飲めない。これからも私の茶はずっとジャスティンに淹れてもらいたいな」
「え、ええ!」
「……?」
カインはジャスティンが急に驚いた声を出したのでわずかに立ち上がりかけた。
(なにか、様子が……)
常日頃は冷静そのものでなおかつ雪のように白いジャスティンの頬が紅潮していた。
「いや、でも、そんな、急に。心の準備が」
「は、なに?」
「し、失礼いたします」
そういうとジャスティンは茶器の載った台車を音を立ててガラガラ押しながらあっという間にその場を去っていった。
「は?」
わけがわからない。
メイドのあまりに突拍子もない行動に普請を続けていた職人たちが一斉にカインへと視線を向けた。
だが、なんといっていいかわからない。カインが椅子に座ったままひらひらと軽く手を振ると職人たちは親方に怒鳴られながら作業に戻っていく。
カインはズコーといささか下品な音を立てながら茶を啜ると滋味あふれる香気をいつもどおり楽しみながらも、ジャスティンの突如とした意味不明な行動に理屈をつけようと頭をひねった。
「あ……」
しばらく経ってカインはカップを下す場所がないことに気づき、困惑した。