74「宴」
カインは早急に屋敷のセバスチャンへと早馬を飛ばし、鉱山を差配する役人を招き寄せると、新たに加わった地元の騎士たちの村へ悠々と凱旋した。
青年騎士たちの鼻息は至って荒かった。その誰しもが、二男三男の持て余しものであり、両親や家督を継ぐ兄からは邪険にされ、暇さえあれば村の娘に手を出し蛇蝎とはいわないまでも敬して遠ざけられていたのだ。
「父上母上、やりましたぞ。カインさまの下で、このおれが武功を!」
「おお、我が息子よ。ワシはそなたが必ずや、なしとげてくれると信じておったぞ」
「ああ、マーティン。母はあなたのことを誇りに思いますよ」
「カインさまは私にお声をかけてくだすったのですぞ! マーティンこそは、忠勇なるカルリエの騎士であると!」
と、騎士たちが家族に自慢すれば、そこは純朴な僻村の下級貴族たちである。
「おお、そうなのですか! カインさまっ!」
(ま、多少はな)
「その通り。マーティンこそ我がカルリエの騎士の中の騎士である」
言葉だけならばタダだと割り切ったカインが調子を合わせるとそれだけで純朴な田舎騎士たちは、童子といっていいほどの馬上にあるカインを生き神の如く仰いで感動に打ち震えながら跪くのみである。
また、騎士たちはミコマコ族を倒し心の余裕ができたおかげで、それまでは遠ざけていたユージェニーに対し心から謝罪し、自らの不明を詫びた。
(うむうむ。仲直りができてよかったネ)
「で、お決まりの宴会か」
とにもかくにも田舎騎士たちの両親は宴を開くとカインを全力で歓待した。未だ年少であるカインは酒が飲めぬといってあるにもかかわらず、次から次へと酒精を杯に満たし――中身は傍らに立つゴライアスが処理した――それを断るのは閉口したが、それよりも困ったのが女を勧められることであった。
まだ十一にしかならぬカインであっても女を抱いて当然という勢いで、十代半ばから二十代までの娘を公然と勧められるのは、いかんともし難い。
「カインさま。わたしは兄上が随身したカインさまのご武勇を是非お聞きしたいのです」
そういって胸元にメロンをふたつギュギュっと詰め込んだ、濃い化粧が似合わない貴族娘にすり寄って来られれば身体が伴わぬカインは歯噛みするだけである。
(生殺しってやつだ。せめて十年後まで肉体も飛べないもんかね)
「そういう話はだな。そこにいるゴライアスに聞くとよい」
「ええ? 俺ですかい?」
「あら、こちらも頼み甲斐のありそうなお方ですね」
カインはなんとかゴライアスにすり寄って来た娘の数人を任せて数を減らすことに成功するが、その程度で収まるものではない。
「カインさま」
「だーめ、カインさまのお話は私が聞くの」
「なら、アタシだって」
「カインさまのお情けを受けるのは私ですわ!」
「ちーがーいーまーす。わたしですっ」
「だからな。私はそういうのはまだ……むぎゅっ」
四方から押し寄せる胸の圧力で窒息しそうになりながらも、命からがら逃げだしたカインは「これならば蛮族と戦っていたほうがはるかにマシだ……」と強く思っ
た。
宴会場を出てバルコニーに移る。室内は人いきれがㇺッと籠り汗ばむほどであったが、初春の夜は寒く感じるほどだった。
夜空には満天の星が銀砂を撒いたように散らばっている。どうやら主賓であるカインが逃げ出したことには気づかれていないらしい。
あれほどまでに痛飲していれば無理もないだろう。このような田舎で出す酒が上等なはずもないが、三級品の祝い酒でも多量に呑めば幸福な心持ちになるものだろう。
転生する以前のカインは酒が飲めなかったわけではないが、社畜ゆえのつき合い酒が多かっただけにプライベートで嗜むほど好きでもなかった。
「おっと」
靴のつま先になにかが当たり足を上げるとバルコニーにはすでに酔い潰れた客がゴロゴロと転がっていた。
(イビキもかかずに。この世界の人間は誰しもが強靭だな)
カインが纏っていた外套を酔客たちにかけていると、背後のカーテンがわずかに揺れたのがわかった。
ユージェニーだ。蟲使いの女はカインの顔を不思議なものを見るような目でジッと見つめている。
「どうした? 少しは楽しめたか」
「カインさまは、いつもお優しいのですね」
「ん。ああ、これか。春とはいえ夜は冷える。このままではかわいそうだろう。悪いがメイドを呼んでかけものを持ってくるようにカインがいっていたと伝えてくれないか」
「それは構いませんが。カインさま、一杯だけつきあっていただけませんか?」
上目遣いでユージェニーがグラスを差し出して来る。
銘柄のないこの土地の地酒だ。
カインは自分が年少だという理由で宴席での酒を飲むことは控えていたが、どこか心細そそうに自分を見るユージェニーを前に自分のこだわりが酷くくだらないものに思えてならなかった。
「うーん、酒か」
「お酒はお嫌い?」
「そういうわけではないが……まあ、たまには飲んでみるか」
月明かりに映じたグラスが静かに震えている。
それは手にしたユージェニーの腕の震えが移っていたからだった。
(酌をするのに緊張しているのかな)
「あっ」
受け取り損ねたグラスが転がって寝こけていた騎士の頭に落下し割れた。
「うーん、むにゃむにゃ」
だが深く泥酔している騎士は夢うつつのまま酒で濡れた自分の頬を舌でぺろりと舐めてどこか満足気な表情を見せるだけだった。
(いや、起きないのかよ)
そのまま見ていると騎士は割れたガラスをガチャガチャ音を鳴らして噛み、食べはじめそうになったのでカインは慌ててよけてやった。
「すみません、無作法な真似を」
「ああ、気にするな。代わりなら、ホラ、この男が飲んでたやつがあるから」
キュッとユージェニーの唇がすぼまる。これはどういった感情なのだろうかと、瞬間、思い悩んだが特にユージェニーが反応しないので差し出した酒瓶が宙ぶらりんになり、いささか気まずい気持ちなった。
「あ、お注ぎいたします」
「悪いな。催促したみたいで」
「でも、新しいグラスを用意しませんと」
「そこので構わん」
(どうせ形だけだからな)
カインはユージェニーの酌でグラスの酒精を一気に呷った。香りを楽しむとか美味いとか、考える余裕はなかった。生の地酒は思ったほどきつくなく、現代日本の酒に慣れていたカインには薄く感じた。
無言のままグラスを揺らすとユージェニーが急いでお代わりを注ぐ。さらに口に含む。今度は一気に飲み干さないで口腔で味わった。
「ん。飲み口はそれほど悪くないが」
グラスを置く。
「量を呑めば悪酔いしそうだな」
声を出さずに薄くユージェニーが笑う。カインは隣に立ったミニマムサイズの彼女であれば釣り合いは取れているなと妙なことを考えた。
「怪我の具合はどうだ」
「はい。カインさまによくしていただいておかげで、随分と助かっております」
「ひとつ聞くぞ。その怪我は何者かに襲われたのか?」
ユージェニーの表情が途端に曇った。
「いや、いいたくないのなら別にいい。その、なんだ。行く場所がないのならば、我が屋敷に来ればいい」
戸惑ったようにユージェニーは視線をさ迷わせた。
「あの、カインさま。わたしはあなたさまの思っているほど若くはありませんよ?」
――一瞬、彼女のいっている意味が理解できなかった。
ユージェニーは頬をわずかに染めて視線を落としていた。
(ああ、ああ、ああ。じゃなくてダナ)
「それに蟲使いですし……」
「いや、そんなことは関係ない!」
「え、関係ないって……」
「だからだな。だいたいおまえは幾つなんだ」
「はい、残念ですね。今年で二十四になります」
「若いじゃないか」
「……」
(いや、違くてだな。これじゃあおれが困った女性につけ込んでモノにしようとしている変態狒々オヤジじゃないか。いや、精神年齢がオッサンなのは間違いないんだが)
「あの、カインさま。蟲使いといってもわたしのカラダは普通の女と代り映えしませんよ。小柄なのは、わたしの家系が代々そうであるというだけですし」
「あのなあ。ともかくだ。傷が治るまでは我が屋敷で養生してゆけ。いいな!」
「はい……」
ユージェニーは目を丸くすると、小さくクスッと笑った。
ワガママをいう子供を見る母親のような目だ。
(斉の孟嘗君も各地から特技に秀でた食客を招いて諸侯の尊敬を集めたというし。うん、彼女の能力もなにかの役に立つかもしれん)
このカインの直感はピタリと当たり、ユージェニーは以後幾度となく主を救うことになるとは招いた本人も知らなかった。