73「音色」
潰走寸前であったミコマコ族は奇声を上げながら、あたりに転がる騎士たちを傷つけている。
憤怒の形相で戦斧を薙いでいるゴライアスが獅子奮迅の勢いで味方を助けているが、その動きはいつもを知るカインからすれば目を覆いたくなるような鈍重さであった。
(音だ。この奇妙な眠さは音にある。それをなんとか止めなければ全滅だ)
そうは思うのであるが、今のカインはなんとか意識を保ったまま座り込んでいるので精一杯だった。
カインを守ろうとしている騎士たちも唇を噛み千切り、あるいは自らの身体に刃を振るってなんとか正気を保っているが、そう長くはもたないだろう。
カインはナイフを引き抜くが自分の腕に突き立てるのを迷った。
(ダメだ。キリがない。なにか手はないか、なにか――?)
少々の痛みでは意識の覚醒は難しい。
そう思わせるほど鳴り響く音の力は絶大な効果を発揮していた。
混戦状態の続く中、騎士たちを体当たりで撥ね飛ばしたミコマコ族の戦士が喜悦に染まった表情でカイン目がけて剣を大上段から打ち下ろして来る。
咄嗟過ぎて得意の錬成も間に合わない。
――ここまでなのか?
だが、救いは思いもよらない場所から現れた。
ユージェニーである。彼女は子供よりも小さな身体で蛮族の剣を手にした笛で受け止めると唇を尖らせた。
ぷぷぷ、と音が鳴って蛮族が顔を手で覆ってたたらを踏む。含み針だ。彼女は口元を尖らせてミコマコ族の戦士を撃退するとカインの窮地を救ったのだ。
「カインさま。ここはお任せを」
「ユージェニー?」
カインが答えるよりも早くユージェニーは奇妙な形をした横笛を吹き鳴らした。
そして笛の音色の効果は覿面であった。
鈴のような音はユージェニーの笛に掻き消されたのか――。
なにひとつ聞こえなくなった。
同時にカインを悩ませていた奇妙な倦怠感と強烈な睡魔は遠くへ走り去っていた。
「よくわからないが。今がチャンスだ。ゴライアス、敵を撃滅せよ」
「お任せを!」
こうなると騎士たちの純粋な力はミコマコ族を凌駕していた。ゴライアスは電光のような動きでミコマコ族を残らず捕斬するとたいした時間もかけずに、敵の首級をカインの前に並べて見せた。
「しかし、あの妙な音はなんだったのだろうか?」
「カインさま、あれはねぼけ蟲と呼ばれるものです。ミコマコ族はねぼけ蟲を操ってカインさまの騎士たちを眠らせて混乱状態に陥らせたのです」
「ねぼけ蟲?」
「独特な羽の音でときに人の意識を眠りに導きます。とはいえ、作為的に相当の数を集めないとこれほどの状況で意識を奪うことは難しいでしょうね」
ユージェニーはそういうと首実検で並べられていた蛮族の顔にしゃがみ込み、耳の穴からおがくずのようなものを取り出した。
「遠くで独特の音が聞こえました。なのでわたしは対策をあらかじめ……」
「なるほど。ミコマコ族はねぼけ蟲を奥の手に取っておいたのか。で、自分たちは耳をふさいで眠気を催す音色を遮断した。けれど、ならば最初からこの蟲を使えば私たちは抗することなく全滅させられていただろうに」
「熟練した技術がなければ素人が蟲を扱うのは難しいのです。彼らもイチかバチかだったのでしょう。現に、広場よりも高い坑道の近くで戦っていた騎士たちは蟲の音色の効果が薄く善戦しておりました」
「けれどユージェニー。おまえは私の兵というわけでもない。なぜ、わざわざ助勢してくれたんだ」
「いえ、カインさま。わたしは蟲使いでございます」
「知っているが?」
「……」
「……」
「え?」
「え?」
ユージェニーはどこか居心地の悪そうな仕草でカインから視線を逸らしていたが、しばらくすると「ええいままよ」といったように両腕の拳をグッと握りしめて口を開いた。
「わたしは卑しいとされる蟲使いの身分でございます。しかしカインさまはそのわたしを一度も見下すことなく、傷の手当てを自ら施すばかりではなく、ひとりの女として尊重してくれました。また、蟲たちに対しても慈悲を忘れぬ高徳のお方と存じます。わたしは、カインさまのお助けになるのならば、なんでもしたいと思ったのです」
「あ、うん、わかった。とりあえずは傷を治してからだな」
ちょっとしたアクシデントはあったがカインは石灰鉱山を平定した。領主の許可を得ずにカルリエ領の地を横領していた蛮族を残らず平らげたのである。
なし崩しについて来たとはいえ、武芸に優れた若き騎士たちの幾人かはカインの股肱となり武功を樹てるのであるが、それはまた未来の話である。