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71「蟲治療」

「ユージェニー。それよりもおまえ自身の身体の具合はどうなんだ」


 カインが知る限り、昨晩手当てを行った彼女の創傷は浅手ではない。


 痛みと熱とで起きているだけでも億劫なはずだ。


 ユージェニーは一瞬驚いたような表情をしてカインの顔を真っ直ぐ見た。


「どうした?」


「いえ、カインさま。今はわたしの傷などよりも傷ついた騎士さまの身体をご心配なさるべきでは?」


 ユージェニーにいわれるまでもなくカインは瀕死のアルノーを誰よりも案じていた。


(だが、粗野にして蛮であり、勇たるものをもっとも信望する騎士たちの前で仮にも主であるおれが女々しくそれを口にするわけにはいかない)


 単純に婦人のような情をかけるわけにはいかないカインであった。


「そのようなことをおまえが気にすることではない。そもそも軍使は常に危険を伴うものだ。アルノーもそのあたりのことは先行承知済みで自らこの役を買って出た。我が騎士たちに臆病者などひとりもいない」


 ゆえに、心とは真反対である言葉を紡ぐと案の定、萎えかけた騎士たちは怖れを振り払うかのように、口々に自分を自分で鼓舞し出した。


「そうだ!」

「アルノーはおれたちの勇者だ!」

「ミコマコ族をぶっ殺せ!」


 打ちひしがれていた騎士たちが火炎の如く怒りに燃えて怒号を放った。


 未知なる恐怖をミコマコ族の怒りに変える――。


 そのことで握る剣に力が籠り戦闘においては実力以上のものを発揮できることを、カインは戦場で学んでいた。


「とはいえ、ユージェニーよ。アルノーの受けた毒を治療できるのならば是非ともお願いしたい。私は勇者を尊ぶ。しかしだ。彼のように見どころのある若い騎士ならばこの先も私の覇業に力添えを貸して欲しいと思うのは人として当然だろう? 私には勇者が必要なのだ。頼めるか、ユージェニー」


「カインさま、助けられると思ったからわざわざ口を挟んだのですよ。けれど、ひとつだけ約束してください。わたしの治療方は特別なので、なにがあっても決して邪魔をしないで欲しいのです」


「わかった」


 カインが目配せをすると騎士たちは仰向けになったアルノーから一斉に離れた。


 まるで訓練を受けた犬のように整然とした動きだった。


 ユージェニーはその場に跪くとアルノーの矢傷を丹念に調べはじめた。


「幸か不幸か矢傷はどれも致命傷をはずれています。ならば、彼を蝕んでいるのは毒が第一の問題です」


 ブツブツと呟くユージェニーは背負っていた背嚢から茶褐色の陶製の瓶を取り出した。


(大きさは五〇〇ミリペットボトルくらいか?)


 カインがしげしげと瓶を見つめていると、ユージェニーが開いた瓶の口からもぞもぞと鮮紅色の蟲が無数に這い出て来た。


(ヒルか?)


 うぞうぞとした蟲の正体はカインもよく知るヒルであった。のたくるヒルはユージェニーの白く細長い親指に乗るとくねくねと不思議なダンスを踊った。


「げえっ、やっぱり蟲だ!」

「この女、やべぇぞ!」


 怯えた騎士たちが悲鳴を上げながらさらに距離を取った。


「テメェら、騎士だろうが。蟲くれェでおたつくんじゃねぇや!」


 ゴライアスが怒鳴ると剣を抜きかけていた幾人かが踏み止まる。だが、ユージェニーは騎士たちの騒ぎなど目もくれずにジッとヒルに視線を送っている。


「お願い。あななたちの力を貸してちょうだい」


 その囁き声が聞こえたかのようにヒルたちは一斉に行動を開始した。あの小さな瓶のどこに潜んでいたかと思われるほど膨大な量のヒルはわらわらとアルノーの身体に向かって進むと、ぐんぐん傷口に群がりちうちうと吸血を行いはじめる。


(そういやヒルに悪い血を吸わせる療法があることは聞いたことがある。この女が自在にヒルを操ることができるならばアルノーの身体から適切な量の毒だけを吸い出すことができるのかも知れない)


 さすがは蟲使いである。


 ユージェニーが放ったヒルたちは瞬く間にアルノーの身体から毒の混じった血を吸い上げると、コロコロに太って地面に転がり出した。


「あとは矢を抜いて通常の処置を行えば十中八九命を拾えます」


「よし。おまえたち、この勇者を決して死なせるなよ。戸板を持ってこい」


 カインが命ずると騎士たちはたちまち番人小屋から担ぐための戸板を調達してアルノーを運び込んだ。


(クソ。あっさり済むかと思ったが、案外と手強いな)


 両腕を組みながらカインは騎士たちに用意させた椅子に座ると、眉間にシワを寄せた。


 時刻は太陽が中天に差しかかっている。

 初春だというのに、やたらと冷え込む。


 空には分厚い雲がかかりはじめ、地に差す陽光は次第に狭まった。


 視線を転じる。


 ユージェニーはその場に突っ立ったままジッと地面のヒルたちに視線を注いでいた。


「気持ちワリィ蟲どもだぜ」

 うねうねと踊るヒルを見かねた騎士のひとりが靴底を勢いよく叩きつける。


「やめて!」


 真っ黒な血が地面を汚したと同時に、ユージェニーは火がついたように叫んで騎士の腰を突き飛ばした。


「な、なにをしやがるんだ!」


 だが、馬を責めて体幹を鍛え抜いた騎士がその程度で倒れるはずもない。小柄なユージェニーは逆に撥ね飛ばされると犬の仔のようにころんと転がった。


「汚らしい蟲などカインさまのお目汚しだろうが。始末をしてやっているというのに」


「この子たちは騎士さまを助けるため、わたしの頼みを聞いて命を捨ててくれたのよ! ヒルたちだって毒の混じった血なんか本当は吸いたくないのに! それを、酷い!」


「なにをワケのわからねぇことを……」


 顔を真っ赤にした騎士がなおもユージェニーを蹴転ばそうとしたとき、カインは厳かに手を上げて止めた。


「やめろ。一寸の虫にも五分の魂。ユージェニーの言葉通り、その蟲たちは命を懸けてアルノーを救ってくれたのだ。畜生であっても恩人には違いなかろう。彼らをまとめて葬ってやれ」


 カインがそう命じると忠実な騎士は言葉の中に思いを感じ取ったのだろうか、素直にヒルたちの死骸を集めてすぐそばの木の下に塚を作って葬った。


(不思議なくらいにこの者たちはおれのいうことだけは聞く)


 それが自分に対する当然の態度であると、カインは勘違いなどしない。彼らは盲目的にカルリエ家の血に従っているに過ぎない。


 この忠良さが永遠に続くと考えていると足元をすくわれるのはいうまでもないだろう。


 カインは常に結果を求め続けられる領主代行の重責に肩が重くなった。


「ユージェニー、すまない。騎士たちの無作法は私の責任だ。後日、この場所にキチンとしたものを建てるゆえ、今回は許して欲しい」


「いや、その、ありがとうございます」


 黙ったまま目を見開いていたユージェニーは声を震わせながらそういうと、跪いてカインを祈りはじめた。


「あのなあ、私を拝んでもなんのご利益もないぞ」

「いえ……」


 騎士に命じて毛皮を用意させユージェニーをそこに座らせた。



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