70「石灰鉱山」
騎士アルノーの言葉通り件の石灰鉱山は徒歩で半日ほど移動した場所にあった。
「かつては村々でかなり手広く石灰を掘り出し日用に役立てていたらしいのですが、ミコマコ族がやって来てからはサッパリです」
アルノーは栗毛の馬に乗ったまま、目の前の鉱山を指差し遠くを見るような眼をした。
「へへへ。カインさまにゃあ悪いがこちとら腕がなまってやがんだ。勝手にカルリエ家の土地を横領した悪党なら腕の振るい甲斐があるってもんよ」
「ゴライアス。あくまで穏便にだぞ」
「わーってますって」
と、いいながらもゴライアスは巨大な戦斧を持つ手のひらにつばきを吹きかけてすべり止めにしてやる気は充分であった。
「カインさま。まずはいいだしっぺのわたしが土地の案内人を連れてミコマコ族と交渉して来ます」
「大丈夫なのか?」
「はぁ。聞けば土地の者たちとはわずかに日用品を物々交換しているらしく、彼らからすればまったく話が通じないというわけではなさそうです。おとなしく退去を促してみます」
「頼む。それと鉱山の採掘を手伝うのであれば、日当は払うしこの先山に住むことをある程度許可するとカインがいっていたと伝えてくれ」
「は」
いうが早いか黒髪の青年騎士は、今や古ぼけて年代を感じさせる山の道を案内人を連れて駆け登ってゆく。
「ちぇー。ま、カインさまのいう通り無駄な血が流れなきゃそれはそれでラクなんですがね」
「ま、茶でも飲みながらゆっくり待とうか」
鉱山の入り口にあるかつての番人小屋であったものに腰を据えてカインたちはアルノーの帰りを待った。
ほどなくして――。
「カインさま、チキショウ。やっぱりあいつらやりやがった」
「どうした」
様子を見て来ると鉱山に向かったゴライアスが火の玉のような激しい呼気を吐き出しながら、狭い間口に頭をぶつけ血相変えて駆け込んで来た。
聞くが早いかカインが黒山のひとだかりを分けて踏み入ると、そこには全身ハリネズミのように矢を受けたアルノーが仰向けで倒れたまま紙のように真っ白な顔をしていた。
「アルノー、交渉は不成立か」
「す、すみませんカインさま。アイツら話を聞くふりをして茶に毒を……」
「カインさま。矢傷は見た目ほど酷くないんですが、矢じりにも毒が。チクショウめ!」
カインは跪くとアルノーの額に手をやった。
火のように熱い。
(生半可な薬でどうにかなるものじゃないな)
どちらにせよ危険な相手の交渉は得るものも大きいが失敗した場合はリスクも大きい。
「慈悲を……」
息も絶え絶えにアルノーはそれだけをいうのが精一杯だった。
「カインさま。勇者をいつまでも恥さらしにはしておけません。できねぇんだったら、この俺が」
「いや、始末は主人である私が――」
「待って」
ざわり、と騎士たちの塊が大きく揺れ動いた。しっとりとした落ち着いた女の声。鉱山の遠征に連れて来た女性といえば、ただひとりだけである。
「わたしならば、その人を助けられる」
灰色のローブを着た子供かと見紛うほどの小柄な女性は、昨晩カインが助けた蟲使いであった。
腕自慢の騎士たちは強烈な忌避感を持って遮ることなく、その場を空けた。
「そういえば名前も聞いていなかったな。私はカルリエの領主代行カインだ」
「ユージェニー。あなたたたちが忌み嫌う蟲使いよ」
そういって薄っすら笑う女の薄い唇を凝視したカインはえもいわれぬ壮絶な色気を感じ、雨に濡れそぼった犬がやるようにぶるると大きく全身を震わせた。