69「ローブの人物」
カインはゴライアスと馬を駆って領内を巡った。時間はそれほど残されていないので、主な村々を回るのが精一杯であったが、確認できたことは一様に農村は痩せ衰えていた。
無理もない。ただでさえ放漫な祖父と父の経営で借金は積み重なり、場当たり的な政策で隣領の乱入まで招き、先ほどようやく大部分の内乱を鎮めたばかりのカルリエ領は、治安こそ回復しつつあったが、みなが飢えていた。
「ああ、ご領主さま」
「生きているうちにお会いえきるとは思いませんでした」
まだ少年であるカインの姿を目にした農村部の領民は染みひとつない高価な絹の服を目にしただけで感涙にむせぶ。
カインの領内視察はあくまで「視る」だけにとどまっており、具体的な恩恵はなにひとつ与えていないのであったが、今までなにひとつ希望のなかった領民たちはこぞって拝みにやって来た。
領内の群盗を平らげ鬼のように恐れられていたパラデウム派のほとんどを駆逐したカインの威明は領内に轟いており、僻地に近づくほどそれは貴さを増した。
カインに対する世俗の輿望はあまりにも大きい。
この場合、カインの幼さは弱さに繋がらず、むしろ真っ新な布地のように下々の者へと明るい未来を期待させた。
「まさかここまで農村部が荒れ果てているとはな」
七日の視察を終えたカインは引き留める豪農たちの求めを片っ端から断ってゴライアスに指示して野に陣を張った。
つき従う騎士は徐々に増え、屋敷を出たときは十数名であったのが、今では一〇〇を超えるちょっとした軍に編成されていた。
飲料や食物は騎士たちが自前で持参しているので問題はないが、たかが村周りには過ぎた数である。
(だが、彼らの純粋な目を見ると帰れともいい難い)
騎士たちのほとんどは、二男三男でありいうなればそれぞれの荘園の厄介者ばかりである。
土豪と判別がつかないほどの下級貴族においては土地と財産を相続できるのは長男だけであり、それ以下のスペアは飼い殺しにされている状態であった。
カルリエで継続的にいくさがない状況では彼らは日々の生活も家長である長男の指示を一方的に聞き下男と変わらない待遇が永遠に続くだけである。
もっともそれだけに救世主と謳われるカルリエの麒麟児であると世に吹聴されるカインに対する尊崇は深くピュアであった。
(ここで放り出しても彼らは他領に出て群盗か傭兵になる道しかないのなら、なんとかおれのところで使ってやりたいが)
ゴライアスの主力であった民兵のほとんどは解散させているので、コストはかからないが、そもそもが練度も強さも充分満足しうるものではなかった。
それが証拠に先の戦いでは装備だけは優っていたが、やはり騎士を中心していたパラデウム軍と比べれば民兵の脆さは事実としてカインの記憶に焼きついている。
「カインさま。水を汲んでまいりました。喉を湿らせてください」
「うん、悪いな」
二十代半ばの青年たちが顔中を泥だらけにして水を汲んでくれば、近くの谷に下りて苦労をしたことは目に見えてわかった。
「馳走になった。美味かったぞ」
「は!」
犬ころのような純真さでカインが喉を鳴らすのを見ると青年たちは頬を紅潮させ、声をかけてやれば尻尾があれば千切れるほどに振っていただろうと思われる感激を見せた。
ゴライアスもカインの信奉者だ。そして農民出身でまだ若い少年領主に心酔するゴライアスが青年たちの懸命さを目にすれば気をよくしないはずがないのだ。
「おまえたち、運がよかったな。カインさまは王都の水を知っていなさるが、ひとたび戦場に出れば神算鬼謀で敵を蹴散らし、賢者のような知恵で領内を蘇らせる生き神さまのようなお方だ。このような高徳なお方に仕えられることを誇りに思えよ!」
「はいっ!」
――いや、まだ誰も家来にするとはいっていないのだが。
「カインさま、不審な者がこのあたりをうろついていたので連行して参りました!」
威勢のいい声に視線を向けると、そこには若い騎士たちが小柄な灰色のローブを羽織った人物を両脇から抱えて立っていた。
騎士たちはみなが一様に十代後半から二十そこそこだろう。まるで猟犬が獲物を咥えて主人の前に現れ「褒めて褒めて」といっているようでカインは無下にも扱い兼ねた。
「このような野天に居るならばただの旅人かもしれんぞ」
フーッとため息を吐くとゴライアスがいつでも飛び出せるようにカインの隣に進み出て若い騎士たちにいいつける。
「面体を改めよ」
体調でも悪いのかローブの人物は容易く地面に組み伏せられると覆っていたフードを剥ぎ取られた。
――若い娘じゃないか。
異様なまでに小さい身体なのでホビットのような亜人種かとカインは思い込んでいたが、容貌からすれば普通の人間だろう。青白い顔をしてウェーブのかかった前髪がはらりと流れているが、露になった面貌は端正である。カインの目を引いたのは、幼げな顔立ちの右頬にはかなり特徴的な稲光を思わせるようなジグザグの入れ墨が大きく入っていた。
「コイツ、蟲使いだ!」
押さえつけていた騎士たちははいうが早いか手を離して飛び退いた。
(蟲使い?)
ゴライアスも騎士たちと同様にやや表情を引き攣らせていたが、むしろ身体は娘からカインを守るように前に進み出ていた。
「カインさま。悪いことはいいません。今すぐコイツは放り出しましょう」
「ゴライアスよ。彼女はいったいどういう素性の者なのだ」
「蟲使いですよ。俺もそれほど詳しいわけじゃねぇがカルリエじゃ少なくとも諸手を挙げて歓迎するようなやつらじゃねぇ。土地のじさまたちから聞いた話によると、こいつらはひとっところに住まないで、蟲を使っていろんな悪さをするって……とにかく胡散臭いやつらでさ」
(ゴライアスや土地の騎士たちがこれほど嫌うってことは、ジプシーのような移動型民族みたいなものなのか? 蟲使いってのは、王都でもほとんど聞いたことがないな)
「まあ落ち着け。見れば、この娘はあまり体調がすぐれないようだ。誰か、テントに運んで看病してやれ」
カインがそういい放つが、先ほど犬のように従順だった騎士たちはみな嫌がって、逃げ出さないまでも視線を合わせないように怯えていた。
「仕方がない。だが、ひとつだけ聞いておきたいが、この中で彼女に直接害を受けたという人間はいるのか?」
カインが厳かにそういうと騎士たちはバツが悪そうにもぞもぞと身体をよじるだけである。