67「どろんこ遊び」
「あの、先ほどからなにをなさっておいでなのですか」
「土の声を聴いているんだ」
「はぁ」
カインは長方形に掘った土の穴の中で正座し、ひたすら真摯に土と向かい合っていた。
(いや、モノの本にはこのようなことが書いてあったが、たぶん今おれがやってることは違うな。てか、迷走しているような気がする)
とはいえ、ロクに師事する先達もいないのではとにかくひとりでなんでも試してみようの精神で行くしかない。
正解がわからなくても、行動することが今のカインにとっては最善手であると信じるしかなかった。
(とと、脱線したな。スピリチュアルな方向に逝きかけるのはもっと追い詰められてからでよい。もっと物理的な情報を集めるほうが大切だな)
カインは正座をやめると目の前の土の断面を触り出した。頭の上ではアイリーンがはらはらした様子でカインの一挙手一投足を見守っている。決して発狂したわけじゃないからねと伝えたかったがここは我慢である。
「ふーむ」
カインが知る限りでは土壌とは一般的に岩石や火山灰、植物の遺体から構成されるものの総称である。
掘り返した土の断面は黒っぽいものが多く、カルリエの大地は黒ボク土といわれる火山灰を母材とした腐植含量が高いものがほとんどを占めていた。
(カルリエの土地のほとんどはこの目で見て回ったが。こことたいして変わらないな)
黒ボク土は団粒構造で透水性や通気性に優れている。
しかし、酸性が強く活性アルミニウムがリン酸を強く固定するので作物はリン酸欠乏になりやすい欠点があった。
カインは土を摘むと手のひらで弄んだ。
これを見ていたアイリーンはカインが泥んこ遊びを気分転換にしていると勘違いしていた。
アイリーンはかの偉大な領主も年齢的な子供っぽさがあるなとひとちほくそ笑んでいたのだが、カインはそのことを知らない。知らないことが幸せなこともあるのだ。
カインはただ土を掘り返して理屈のない霊感的素養を錬磨していたわけではない。
日頃はほとんど気にも留めなかった土性の判定を己の手指で行っていたのだ。
(確か、かつて読んだ本には土性は指先で摘まんでこすれば、ある程度判別できるって書いてあったな。こうか?)
土壌の性質は耕作にとって重要な要素である。砂の粒子が大きければ水や空気の通りは良好であり、逆に粘度のような土質であるならば水はけは不良であるが地に蓄えられた水分や養分の保持力に優れていることとなる。
日本農学会法によれば土性は五区分、すなわち、砂土、砂壌土、壌土、埴壌土、埴土に分けられている。
作物の栽培にもっとも適しているといわれているのが、この中でも砂と粘土をほどほどの割合で含んだ壌土が最良とされている。
この土性を判別するのは大雑把にやるなら、指先で土をこすり合わせればいい。
人差し指と親指で摘まんだ土をこすり合わせ、固めることができないのが砂土、固めることができるが棒にできないのが砂壌土、鉛筆くらいの太さにできるのが壌土、マッチ棒くらいにできるのが埴壌土、コヨリのごとく細く固められるのが埴土と考えればまず間違いない。
(おし、ほどほどに固まった。カルリエの土は壌土だろうな。悪くはないが。問題は土の質ではなく、この世界の農業そのものにあるんだろな)
「ふむ」
「あ、なにをなさっているのですかっ」
背後のアイリーンが甲高く叫んだ。
「なにを大袈裟な」
アイリーンは狭い穴の中に飛び込んでパッとカインの腕を掴むと、今にも泣き出しそうに顔を歪めた。
「そんなもの食べちゃダメです。お腹壊しちゃいますよ。カインさま! ぺっ。ぺっ、してください。もう、お腹がすいたのならわたしに申しつけてくだされば、すぐに軽食をお持ちしますのに」
「いや、腹が減ったわけじゃないんだが」
カインは指先についていた土を少しばかり舐めてみただけだ。
「とにかくっ。ご領主のあなたさまがそのような真似をされてはわたしたちがロクにお食事の支度もしないと思われてしまいますっ。いいですかっ。わたしが戻って来るまで土食べちゃダメですからねっ」
プリプリと怒って目を三角にしたアイリーンはカインの顔へと人差し指をぴっと突き出した。
「ゆ、指を突き出すんじゃない」
いうが早いかアイリーンは身軽な動きで跳躍すると目を白黒させるカインをそのままにスカートの裾を摘むと屋敷まで疾風の如く駆けていった。
「だから腹減ったから土食ったわけじゃないっての」
カインは身体の土を払うと地上に上がった。すぐ近くに控えていたゼンが床几を持って駆けつけて来る。
椅子に腰を下ろすとゼンが用意した竹筒に入れた水を煽った。井戸で冷やしてあったそれは、嚥下する度に火照った身体を覚ましてくれる。
「ゼン。ゴライアスを呼んでくれ。田畑についてなら私よりもずっと詳しい」
「へい」
ゼンは四つん這いになると素早く走り出した。コボルトの彼が本気を出すには四足歩行が一番スピードを出しやすいのだ。
「カインさま、お呼びでございますか?」
「忙しいところ悪いな」
「いえ、ちょうどウチのやつらにつけてた朝の稽古がひと通り終わったところで。俺にできることならなんでもいってくださいよ」
四十二という壮年で今やカインの陣営でもっとも頼りになる男になったゴライアスは裸の上半身から滝のように噴き出す汗を拭いもせずにその場へと膝を突いた。
「うむ。おまえも知っての通り領内のいくさは一部を除けばほとんどカタがついた。けれど、作付けの前に領内を見回っておきたい。ついてきてくれるか?」
「へへ、任してくださいよ。貴族の儀礼ならちんぷんかんぷんだが、このゴライアスはで喧嘩の次に野良仕事が得意な男でさ」
「正直なところ、私は領主代行といってもカルリエの土地には不案内だ。それに領内の仕置きでもっとも重要なのは農政だ。まごまごして、昨年のように領民たちを飢えさせることだけは絶対にしてはならない。おまえの力を貸してくれ」
「水臭ェじゃないですかカインさま。ひとこと、やれと命じてくれればいいんですよ。俺たちは、その一言で水火も辞さねェ覚悟ですぜ」
「わかった。案内せよ」
「はっ!」
このあと、カインはアイリーンのことを完全に忘れて屋敷を旅立ったので、帰宅時に気まずい思いをするのだが自業自得というものであった。




