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65「熟慮」

「はや?」


 目覚めると目の前にアイリーンの穏やかな顔があった。


「おはようございます、カインさま。ずいぶんとお疲れのご様子だったので……」


 気づけばカインはベッドの上でアイリーンに膝枕をされていた。


 がば、と跳ね起きる。


「きゃあっ」

「うおっ」


 急いで跳び起きたのでアイリーンの下乳に顔が触れてしまった。


 カインは気づかなかった振りをして乱れた髪を手櫛で整えた。


「あ、急に起きられてはお身体によくありませんよ」


 部屋の扉は開け放たれており、直立不動のジェフが槍を持ったまま立っていた。


 無言で睨みつける。


 すぐさま、カインの気を感じ取ったジェフが不格好なウインクを飛ばして来た。


 ジェフのことだ。カインに対して気を利かせてアイリーンの入室を認めたのだろうが、どうも手のひらで弄ばれているようで少し面白くない。


「悪いな。それと膝を借りてしまったようだ。感謝する。君のおかげでよく眠ることができた」


 ――だが、それを態度に出したりするほどカインの精神は幼くなかった。


「いえ、そんな……」


(いや、実際、久々に味わったがリースとライエに比べれば雲泥の差だ)


「どうかしましたか?」


「いや、気にしないでくれ。そうだな。茶を一杯もらえるか。それを呑んだらボツボツ仕事に取りかかろうと思う」


 執務室の机の上には留守にしていた間の決済を待つ書類が山と積まれていた。細かな確認などは、おおよそゼンに任せていたが最終チェックはあくまで領主代行であるカインが行わなければならない。


「わたしがお手伝いできればよかったのですが……」


「気にするな。それよりも人間にはそれぞれ領分というものがある。アイリーンは、アイリーンで今できることをすればいい」


「はいっ、わかりました」


 ニッコリとアイリーンは笑顔で答えると一礼して部屋を出て行こうとする。


「待った」

「はい?」


 くるりとアイリーンが振り返る。快活なシェルティを思わせる動きでカインはその愛らしさに一瞬、目を奪われた。


「その、なんだ……ただいま」


 アイリーンは目を丸くすると、これ以上ないといった幸福そうに微笑んだ。


「おかえりなさいませ、ご主人さま」







 ――これは、思った以上に手強い相手だ。


 リースは浴場で身体を清めたのちに妹のライエを従えて颯爽とカインの下に向かったのだが、部屋の中で繰り広げられるやり取りを窺いながら眉間にシワを寄せた。


 カルリエの屋敷へ到着直後は、美麗なメイドの群れに度肝を抜かれたのであるが、彼女たちの素性が領地の農民ばかりだと知って、どこか安心していた。


 あのときの自分に喝を入れたい。

 香油などを馬鹿丁寧に身体の大事なところに塗りたくっている場合ではなかった。リースがそんなことをしている間にも、伏兵が本陣を急襲していたのだ。


「あの、姉さま。あるじさまにごあいさつしなくてもよろしいのですか?」


「し。静かに」

「はぁ」


 ライエは困惑気味に、それでも姉を真似て壁際に隠れていた。ジェフは黙ったままボーっとした様子で、双子の姉妹のやり取りを眺めている。


 至極、穏やかな空気が流れていた。


 ――あのメイドめ。カインさまに膝枕なんぞしてイチャコラしおって。


 これほどまでに自分は嫉妬深い性格だったのだろうか。リースは大きく深呼吸すると早まっていた心拍数を整えた。


「こんせんとれーしょん、こんせんとれーしょん」

「あの、姉さま。なにをなさっておいでなのですか」

「深呼吸深呼吸」

「姉さま、無視しないで……」


 ライエは涙目になるがリースはそれどころではない。


「とにかくこの状況で割り込んで行ってもダメね。カインさまのお仕事も溜まっているようだし。悔しいけどここは戦略的撤退ね。ライエ、ついてきなさい。部屋で作戦を一から練り直すわよ」


「あの、あるじさまにごあいさつを」


 ライエはどうしてもカインと話したいらしく、未練げに部屋を覗き込もうとしているがリースはそれを許さない。


「いいの」


 リースはライエの手を引いてこの場からすたこらさっさと退散した。カインの平穏なひとときは、こうして一時的にであったが守られたのだ。






「ふーっ。とりあえずひと通り済ませたぞ」


 羽根突きペンを放り投げると窓の外には真っ赤な日が沈みつつあった。カインは胸元から銀製の懐中時計を取り出して時刻を確かめた。


 あっという間に四時間が過ぎていた。雑務に追われていると時間の観念が自分の中から消失してしまう。


 昼前に帰宅して、湯を使ってわずかにまどろんだのち、書類に目を通している間に一日が終ってしまう。


 これだけの時間を使っても、領地についての具体的な対策にはなにも着手できていない。


(焦りは当然あるさ。けど、いくら気張っても仕事が消え失せるわけでもない。牛のような歩みでも、今はひとつひとつ片づけるしかないんだ)


 久々に自分の屋敷で食事をとる。広大な食堂では執事のセバスチャンを脇に控えさせながらカインはゆったりとくつろぎながらナイフとフォークを動かした。


 カルリエの一族に連なるリースとライエもカインの下座に連なって食事を一緒にとっている。


 マナーとして食事中に言葉を交わすことはないが、やたらに視線を投げかけて来るのでカインは適当にあしらった。


 特にリースは身体を張ってカインを救ってくれた恩義があり、無下に扱うことはできないが、今夜はひとりでゆっくり休みながら明日以降の方針を決めたいので、セバスチャンを介してそれとなく深夜の訪問は控えるように伝えた。


 悲しそうな表情を露にするライエに対してリースは感情を表に出していなかったが、ナイフを持った手がカタカタと小さく震えていたのをカインは見逃さなかった。


(悪い、もうちょっと暇ができたら相手してやるからな)


「それではカインさま。わたしども姉妹、今夜はゆっくりと休ませていただきます。よき夢を」


「ああ、おやすみ。なにもない屋敷だがくつろいで旅の疲れを癒してくれ」


 侍女の服装をしたリースとライエに対するカインの待遇はほかのメイドたちとは一線を画していた。


 遠縁であるがカルリエの一族である。祖父に愛妾候補として献上された農民出身のほかのメイドたちとは氏素性が違うのだ。


(おれにはどっちもメイドさんにしか見えんがな)


 貴族に仕える侍女にも格というものが存在する。


 特にほぼ領主といっていいカインに仕える侍女はその土地でも有力貴族の子女であることのほうが望ましい。


 その点からいってリースとライエに対する特別待遇は極めてオーソドックスなものであった。


 執務室に戻って椅子に腰かけ頬杖を突く。夜なので扉は閉められているが、外には不寝番である警護の騎士がふたり立っている。


「領内の軍事的動揺は一部を除いてほぼカタがついた」


 目を閉じてカインはひとりごとを呟く。実際に、西部地区のかなりの部分にパラデウムの手による経済的侵略が着々と進んでいるが、それを表立って咎めることよりもカインにはやらなければならないことがあった。


 領内の農政についてである。


「資金、の問題はとりあえず領内の商人をなだめすかして、ある程度工面するにしてもだ。とにかく、荒れ果てた農地から効率よく作物を収穫する手立てを考えねば」


 カインが調べたところによればカルリエ領はそれほど土地が肥沃ではなく、他領にアッといわせるような特別なものは生産していない。


「穀類は麦、ソバ、トウモロコシ、大豆、蔬菜はジャガイモ、ナス、キャベツとかその程度だな」


 カインは日付が変わる直前くらいまで椅子に座って煩悶したが、特に奇抜なアイデアは思いつかなかった。


 創造的な作業の内のほとんどが徒労に終わるのは仕方がないことである。また、凡人の域を超えない、ただ外見の年齢よりもわずかばかりに実年齢を重ねている人間に瞬発的な智の閃きを次々に要求することも常識的には酷である。


「だが、やらねばならない」


 資金に余剰はなく、収穫の時期を迎えるまでに食糧問題を解決しなくては秋口にはさらなる借金が領民をさらに苦しめるだろう。


 うんうんと唸りながらカインは起死回生の策を考えるが、そのようなものが簡単に出てくれば誰も困りはしないのだ。


「とりあえず今日は寝るか」


 たっぷりと睡眠を取り食事をしてこそ人間は働けるのである。カインは首を左右にコキコキと鳴らしながらベッドに入る。


 睡眠中まで仕事のことは持ち込まないようにと祈ったが、願いも虚しくカインは夢の中で無数の作物に追いかけられた。



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