124「ユージェニー」
「どうしてこんな怪我をしてまで無理をしたんだ」
カインの問い。ユージェニーの瞳孔が大きくなる。カインの視力はカルリエの猟師が驚くほど優れている。闇の中で彼女のただでさえ青白い頬がさらに血の気を失ったのがわかった。
「責めてるわけじゃない。単純に、ただ、理由が知りたかっただけだ」
「覚えてますか。あなたがわたしにしてくだすったこと」
ユージェニーの唇が闇の中で小さく震えた。彼女が命を取り留めたのは、姉であるメリアンデールが秘術を尽くして家伝の薬草を煎じ、夜となく昼となく看病を行った成果だった。
無論、カインは瀕死であったユージェニーを救うために治癒士を呼び集めて、できうる限りの治療を行ったが、最後の決め手になったのはメリアンデールが調合した薬であった。こればかりはカインであっても一朝一夕にはものにはならない技術である、その点においては姉のメリアンデールは天才的な能力を持った本物の錬金術士であった。
「怪我の礼なら姉上にいってくれ。私は、ただ頼んだだけだ」
「もちろん、メリアンデールさまには感謝しています。ですが、わたしの魂を救ってくださったのはあなたなのですよ」
――魂を救う。
大袈裟すぎると笑い飛ばせない迫力が仰臥したままのユージェニーにはあった。
「確かにわたしはミロスの云ったとおり、カインさまを殺めるために命を受けたただの殺し屋です。それは間違いありませんし、抗弁はしないしするつもりもありません。人々に忌み嫌われる蟲使いであるわたしが生きるためには、ほかに選択肢はあまりなかったのです。身体を売るにも生まれつきのこんな貧相なものでは客もつきませんしね。そんなわたしをあなたは分け隔てなく助けてくれました。最初に死に体で近づいたのは、大勢の騎士に守られたあなたに近づくにはそうするしかほかに考えが浮かばなかったのです。あなたは罵倒されるわたしをひとりの女として扱ってくれました。そして、わたしが扱う蟲たちに嫌悪感もみせず、篤く弔う情もみせてくださいました。押しかけ客人になったわたしに対しても、時間を作って会いにきていただいたことが、どれほどうれしかったか。年齢など関係ありません。あなたのような方こそ、本当の貴族だとわたしは知ったのです。年増の、こんな器量もよくない半人前のわたしを一個の人間として扱っていただいて、それがそれが、どれほどの喜びであったか。悪女の深情けだと笑ってくださいませ。ただ、あなたさまのためならば、命などいらない。この気持ちは王国のどんな忠実な騎士よりも、わたしのほうがずっと固く強いのです。それだけは覚えておいてください……」
「ユージェニー」
いつになく多弁だ。いや、カインが彼女のことを一方的に無口であると、己の中の枠に嵌め込んで枷をつけて、自儘に思い込んでいただけなのであろう。
彼女の挙動の違和感に初めて気づいたのは石灰鉱山平定後の宴で酒を勧められたときだ。
(あのとき彼女はおれに毒酒を呑ませようとしていたが、上手くいかなかった。毒入りのグラスはおれにツキがあったのかすべって落ちたんだよな。結果として死なずに済んだ。グラスを持つ手の震えは彼女の心の動揺からきていたんだろう。そのあとも重ねて酒を勧めたときに、盛ろうと思えば一服盛れたはずだ。そうしなかったのは、彼女はもうおれを殺せなくなっていたんだ)
――眠ったのか。
額に汗が浮いていた。
体力を回復させるために身体が眠りを欲しているのだろう。
意識はすでにない。
聞こえないのをわかっていて、伝えずにはいられなかった。
「ちゃんと覚えておく。その代わり、おまえはなにもかも忘れるんだ」
耳元で囁いた。
思いの丈をすべて吐き出したのか、室内の灯火に淡く照らし出されたユージェニーの寝顔は安らかなものであった。
カインの脇に控えていた薬師の女が涙目のまま首をふるふると幼児のように振った。
「あとは任せたぞ。なにかあればどのような時間でも構わない。私に教えてくれ」
「はい……」
薬師の女はユージェニーの境遇に酷く同情しているのか、口元を手で覆い隠したまま激しく首を縦に振って応じた。




