104「内密にな」
「で、坊ちゃま。メリアンデールお嬢さまのことは王都のニコラさまには内密に、ということでよろしいでしょうか」
「いきなりバレてますし!」
執務室に入った途端、なんら感情を込めないセバスチャンの言葉を聞いてメリアンデールはかなりの衝撃を受けていた。
「お嬢さまとはご幼少のみぎりから幾度もお目にかかっておりますゆえ」
「姉上。本気でバレないと思っていたのですか?」
「うう、この変装は完璧だと思っていたのに。なんかしょんぼりだよ……」
「いやいやいや……」
「坊ちゃま。お嬢さまのことは家人たちに口止めをしておきましたゆえ、すぐに露見することはありますまいが、それでも人の口に戸は立てられませぬ。早晩、ニコラさまがお知りになることはご覚悟なされませ」
「そうだな。ま、そのときはそのときさ」
「あ、カインくん。わたし、そんなに長い間お世話になるつもりはないから。ちょっとだけお屋敷でご厄介になるくらいで、すぐに――」
「いや、姉上は好きなだけ屋敷にご滞在ください。代行とはいえ私はカルリエの領主です。よいな、セバスチャン」
「は。差し出がましいことを申しました。お許しください」
カインの毅然とした態度にセバスチャンが深々と首を垂れる。メリアンデールはポカンと口を開けたまま呆けたようにカインを凝視していた。
(フッ、どうよこの威厳は。メリアンデールもおれがこの屋敷における唯一無二の主人だと理解できれば、前みたく軽んじた態度には出られないだろ)
サッと乱れた前髪を払ってちょっとだけいつもよりも気取ってみせた。
「す、すっごーい! さっすがカインくんだね。立派になったなあ、お姉ちゃん感心しちゃったよ。ほらほら、いい子いい子したげるから、こっちおいでー」
――なるほど。完全に舐められてる。
「とにかくだ。可能な限り姉上のことはよそさまにバレないようにしてほしい。バレたらバレたでまた考えるから」
「承知しました」
「無視された!?」
――これでとりあえずメリアンデールの件はカタがついた。
「ねえ、ちょっとカインくん。お姉ちゃんはまだここにいるんですけど」
カインは座り慣れた椅子に腰を下ろすと、頬を撫でながらこれから行うべき領内仕置きに関して思いを急速に巡らせはじめた。
「あの、あのー。セバスチャンもどこかに行っちゃって手持無沙汰なんだよな、お姉ちゃんは」
机の上にはカインの決裁が必要な書類が山と積まれていた。
わずかな期間であるが、領地経営から離れて湯に浸かったことで身体に溜まっていたドロドロとした澱のようなものが綺麗さっぱり抜け出て、頭の中は脳みそだけ取り外して清流にさらしたようにスッキリしている。
「ひーん、無視しないで」
カインの集中力は極限まで高まっていわゆる「ゾーン状態」に没入した。
短時間でここまで精神が事務処理だけに集中できるのは珍しい。
矢継ぎ早に書類を目で追い即座に決裁の署名を行う。
周囲の音はゾーンに入ったカインにはまるで聞こえず、書類の文字だけがただひたすら脳へと染み渡ってゆく。
無数の文字と数字。
カインがまるでその場にいるような現場の状況がイメージとして脳裏に浮かび、細々とした我ながらハタと膝を打ちそうな名案が次々に飛び出し、紙片を繰る自分の指の速度さえ遅く感じられた。
気づけば数時間が経過していた。
柱時計を見やると夕食もとらずに仕事をしていたことに気づき、カインは我ながら自分の没頭加減にギョッとした。
「マジか。いつもの数倍の速さで仕事が終わった。気分転換も侮れないな。――あ!」
健やかな寝息に視線を動かすとメリアンデールがソファにもたれかかって寝入っていた。
「マズい、完全に忘れていたな」
思えば、本来のカインはスローなライフを求めていたというのに、図らずも異世界の辺境領主のような真似ごとを行わざるを得ない状況に陥っていた。
(この娘も貴族のしがらみやらいろいろとあるんだろうが、好きなように生きられてうらやましいぜ)
詳しくは知らないが姉であるメリアンデールが婚約者と上手くいかず、ゴタゴタを起こしたという話は小耳に挟んだことがあった。
カルリエ家の末の娘であるメリアンデール以外の姉は全員がすでに良家に嫁いでおり、定まった人生を歩んでいる。
領主のくびきからおそらく逃れることができないであろう自分を思えばカインはうらやましい反面、メリアンデールを応援したい気持ちもあった。
「よく寝てるな」
――せめて、あなただけは好きなように生きるがよい。
寂寥を覚えたカインは白河夜船であるメリアンデールに毛布をかけようと思い立ち室内をぐるりと見まわした。
「ふむ」
かけものはない。
今までになく部屋を開けたためメイドの誰かが仮眠用の毛布を回収したのだろう。
「カインさま、おかけするものはこちらでご用意しております」
「おう、助かった……?」
咄嗟にカインは受け取った毛布ごと後方にぴょんと飛び退いていた。
つんとすまし顔で背後に立っていたのはライエとリースの姉妹である。
(ぜ、ぜんぜん気づかなかった)
「というかおまえら。部屋に入るときは声くらいかけろよ」
「いえ? わたしたちは最初からずっと部屋にいましたよ」
「です」
双子の姉妹は呼吸の合った動きで部屋の隅のカーテンを指し示した。
(マジか? こやつら忍びの者?)
「と、いうのは大騙りで本当は護衛の騎士さまに事情を説明して普通に入室の許可を得ました」
「……」
「すみません、すみません。姉さま、謝ってよ」
無言になったカインを見て妹のリースはたちまち表情を青白くした。
「あ、信じちゃいました? カインさま」
リースはぷくくっと頬を膨らませてさも楽しそうにカインを見つめている。
「……これは本当にお仕置きだな」
リースはいやんと作り声でふざけてみるがカインが真顔のままであることから状況を素早く察して「申し訳ございません、ご主人さま」と生真面目な表情で謝罪した。
こうなるとカインは本気で彼女を罰するわけにもいかないし、半ばリースたちの馴れを諦めかけていた部分もあってため息を吐くのが関の山であった。
「わかった、もういいよ、キリがないしな。それにリースはいっても聞かん。諦めた」
「いぇーい」
「姉さまっ」
「けど、こういうのはここだけにしてくれよな。公の場でこういうことをされたら私もかばい切れないからな」
「カインさま、あまりわたしを見くびらないでください。こう見えても公私の切り替えに関しては自信がありますから」
「姉さまのばかっ。自信満々にそういうことをいわないでよ」
このようなやり取りをしている間にもリースは眠っているメリアンデールが風邪を引かないように毛布をかけ終わっていた。
「ところでこの安い淫売のような恰好をされている方はどなたでしょうか? 僭越ながらカルリエ家のご嫡男としてお遊びの相手も吟味されたほうがよいかと思われますがッ!」
「なんで後半いきなりキレているんだ。ま、おまえらにならいっても問題ないかな。この方は、私の姉上だ」
「でええっ!?」
「姉さま、はしたないですっ!」
「……そう叫びたくなる気持ちはわからんでもないが。姉上は本家から絶賛家出中でな。たまたま湯治宿の村で出会った。父上に姉上が我が屋敷にいると知られるとまた面倒だからな。おまえたちもできる限りでいいから、このことは他言無用ということで頼む」
「え、ええ、ええ、はい」
どちらかというと良家の出身でありながら常識外れの範疇にあるリースであったが、さすがに領主の一族でカインの姉がこんな素っ頓狂な仮装をしていることが認められず、あからさまに目が泳ぎ落ち着きがなくなった。
「なんだ、リースのやついきなり態度が豹変したな」
「あの、あるじさま。姉さまは、その衣服やお化粧に関してはかなり保守的なので、言動はアレですが。なのでメリアンデールさまが、このような……その……恰好をなされているという事実がどうも受け入れられないのですよ」
「意外と保守的なんだな」
「です」
「カインさま。メリアンデールさまはどうしてこのようなはしたないご格好をなさっておられるのでしょうか」
納得がいかないという様子でリースが唇を尖らせている。
「とりあえず放っておいてやってくれ。たぶん、数日したら飽きると思う。それじゃ、私も留守中の仕事が溜まっているから先に休んでいてくれ」
「え……! それってもしかして、ついに、ああついに……! わたしたちで床を温めておいてくれ、と。そういうことですよね」
「頼むから早く仕事をさせてくれ」
ワーカーホリックではないにもかかわらず、このような発言を引き出してしまうリースの存在がカインは純粋に怖かった。




