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 長髪の魔物は未だダメージが癒えていないようだった。しかも、レーコにやられた後に別の誰かと戦った形跡もある。駐屯地から逃げたときには、銀糸があしらわれた黒衣を身に纏っていたはずだが、今はその服がほとんど破れきっていて上半身半裸になっているのだ。


 レーコ曰く、彼は生き人形の魔物ということだったが、よほど精巧なのか腕や肩の関節を見ても人間とあまり変わりはない。


「え、ええと、わしに質問かの? 答えたら帰ってくれるかの? ここで戦ってしまえばお主が無事ではすまんよ?」

「もとより無事で帰ろうとは思っていない。魔王軍から放逐された以上、オレにもはや居場所はない。貴様と相対する上での死の覚悟は済ませてある」

「そうやって自暴自棄になるのはよくないと思うよわし。世の中には楽しいことが一杯あるんじゃからね? 仕事がなくなったなら再就職先を探せばええし、とりあえず気分転換に旅行とか行ってみるのもアリではないかの?」


 長髪の魔物は値踏みでもするような眼でじっとこちらを見て、


「再就職……? まさか貴様、魔王軍に対抗するために邪竜軍を組織するつもりか? そしてそこにオレをスカウトしようというのか……?」

「あ、そんなつもりはないです」

「舐められたものだな。オレの忠義は魔王軍に捧げてある。一員でなくなっても、貴様に寝返るような恥知らずではない」


 イケメンさんは自分で勝手に邪推して、自分で勝手に辞退した。

 押しかけで部下になるとか言い出さなくて本当によかった。


 ところが、次に魔物が放った問いは、わしの予想外のものだった。


「貴様とて、裏切りなどという卑怯な手段を好む小物ではあるまい。邪竜レーヴェンディア。なぜ、同朋であったはずの我ら魔王軍に反旗を翻した?」


 ん? とわしは言葉の意味を数秒間じっくり考える。


「わしが裏切った? 魔王軍を?」

「ああ。魔王様も非常に残念に思われているそうだ」

「またまたぁ。あ、分かっちゃったよわし。これはアレじゃね? なにかのカマかけじゃね? その手は食わんよ」


 アリアンテから以前、そういう風にカマをかけられたことがある。

 このイケメンさんはたぶん下っ端で、わしがそもそも魔王軍なんかではなかったことを知らないのだろう。

 その上で、知ったフリをしてわしから情報を引き出そうとしているのだ。

 こちらは特に有用な情報なんて持ってないのに。


「あくまで答えるつもりはないか……。今すぐに魔王様の配下に戻るならば此度の反逆は不問に帰す御意向であるらしいが、やはり反乱の意志は固いか……」


 実際、そこまで魔王軍に逆らいたいわけではないのだが、どう足掻いてもレーコは魔王を倒すまで止まるまい。


「しかし、甘く見るなよ邪竜。ナンバー2の実力者である貴様が敵に回るのは痛手だが、それだけで瓦解するほど魔王軍の組織力は脆くない」

「本当かのう。組織力のわりに、ナンバー2の素性把握がちょっと雑だと思うんじゃけど」

「皮肉か? 確かに貴様ほどの強者が、易々と魔王様の配下に収まると判断したのは早計だったかもしれんな……」

「そういう意味ではないんじゃけどなあ」


 ともかく、と長髪の魔物は言葉を継ぐ。


「もはや貴様は明確に魔王軍と袂を別ったということだな。魔王様が下賜した貴様の二つ名【天地喰らう大牙】も、もはや名乗るつもりはない――と」

「ちょっと待ってお主、今の二つ名はハッタリにしては独自色を出し過ぎではないかの?」

「ハッタリ……? なんのことだ?」


 もちろんまるで身に覚えのない二つ名だったが、驚いたことにイケメンさんは出まかせを言っているようではなかった。


「あ、そうだ。もしかすると、この前レーコがお主を痛めつけたときにそんな二つ名を言ったのかの?」


 どことなく格好よさげで痛々しいネーミングセンスはレーコに通じるものがある。


「何を言っている? 貴様の二つ名など、眷属から聞くまでもなく魔王軍の中では周知の事実だろう……」


 わしは愕然とした。

 まさか、人間たちに勘違いされていただけでなく――魔王軍の方もわしを本気で幹部扱いしていたのだろうか。


 いや待て。先日、聖女様の町で倒した幹部の精神魔物はわしのことをレーヴェンディアとは扱わなかったような気が……


「あ、そういえばあの魔物はわしの過去を覗いてきたもんの。そりゃまさか邪竜とは思わんか」


 なにしろ草を食っている過去しかなかったのだから。

 あと、実際にわしの顔までは知らなかった可能性もある。傍から見れば、あのときのわしは聖女様と仲良くしているただの大きなトカゲだった。

 毒気のなさからしても【天地喰らう大牙】とかいう存在だとは思うまい。


 そう考えると、末期の彼は魔王軍の中でも数少ない、本当のわしの理解者となっていたのかもしれない。いまさらではあるが惜しい魔物を亡くした。


「貴様の叛逆の意志が固いことはよく理解した。ならばオレが取るべき道も一つ」


 瞬間、長髪の魔物の姿が掻き消えて、わしのすぐ眼前にまで距離を詰めてきた。

 逃げる暇もなく、魔物はわしの巨大な前脚に両手でしがみつき、全身からまばゆいまでの光を放つ。


「オレの命と引き換えに、その爪の一本は貰っていく!」

「お、お主まさか自爆するつもり――」


 ぽすん、と。

 イケメンさんの身体から放たれていた光は、湿気った感じの音とともに消えた。


「――自爆用の魔石は、レーコが砕いとったんじゃないかの」

「そういえば、そうだったな……」


 しばし気まずい沈黙が流れる。

 イケメンさんは既に満身創痍である。ここは一つ、見逃してやるという体でこの場をお開きにしてもよいのではないか。


「お主……ここは引くがよい。わしは弱者をいたぶる趣味は――痛ぁっ!」


 が、長髪の魔物はなかなかプライドが高かった。わしの腹に対して、ヘロヘロな拳をぶつけてきたのである。

 本人としては悪あがきのつもりだろうが、わしにとっては普通に痛い。


 たまらず飛びのいて地面に伏せたわしを、仰天したようにイケメンさんは見る。


「どういうことだ。オレの攻撃が邪竜に通じただと? まさか、この土壇場でオレの隠された力が目覚めたというのか……?」

「そ、そうかもしれんね。そういうケースはありえんわけではないからね。決してわしが弱いとかそういうわけではないからね」


 言い訳しつつ、わしは狩神様から貰った黒い爪を準備した。

 レーコとの手合わせでは岩を弾くことができた。あれが聖女様の指導による邪竜パワーの産物なら、今この場でも身を守る力くらいは発揮できるはずだ。


「ふ、成程。死を覚悟し、この身を燃やすことで得られる最期の力か。オレを作った造物主は粋な機能を備えてくれたものだ」


 一人合点したイケメンさんが地面に手足を付いた獣のごとき四足の姿勢となる。

 そして今にもこちらに飛び掛からんとする獰猛な気配を発する。


 ――そこに。


「うわっ! 邪竜様……だよね? なんか大きくなってるけど、それが本当の姿?」


 精霊さんを肩車したシェイナが、いつの間にやら近づいてきていた。

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