厄介な追跡者
日が昇るや否や、大勢の冒険者たちが城壁をくぐって旅路へと出発していった。
この街では毎日の光景らしいが、今日はとりわけ出ていく人数が多いという。というのも、昨晩の大火によって街のほとんどが損なわれたからである。
根無し草の冒険者たちは長居できる環境がなくなったと知るや、見切りをつけてとっとと出ていってしまったのだ。
「薄情じゃのう」
「そんなものだ。街を復興させるのは根を張って生きる者しかいない。幸いにも昨晩の被害はお前のおかげで多少抑えられた。元に戻るのにもそう長くはかかるまい。改めて感謝するぞ、邪竜レーヴェンディアと眷属の娘よ」
草原に列を成して遠ざかっていく荷馬たちを眺めながら、わしはアリアンテが差し出した手に軽く爪先を触れた。
和解の握手のつもりだが、それを横から不満げに睨んでいるのはレーコである。
朝食に運ばれてきたパンを口一杯に頬張りながら、細めた目でじぃ―――――っとアリアンテを凝視している。
「なんじゃレーコ。まだ夢なんぞを引きずっておるのか」
レーコはふがふがと口を動かし、ごくんと飲みこんでから、
「その騎士は邪竜様に酷い不敬を働いた気がします。剣を向けてきた覚えがあるのです」
「そうじゃったらこんな風に握手なんかせんよ。大方、疲れて悪い夢を見たのじゃろ」
「邪竜様が仰るならばそれが事実とは思うのですが、私は何となく気に入りません」
「あまり駄々をこねるなレーコ。ほれ、わしの分のパンも食ってええから機嫌を直せ」
元々パンはあまり好きではない。地面に置いていた盆をレーコの方に押しやると、腹が減っていたのかすごい勢いで食べ始めた。遠慮はしないらしい。
「ふが、それと、邪竜様はなぜそのようなお姿になったのでしょうか。いいえもちろん小さくなっても邪竜様の偉大さに変わりはありませんが……ありませんが……」
「食べカスが口の周りに付いとるよ。まずは拭いて水でも飲みんさい」
ごしごしと腕で拭って、水差し一杯の水を一気に飲み干すレーコ。
「して、いかなるご理由で?」
わしは悩む。逃げ隠れしやすいためという本音を晒すわけにはいかないからだ。
「まずな、昨日も言ったとおりわしの力は衰えておる。このまま魔王と戦っても勝ち目は薄いじゃろう。なればこそ人間と手を組もうと考えたのじゃが、やはりわしの邪竜としての悪名が同盟を許してはくれぬようでな。ならば若き時分の肉体に戻って、一から力を蓄え直そうと思ったのじゃ」
「では、魔王を討つ前にまずは手頃な敵から狩っていくというわけですね?」
「うん、理解が早くて助かるよお主。そうそう、まずは手頃な敵からね。たとえばその辺の――」
「どの魔王軍幹部から潰しに行きますか? それとも魔物のコロニーになっているダンジョンを地図から消しに行きますか?」
『手頃』の定義が根本的に違っていてわしは動揺を隠せない。
魔王以外はすべて手頃の範疇になっているらしい。
「あのね、いきなりそんな派手な動きをしたら魔王にバレちゃうでしょ? 基本は地道に。普通の冒険者と同じように低級ダンジョンから少しずつ戦いのカンを取り戻していくのが上策と思うよ。それに、その方がお主も戦いのペース配分とかいろいろ学べるじゃろうし」
「はっ……なるほど。つまり邪竜様がそのような安全策を取られるのは、この私の力不足の責によるということですか――」
レーコが悲痛な顔をして歯を食いしばった。いろいろ誤解はあるようだが、とりあえず納得してくれたようだ。
さらにアリアンテが助け舟を出してきた。
「人間の修行にも高負荷訓練というものがある。普段よりも重量のある剣や、魔力燃費の悪い杖を使うことで、戦闘の難度を敢えて上げるというものだ。邪竜レーヴェンディアは若返りの妙薬の力と併せ、己の莫大な魔力を自己封印した。本来なら魔王軍幹部でも倒さねば経験を積めぬほどの力量だが、力を大幅に落とした状態でならば弱い魔物を相手にしてもそれなりの経験が積める。上手い手段といえるだろう」
しかし、どこか白々しい。苦しい言い訳だと自覚しているのだろう。
だが、レーコは「なるほどさすが邪竜様は慧眼でいらっしゃる」と疑う様子を見せない。
「そういうこと。つまり今のわしは修行のためにわざと力を制限しとるわけ。弱い魔物に手こずることがあっても、あくまでそれは修行の一環ね? 幻滅しないでね?」
「私が邪竜様に幻滅するなど天地が逆さになろうとありえません」
少し機嫌を悪くしたようにレーコがぶすくれた。
そもそも邪竜じゃないことを知ったらどうなるんだろう、とは口が裂けても言えない。
「話は決まったようだな。では、私の道場に来い。一晩の急ごしらえだが、それなりに上等な道具を揃えてある」
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「……久々に疲れたな」
装備を整えた二人を街の城壁から見送った後、アリアンテは冷や汗を拭った。
恐ろしい連中だった。
単に力の大きさがではない。その行く末がどうなるか分からないところが、導火線の見えない爆弾のような危なっかしさを孕んでいた。
叶うならばあの娘を人類に利するように育てたかった。
だが、あれだけの魔力を普通のやり方で制御できるようになるには数十年の修行が必要だ。その間にあの娘がレーヴェンディアの正体に気付いて破綻を来す可能性の方が大きい。
ならば。
「勘違いのままでいい。せめて娘の足を引っ張らぬ程度には強くなり、我々人類の助けとならんことを」
ガラにもなく祈る。
祈りながら、昨晩のうちに二人とも斬り捨てておいた方が安全だったかとも考えて自嘲する。
本当に人類のためを思うならば、余計なリスクを排除するために揃って殺しておけばよかった。レーヴェンディアの首を取ったなら報奨金も弾んだろう。
どうやら若い時分に断ったと思っていたギャンブル癖がここになって再発したらしい。
得体の知れぬ連中に希望を見出そうとは。
「頼むから上手くやってくれよ、邪竜様」
笑んだとき、道場の扉が大きく打ち鳴らされた。
緩んだ唇を結び直して閂を外すと、正面に立っていたのは短い金髪を揺らす少年だった。
「何の用だ、少年。この街では見ない顔だが」
「あんた、この街で一番の凄腕の道場主なんだろ? 俺に稽古付けてくれ」
「……どういう理由かは知らんが、お前のような子供に稽古を付けてやるほど私は暇ではない。見たところ、魔力も腕力も並みの子供。戦いの経験もないだろう」
「だけど、俺はあいつを止めなきゃいけないんだ。門番の兵士に聞いた、昨日の夜、あいつがここに来たんだろう? うちの村にいた、あのクソ忌々しい邪竜の野郎が――レーコを連れて」
「お前、まさかレーヴェンディアのいた村の者か」
レーコを知っている素振り。そして邪竜に対する並々ならぬ怒り。
まさか。
「手を出せ」
「は? そんなのいいから、さっさと稽古を」
「いいから手を出せ」
差し出された少年の手をアリアンテは握った。
最後までレーヴェンディアとレーコには言わなかったが、アリアンテは本来剣士ではなく、ある一芸を磨いた魔導士だ。その魔法が、握手からある事実を知らせてくれる。
「あの娘――レーコの持っていた短剣はお前のものだったか」
「あんた、レーコに会ったのか!? あいつは無事か?」
「今のところはな」
素っ気なく応じつつ、アリアンテは仏頂面が深まるのを感じた。
この少年は、あのレーコという少女がかつて唯一まともに交流していた人間だろう。
今はどの程度の思い入れを残しているかは知らないが、迂闊に接触させれば思い込みを覚ます原因にもなりかねない。
「なあ! 頼むよ、俺はあいつを倒さなきゃいけないんだ。才能がなけりゃ二倍も三倍も努力する。金が要るなら道場の雑用全部やる。頼む、どうか稽古付けてくれ!」
「……参ったな」
ここで追い返せば、あの手この手でこの少年はレーヴェンディアたちに追いつこうとするだろう。
そして早ければ数時間で追いついてしまうだろう。なんせ、今のレーヴェンディアは馬よりもずっと足が遅い上に、さっき街を出たばかりだ。
アリアンテは咳払いをし、
「長く厳しい修行になるぞ。名は何という? 少年」
「……ああ! ライオットだ。頼むぜ師匠さん!」
とりあえず半年くらいはこの小僧を釘づけにしておこうと決めた。