邪竜様、ワルを志す
「本当に大丈夫ですか? お腹とか痛いんですか? 悪いものとか食べてないですよね?」
顔色を悪くしたわしを覗き込んで、聖女様があたふたと騒ぎ立てる。
「ああ。何でもないのよ。ちょっと考え事をしとるだけ」
「悩みがあるんですか? 水臭いじゃないですか、それなら遠慮せず相談してください! 私とトカゲさんはマブダチだって言ったばかりじゃないですか!」
「ううん、お主に相談しても事態が好転する可能性が見えないんじゃけど……」
とはいえ、わしの心もだいぶ弱っている。誰かに話すことで重責を分かち合えるなら、ありがたいことに違いはない。
河原の周囲に誰もいないのをちらと見て、まだ聖女様に話していなかったレーコの覚醒の件を説明する。
さきほど思い至った「レーヴェンディアへの畏怖がレーコに流れた」という可能性の件も込みで。
そうして聖女様が出した結論は、
「なぁんだ。簡単じゃないですか。そういうことなら、トカゲさんがちょっと邪竜っぽく振る舞えばレーコ様の魔力が移ってくるんじゃないですか?」
「えっ」
意外とすんなり信じてくれただけでなく、思いもよらない解決策まで提示してくれた。
「だって、元々はトカゲさんを意識して集まった畏怖なんですから。トカゲさんがあまりにも情けないからたまたま近くに来たレーコ様に流れただけで、トカゲさんがシャキッと邪竜っぽくなればきっと元のあるべき場所に戻ってくるはずです」
「ほ、本当かの? わしが邪竜っぽくなればレーコは普通の子に戻ってくれるのかの?」
「ええ、根拠はありませんがなんとなく自信はあります!」
聖女様は自信たっぷりな顔となり、わしもテンションが上がって尻尾を立てる。
レーコが元に戻ったら人里に戻して、わしはまたどこか山奥にでも籠ろう。希望が湧いてきた。
もはやすべて解決した気になって、小川に飛び込んで心地よく水浴びに浸る。
ひんやりとした感触がストレスを洗い流していき、同じく水に浸った聖女様がふざけて放ってくる水鉄砲すら快いものと――
「……あれ? でも、邪竜っぽくなるってどうすればいいのかの?」
近くにお手本はいるが、間違ってもわしにあんな言動はできない。
ぶくぶくと水面に泡を吹きながら思い悩んでいると、わしの肩にそっと聖女様の手が置かれる。
「心配しないでくださいトカゲさん。私、これでも昔は魔物だったんですよ? いわば邪悪さの元プロです。コーチングは任せてください」
「あ、結構です」
わしはこの上ないほどの自然体で断った。
「なんでですかぁっ!」
抗議に叫んだ聖女様は水面を叩いて水飛沫を上げる。
「だってお主の凶悪性ってわしと五十歩百歩じゃない?」
「そんなことはありません。全盛期の私は町一つを沈めようとするほどのワルですよ?」
「はい。そうじゃね」
感情のこもらない相槌を打って小川から上がり、身をぷるぷると振って水をはじく。
「だけど、わしにはそんな大それた悪事はできんよ? お主と違って何の能力もないしの」
「たぶん大丈夫ですよ。レーコ様だってトカゲさんの洞窟に来たときは何の能力もなかったんでしょう? なら、大事なのは邪竜になろうという心意気です」
心意気といわれても、とわしは当惑する。
以前もアリアンテから「威厳を持て」と言われたりしたが、五千年で身に付いた逃げ重視の思考パターンはなかなか変えられるものではない。
「よぉし! それでは、手始めにさっそく悪いことをしに行きましょう!」
長い耳をピンと立てた聖女様は意気揚々とシェイナたちのいる野営地に向かい始めた。
わしは慌ててその先に回り込み、
「待って待って聖女様。あんまり迷惑かけちゃダメよ? っていうか、あの人たちみんな軍人じゃからね? 表立って悪いことなんかしたら討伐対象にされかねんからね?」
「トカゲさん……知っていますか? 表立って悪事をしたらまずいなら、隠れてひっそり悪事をすればいいんですよ……?」
にわかに聖女様がイメージに似合わぬ妖艶な笑みを見せた。
不覚にもわしは強い説得力を感じてしまう。確かにバレなければ責められようもない。
なんて巧妙な。これが元魔物の発想か。
「……んむ。一理あるの。で、具体的には何をするんじゃの?」
「例えば、私のこの水を操る能力で――乾きかけの洗濯物をまた湿らせるとか」
「そりゃあいかんよ。干し直す人が大変じゃろう。あとわしの出番がないし。もっと他なやつはないかの?」
「そうですね……」
うむむと考え込んだ聖女様が、はっと閃いた顔になる。
「そういえば、町の人達がよく言っています。『食べ物を粗末にするのは一番よくないことだ』って」
「ああ。聖女様のところは農業の町じゃもんの」
「確かに、食べ物を作るのにはたくさんの手間と時間がかかっています。それを粗末にするのはワルの中のワルといって過言でないでしょう」
わしらは顔を向き合わせてごくりと生唾を呑んだ。
わなわなと震えながら聖女様は目を瞑る。
「私だって本当はこんなことやりたくありません。だけど、レーコ様を膨大な魔力から解放して、トカゲさんの自由を取り戻すにはこれしかないんです」
「……そうじゃの。わしも今日ばかりは心を鬼にせんといかんの」
奥歯を噛みしめて、わしらは野営地に向けて決死の一歩を踏み出した。
禁断の悪行に手を染め、邪竜としてふさわしい存在になるために。
具体的には、雑草を根っこから引き抜くだけ引き抜いて――敢えて食べず放置するという邪竜的な所業に及ぶために。




