わし、人間不信になりそう
「あ、こりゃ死んだわ」と観念したときには剣閃が走っていた。
このアリアンテもさぞ驚くことだろう。魔王の仇敵をまさか一撃で仕留めてしまうのだから。
だが、アリアンテの大剣はこちらの首を刎ねる直前で止まっていた。
剣をガードしていたのは当然、一瞬前まで眠りに就いていたレーコだ。
「……申し訳ありません。敵を前にしながら呑気に眠りこけておりました。この醜態は敵の首にて償います」
「ああ、お前が万全ならそうなっただろうな」
アリアンテが一歩を大きく踏み込み、両者は鍔迫り合いの姿勢となった。
だが、すぐにレーコがバランスを崩してたたらを踏んだ。
「パワーもスピードも貴様の方が上だ。しかし、お前はそのアドバンテージを先の雑魚相手に消耗させた。全力の一割も要しなかったろう相手に、加減というものをまるで知らずにな。私と同じレベルに力が落ちたならば、後は手技の勝負」
彼女の振るう剣は単なる力任せの棒振りではなかった。
レーコの防御を侵食するように、様々な角度から変幻自在の斬撃が襲ってくる。かといってレーコが反撃に回ると、待っていたかのように短剣の刃を流されて姿勢を崩される。
短剣を跳ね上げられ、無防備に脇腹を晒したレーコの身に、アリアンテの大剣が吸い込まれた。
轟音。
軽々と吹っ飛ばされたレーコの矮躯は、城壁のブロックに突っ込んで大きな砂煙を上げた。
衝撃でひび割れた壁を背に、ぴくりとも動かない。
「れ、レーコ!? おいお主――待ってくれ、話を」
「覚悟」
アリアンテの剣が青白く光った。濃密な魔力の光だ。
あんなものが触れたら死ぬ。
尻尾を巻いて逃げたいところだったが、残念ながら完全に腰が抜けて動けない。
アリアンテは跳躍し、真っ直ぐにわしの脳天目がけて剣を振り落とした。
「っ痛ぁ――――――――――っ!!」
コーン! と小気味よい音がしてわしは痛みに吠えた。
一瞬で死ねるかと思ったが、襲い来るのはじんじんと響く生々しい鈍痛だ。
「貴様ほどの者となれば痛みを感じることもそうあるまい。だが、この剣はいかなる者が相手だろうと確実に一定のダメージを与える。舐めてかかって今のように無防備だと、文字通りの痛い目を見るぞ」
つまり楽に死ねないということか。生殺しにもほどがある。
「あ、あのさお主。普通の剣に替えてみんか? そんな剣はなかなかに非人道的じゃと思うよ」
「貴様が相手なら並みの剣では通用するまい」
「逆なんじゃけどなー。その面倒くさい剣のせいで変に長引きそうなんじゃけどなー」
もしやと思ってレーコを見ると、脇腹を斬られたにも関わらず血は流れていないし肩も上下している。多少のダメージはあったろうが、死んではいないようだ。
よかっ――
た、と思ったときには頬を思いっきりぶん殴られていた。性質上、剣というよりは鈍器に近い衝撃を与える武器らしい。
「ちょっ、タンマ」
「聞く耳持たん!」
「死ぬ、死ぬ」
「このままいけばな! さあ本気を見せろ!」
そして地獄ともいえる時間がしばし経過し、
ぴくりとも動かなくなったわしの(半)死体が完成した。まさに虫の息。もはや指でつつかれただけで死ぬほどの状態である。
アリアンテもこれには眉をひそめて、
「……まさか貴様、本当に弱いのか?」
「強かったらとっくにわしは逃げとる」
顎を抱えて彼女はしばし考え込む。
「よし。分かった。次の渾身の一撃で貴様にトドメを刺す」
「お主も割と単細胞じゃの」
辛うじて言った途端、凄まじい大剣のスイングで吹き飛ばされた。レーコのすぐ隣に突っ込んでブロックを盛大に壊す。
しかし、生きていた。
全身が痛くてロクに身動きはできないが、意識もあれば息もしていた。
「……ありゃ?」
よく見ればレーコも気絶というよりは、安らかに居眠りをしているといった感じだ。
大剣を背中の鞘に納めたアリアンテが歩み寄ってくる。そして、わしの前で深々と頭を下げた。
「手荒な真似をしてすまなかった。お前が弱いという話が本当かどうか試させてもらった。人間相手にここまで弄ばれるようなら、信じがたいが事実なのだろうな」
「ここまでする必要あった?」
「常識では考えられん話だった。お前の眼は嘘をついている者のそれではなかったが、いかんせん確証もなしに丸呑みはできん」
「わしのこと半分くらいは信じててくれたのね。それならもうちょっと手加減できん? これわし絶対どこか後遺症残ると思うよ」
「そこは心配するな。実のところ、この剣が与えるのは『痛み』だけだ。肉体にダメージはまったく残らん。明日には自力で立てるようになっているだろう」
「めっちゃ痛くて心の方に傷が残ったんじゃけど」
「そこまではフォローできん」
安堵の息をつきかけて、わしは「はっ」と思い出した。
「そ、そういえばお主、魔王軍の一員っていう話は――」
「嘘に決まっているだろう。もしお前が本当に邪竜といえるほど強かったとして、私が街の冒険者として戦いを挑んだなら、逆鱗に触れた代償は街にまで及ぶ」
アリアンテは首を振った。
「だが魔王軍の一員としてお前の恨みを買ったなら、場合によってはお前の怒りが魔王に向き、人類に利することもあるやもしれん」
「あ、そうなの。力になれんですまんの」
「まあ、予感はしていた」
「ひどくない?」
アリアンテはもう一度頭を下げて、眠りこけるレーコを担いだ。
「ひとまず、お前が本当に弱いとなれば残す問題はこの娘だな。いいか、弱いということを絶対に悟られるな。この娘の前では邪竜らしく振る舞って暴走を防げ」
「自信ないよわし。山に引き篭もってええかな。それなら問題なかろう?」
「いいや、お前が魔王に宣戦布告したことはこの街中に知れ渡った。人の口に戸が立てられぬ以上、いずれ魔王の耳にも届くだろう。どこに隠れようと必ず追手が来る。しかも、お前の評判にふさわしいほどの実力を備えた魔物が」
「八方塞がりじゃな。わし、どうすりゃええの」
嘆息すると、アリアンテは非常に気まずそうにちょっと目を逸らした。
まずい。これは何も案がないという態度だ。
「まあ……その、何だ。頑張れ。今からでも少しずつ強くなればいい」
「強くなろうにも、この子の目の前でへっぽこな特訓風景を見せるわけにもいかんじゃろ? あ、そうだ。この子を預かってくれたらその間にわし頑張るよ。強くなれんとは思うけど」
「ダメだ。この街でその娘に関わろうとする者はいない」
「うん、そんな気はしてたわ」
「だが――そうだな。この街でなければ可能性はある」
アリアンテが夜空の向こう側を指差した。
「この先を馬で丸三日ほど行った先の街に、王立教導院がある。素性を隠して魔導士見習いとしてその娘に魔力の扱いを覚えさせるといい。お前の図体を隠す方法はあるし、推薦状も私が書いてやる」
「悪いけど無理。同じこと考えてこの街に来たんじゃけど、このレーコときたら絶望的に演技が下手なのよ。たぶん初日でバレるわい」
「……」
絶句している。申し訳ない。
「あ、でもわしの図体隠す方法なら教えて欲しい。少なくとも魔物から逃げる時間稼ぎにはなろうし」
「……待っていろ」
アリアンテは街に向けて踵を返しかけて、
「もしその娘が起きたら、今しがたの戦闘は夢でも見ていたのだと伝えろ。それが最も後腐れがない」
「いくらこの子でも信じるかの?」
「お前の言うことなら何だろうと信じるだろう」
そのまま、城壁から街に向かって飛び降りた。
常人ならまず無事に済まない高さだが、たぶん自分から降りるだけあって大丈夫なのだろう。
そしてしばらく待っていると、小脇に抱えるサイズの樽を持って戻ってきた。
「待たせた」
「何じゃそれ、お酒?」
「なぜ酒盛りをせねばならん。これは高位の錬金術師のみが作ることのできる若返りの妙薬だ。普通なら雫の一滴で済むが、長寿のお前だとどのくらい量がいるか分からなくてな。念のために樽一つ持ってきた。効けばその図体もやや縮むことだろう。さあ、口を開けろ」
得体の知れない液体を飲まされるのには抵抗があったが、飲まなければ賞金首として狩られる未来しかない。わしは否応なく口を開いた。
薬匙に掬われた液体が一滴舌に落ちると、
ぽんっ、とわしの身体が紫の煙に包まれて、次の瞬間にはそこらの仔馬と大して変わらないサイズになっていた。
「なるほど。薬への耐性もロクにないようだな。くれぐれも毒物には注意しろよ」
「あ、効いてよかったと思ったけどそういう見方もあるのね。わし人間不信になりそう」
「まあいい。効果は丸一日だから、欠かさずに毎日一滴飲め。一滴で効くならその樽が尽きることはそうそうないだろう。貴重なものだから失くすなよ」
「すまんの、貴重なものを」
「街を救ってもらった礼と、先の詫びだ。むしろこれでは足りんくらいだ」
「ところで、こんな貴重なものを何でこんなにすぐ手配できたんじゃ?」
「……備えがあれば憂いはないからな」
「あ、実はもしかしてお主、指揮官なんかやっとったからもしやとは思ったが、実はそう見えて結構歳喰っておるんじゃ――」
じゃきっ、とわしの目の前に剣が構えられた。
「戦うために身体機能を若く保っておいて損はない。それだけの話だ。戦士として当然のことだ」
「はい、わしもそう思います」
機嫌を損ねると殺される。そう確信したわしは平身低頭して薬をいただいた。
「今夜はもう遅い、その見張り小屋で娘ともども眠るといい。街を出る準備はこちらで整えておいてやる」
厄介払いの雰囲気を感じつつも、わしはただ頷いた。
ちなみに、見張り小屋でぐっすりと眠った翌朝、
「じゃ、じゃじゃじゃ、邪竜様。いいい一体、なぜそのようなお……お姿に? 夢? 夢ですか?」
昨晩の戦闘の言い訳をする間もなく、小さくなった理由をレーコから執拗に問答された。