暖簾に腕押し
「よぉしっ! 精霊がいたなら善は急げ! レーコちゃん、とりあえず協力するよう脅してみるんだ!」
「分かった。うっかりお前の努力を言いふらした責任は取る」
レーコは全身から邪竜のごとき禍々しいオーラを噴出させて、山に短剣を向けた。
「山の精霊よ。――命が惜しいか? ここで消されたくなければおとなしく」
「こらレーコ」
ぽん、とレーコの頭に軽く手を載せる。
「いかがなさいました邪竜様」
「会っていきなり脅すなんて酷かろうよ。向こうは現時点で燃やされとる被害者なんじゃよ? ここでさらに無茶な注文はあんまりじゃと思う」
「ですが邪竜様。あの者はそこまで動じていないようではないですか。もう一押ししてみる価値はあるかと」
「……えっとね、もちろんわしも精霊さんの声は聞こえるんじゃけど、シェイナにも分かるように通訳してくれる?」
レーコを介してだと状況の把握が難しい。
わしの頼みを聞いたレーコは、聞き取った精霊の声を音響魔法でスピーカーのように響かせ始めた。
とても落ち着いた口調で、ただ一言。
『山が消されかけてゐる』
「この人、さっきからすごく客観的じゃよね」
「マイペースっぽいし、あんまり危機感ないのかな? それじゃあレーコちゃん、恫喝がてら試しに山の一角を吹き飛ばしてみるんだ!」
「いいだろう」
勝手にバイオレンスな計略が進んでいる。
わしが制止する間もなく、レーコは短剣を振って山の中腹を巨大な爪の形に抉り取った。
「さあどうだ! これでもあたしに力をよこさないっていうのか!」
「次は山体に風穴を空けてやろう」
「お主らやめて。仲がいいのは分かったけど冷静になって」
しばしの沈黙ののち、山の精霊はこう言う。
『三人がかりである』
「わしまで加害者に含まれちゃったかあ」
「邪竜様の威圧を前にして動じぬとは……。こいつ、かなり肝が据わっていますね」
「主犯をわしにしないでくれる?」
焦るわしだったが、精霊はさして動じることもなく泰然とした態度を崩さない。
物理的にはレーコが壊した山腹から岩がゴロゴロと崩れているけれど。
「あとねレーコ。道義的にもいかんけど、実利的にもダメじゃよ。あの山には金が埋まっとるんじゃから、下手に吹っ飛ばしたら大損じゃよ」
「はっ」
「やっぱり忘れてたのねお主」
「なるほど。奴はそれがあるから大きい態度に出られているのですね……」
「そうなのかなあ」
この精霊からは、あまり駆け引きじみた意図を感じない。
単に己の行く末にすら無頓着――そういった印象を受ける。
「押してダメならここはやはりあの手しかありませんね」
「レーコ。お願いだから何かを実行しようとするときは事前にわしに相談してね。お主の独断は絶対ダメよ」
「はい。生贄を捧げる心づもりにございます」
「ほらまたそういう発想をする」
わしはため息をつく。レーコは無視して熟考し、
「力を要求する以上、誠意を見せる必要があります。やはりここはこの娘の父を連れてきて、その心臓を抉り捧げるしかないかと。惜しい人物ではありましたが……」
「えぇ。パパの命と引き換えに……? それは引くなぁ……」
「お主ら、捧げられる側の都合も確かめずに生贄の品定めをしないで。いきなり生贄がやってきて困惑するケースもあるんじゃからね?」
「まさか。そんなことはそうそうないでしょう」
「ごく最近あったんじゃよなあ」
当の困惑させた生贄がしれっと知らぬ顔をしている。誰も彼もが生贄をウェルカムと受け容れるわけではないと覚えて欲しい。
「ならば仕方あるまい。最後の手段だ。シェイナ、お前自身が生贄として赴くといい。誠意が認められれば私のように眷属としてもらえる可能性が大きい」
「ううん……。それしかないとは思うんだけどさ、もし本当に食べられそうになったら? そうなるのは結構イヤなんだけど」
「大丈夫だ。そうなりそうな場合は食べられる前にあの山ごと精霊を消滅させる。内実では生贄としての心意気が備わっていない者を食らおうとする節穴な精霊など誅殺して問題ない」
「誠意ってなんじゃろ」
このダダ漏れのやり取りを聞いた上で「生贄に来ました」と名乗るシェイナを歓迎する者がどれだけいるというのか。
事実上「生贄になる気もないし、食おうとしたら逆襲するけど、誠意だけは認めて欲しい」というワガママ極まりない注文ではないか。
いよいよ精霊さんサイドも言葉を失くす。というか元から寡黙である。こちらの動きに対して一切の反応をよこさない。それとも興味がないのか。
「……とりあえず一度帰らんかの? こんな失礼をしていては力を貸してもらえるものも貸してもらえんよ」
「えー! でもあたし、このままじゃ絶対帰れないって! 努力家なんて思われたままじゃ恥もいいとこだし!」
「――仕方ない。特別に今回に限り私の力を貸してやろう。連中の前で地割れでも作って驚かせてやるがいい。一日限りの時間制限を付けますので構いませんね邪竜様?」
「絶対だめ」
と言ったときには遅かった。
レーコが手をかざした瞬間、シェイナは気絶して勢いよく地面に倒れ込んだ。
「うわぁっ! シェイナ、大丈夫!?」
「……申し訳ありません。やはり普通の人間にはショックが大きかったようです。やめておきましょう」
「お願いだから本当にもうやめてね。あ、でも今のうちにシェイナをこっちに載せて」
「承知しました」
レーコはいそいそとシェイナを担いでわしの背に載せる。
「そんじゃ、すまんの山の精霊殿。レーコがいうには何日かしたら火も消えるらしいから、申し訳ないけど少し待っとってな」
『砂塵となろうも山消えじ』
「……どういう意味じゃろ?」
「僭越ながら推測させていただきますと、『たとえどんな形になろうと自分は自分』という意味ではないでしょうか――つまりは燃えようが崩れようが全然大丈夫、と」
「そうなの? だいぶ解釈が好意的すぎない?」
かといって、精霊はそれ以上特に何も言わなかった。ある意味でレーコ並に意思疎通が難しい。
まあ、さほど危機感はなさそうだったし、放っておいてもいいのだろう。
もし意思疎通ができたなら、わしに力を貸して欲しいとも頼んでみたいところだったが――
ため息をつく。
やめよう。仮に奇跡が起きて精霊が力を貸してくれても、わしには魔力の扱いなんてちっとも分からないのだ。
地道にいこう。今だって、シェイナとレーコの二人を背に載せたら結構重く感じる。これで歩けばいい筋トレに――
「では夜空を駆けましょう」
ばさり、と悪魔の羽音がした。
わしの記憶はそこで途絶えている。




