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正体見たり


 吐いた。

 わしのゲロが夜の小川にせせらぎと流れていく。いろんな意味でレーコには見せたくないので、酒場からは一人でこっそり抜けてきた。

 呑み慣れていないのに、いきなりバケツ酒である。無謀にも程があった。


「うう……なんだか、言ってはならんことをいろいろ言ってしまった気がするんじゃが大丈夫じゃろうか……」

「大丈夫です邪竜様。たまにはこんな夜もよいかと思います」

 平然とわしの背中をさすりながらレーコが呟く。

「さっきまでシェイナと話してなかった? 確かに置いてきたと思ったんじゃけどなあ」

「邪竜様が場を立つとあらば私も随伴せずにはいられません。ところで邪竜様、これは滋養を大地に分け与える行為でしょうか? この地の生態系に邪竜様の恩恵が及ぶわけですね……これは事実上の支配地の拡大……」

「そうね」


 流水で口をすすぎながら答える。

 もはや感想はない。


 ひとしきり吐ききったわしは、水面にチラチラと映る赤い光に気付いた。

 元を辿って視線を上げれば、今も燃え続けている金山がある。


「のうレーコ、あれっていつ消えそうなの?」

「かなり気合を入れて焼きましたので……我が魔力にて雨雲を呼び寄せることも可能ですが、あれを消すほどの雨を降らせればこの街は洪水に沈んでしまうでしょう」

「そうかあ。多芸じゃねお主は」

 レーコは少し照れたように、

「いえ……そんな。邪竜様には到底及びません。私の使う技はすべて邪竜様の劣化コピーに過ぎませんので。そろそろ独自に技を開発したいとは思っているのですが……」

「お主にはまだ早いかのう。絶対やめておいてね」


 今でさえわりと自由奔放に技を繰り出しているのに、さらなるオリジナリティを醸し出そうというのか。


「はっ。しかし、一刻も早くその域に辿り着けるよう精進は欠かさぬ所存にございます。さきほどもあのシェイナという娘から、それなりに有用な話を聞くことができました」

「どんな話をしとったの? あんまり教育上よろしくない話とかじゃないよね?」

「大丈夫です邪竜様。主に『強くなるための努力』についての話です」

「あ、うん」


 わしは顔を白けさせて、川の水を一口飲んだ。


「さきほどの話をもっと詳しく教えろとせがんでくるので、少しばかり応じてやりました。修練の参考として人間の魔導士の修練法も聞けたので、互いに有益だったかと思います」

「シェイナはやっぱり誤解したまんまなのね。食っちゃ寝ばかりで強くなれるというものでもないのに……。ハイゼンにどう詫びたらいいかのう……」

「いえ、詳しくというのは、よく食べて寝る以外の努力についてです。特に『邪竜様の膨大な魔力をどうやって制御下に置いているのか』ということについて深々と聞かれました。普通なら、これだけの力を宿せば人間としての自我はおろか、形すら保てるはずがないと言われました」


 その見立ては、以前にアリアンテがしたものと似ている。

 しかし、あの奔放そうなシェイナが口にする類の発言とはあまり思えなかった。


「もちろん、そうならずに済んでいるは邪竜様のご配意あってこそです。私の身を食い潰さぬように加減をしてくださっているのでしょう。ただ――先日の暴走のように、まだ至らぬ点は多くありますが」

「いやいや。あのときのお主は十分頑張ってたと思うよ。みんな無事で済んだし」


 きらりとレーコの目が輝く。心なしか自信を匂わせる顔となり、


「やはりそう評価してくださいますか。実はあれ以来、自分でも少しコツが掴めてきた気がするのです。今まではブワッと来てた感じのエネルギーを、ギュイーンという感じで絞り込むのです。私のこの上達を受けて、邪竜様も私に送る魔力量を増やされてくれたのでしょう?」

「増やした覚えはないけど、お主が増えたと感じるならきっとそうなんじゃろうね」

「まだまだ私には伸びしろがあると思いますので、その都度増やしてくださいますようお願いします」

「できれば据え置きでお願いできないかの」


 なんだか無い袖を強引にカツアゲされている気分である。


「とはいえ、非力なる人間にはこの助言はいささか難しすぎたようです。あの娘は『ブワッ……? ギュイーン……?』と首を傾げておりました」

「そりゃあのう」

「なので最終的には、『よく寝てよく食べろ』と」

「投げやりじゃない?」


 そんなことはありません、とレーコは燃え続ける山を見上げた。


「見たところ、あの娘は慢性的に寝不足です。食事はそれなりに摂っているようですが、休息が足りなければ栄養補給もイマイチになります。少しは身体を休めることも覚えねば、どんなに真面目に修練に取り組んでも効率が落ちるばかりだというのに」

「……ん?」


 酔っぱらっているせいだろうか。上手く話が理解できない。


「のうレーコ。それじゃと、まるでシェイナが寝る間を惜しんで修行しているように聞こえるんじゃけど」

「やはり邪竜様は気付いておられましたか。不明なことに、私は手合わせするまで気付きませんでした。元より少ない魔力を一瞬で適量のみ放出する節約法に、何気ない会話を装いつつ防御の薄い箇所を探る観察眼。あれは間違いなく、凡人が弛まぬ反復練習を重ねた上の実力であります。――今も」


 レーコは山の麓を指差す。山頂からの飛び火がチラチラと燃えている。


「見て下さい。私が放った火を練習相手に、格上の攻撃魔法を相殺する練習をしているようです」


 遠すぎて何も見えない。

 わしは気まずい汗を流しながらレーコの肩を叩く。


「のうレーコ。お主、お酒とか飲んどらんよね?」

「無論であります」

「うん……ちょっと歩こうか」


 事の真偽を確かめに、レーコの言った方角に向けて酔い覚ましがてら歩き始める。野営地から山まではそれなりに距離がある。夜番の見張りも立っており、抜けてでていくには目立つはずだ。

 本当にこんなところをわざわざ抜けていくものだろうか?


「試しに練習してみます」


 見張りの立つ関門が見えてきたとき、レーコが急に指を弾いた。

 すると、レーコの立てる物音が一切消えた。足音も、呼吸の音も、弾いた指の音すらしない。


 ――あの者のやっていた術の真似です。


 こともなげにレーコは心の声でいう。そろそろわしも驚かなくなってくる。

 

「シェイナってそんな術使ってたかの? 爆発させてた気がするけど」

 ――あれは音を増幅させて衝撃に転化したものでしょう。

「そういえばそうじゃね」

 ――では、お先に。


 レーコは足音を消したまま、見張りたちの視線と意識の隙間を掻い潜るようにして堂々と関門に近づいていく。ときには物陰を利用し、ときには大胆に歩を進め。

 シェイナも同じように野営地を脱走しているのだろうか。


 ちなみにわしにはそんな器用なことができないので、普通に関門の兵士さんに「ごくろうさまじゃの」と挨拶をして抜けてきた。


 出たらレーコが平然と待っていた。

「さすがは邪竜様。コソコソと隠れ回るような小手先の技術は覇王たるその身に不要というわけですね」

「うん。正々堂々が何よりじゃからの。だからお主も軽々と人の技を盗むようなことをせんようにね」


 これ以上トンデモな能力を増やされてはたまらない。


「心得ました。とは言いましても、まだ今の私ではあまり複雑な技は真似できません。あの女騎士の技はなかなか使えそうだったのですが、いまいちコツが掴めず……」

「ん? アリアンテのこと? あれって単に身体を強くしてるだけじゃないの?」


 アリアンテは本来魔導士だと言っていた。あの怪力はそれによるものではないのか。

 そうかと思ったのですが、とレーコは唸る。


「近い印象はあるのですが、単にそれだけというわけではないようです。まあ、どのみち邪竜様のお力に及ぶものではないので、捨てておいて構わないのですが」


 言われつつ、わしは少し安心した。レーコでも簡単に真似できない技なら、弟子になったというライオットが習得することはまずあるまい。

 そもそも村で見たときも、ライオットに魔法の才能はまるで感じなかった。きっと途中で嫌になって田舎に帰ることだろう。

 ……――帰ってくれるといいけど。


「ところで邪竜様。山まで歩くのは遠くありませんか」

「うん……そうじゃね。思ったよりも距離があるね」

「分かりました」


 ばさりとわしの背中に羽が生えた。

 分かっていない。何も分かっていない。わしはそんなことを望んでいない。そんなことをしても誰も幸せにならない。この世に悲しみが増えるだけ――


「夜風よ我らを運ぶがいい」


 ぎゅんっ、という急加速にわしの首が鞭打ちになる勢いで振られる。

 胃が拒否反応を起こし、こみ上げてきたゲロが月明りの元で雨と降り注ぐ。


 オロロロロ……というわしの苦悶を知る由もなく、レーコは背中でいつも通りウキウキしている。

 ブラックアウトしかける視界の中で、ふと動くものが見えた。


 消えない炎を相手に手をかざして何やら苦心しているらしいシェイナの姿だ。

 そして、レーコの放つ凄まじいオーラに気付いたのか、こちらを向いて驚愕の顔を浮かべた。


「レーコ! 止まってぇ――!」


 山の岩肌への激突が迫って、わしは絶叫した。

 途端にスピードは衰え、わしは解放への安堵にふわふわと降下しながら最後のゲロを吐く。


 そして、降り注いだわしのゲロが灼熱の炎に降りかかると、綺麗さっぱり鎮火してしまった。

 レーコの魔法に対する無効化は、ゲロでも有効らしい。


「え? なんで? どうして? 何しに来たの?」


 後ずさって混乱に手をあたふたさせているのはシェイナだ。

 夜に潜んで野営地を抜けるためか、黒一色の外套を羽織っている。


「ふ。貴様の稽古を見物したいと邪竜様がじきじきに申されたのだ。謙遜して努力しない風を装っても、邪竜様の目にはその弛まぬ努力がしっかり見えている。光栄に思うがい――」


 シェイナはレーコに飛びついて口を塞いだ。


「い、いやぁ――! 夜道の散歩してたらついついこんなところまで来ちゃってね! でっかいキャンプファイヤーみたいで綺麗だし? 別にボーっとしてただけだよ!」

「ごめん。わしもその言い訳はちょっと厳しいと思う」

「……他の人たちには言ってない?」

「言っとらんよ。でも、お主の父――ハイゼンには伝えた方が安心するんじゃないかの? なんで隠れてコソコソ訓練なんかしとるの?」


 眉根に皺を作ったシェイナは、地団太を踏みながらこう答えた。


「だって……! 地道にコツコツ積み重ねて強くなるよりも、ぐうたら寝てるのに強い方がカッコいいじゃん! こう……天才感があるというか! 他人からは天才って思われたいし!」

「そんな見栄のためにすごい苦労をしなくてもいいと思うんじゃけど。というか、わしの眷属になりたいって言ってたのはアピールの一環?」

「まあ、そだね。天才って変なこというし、あたしごときの才能じゃ邪竜様はどうせ眷属に採用してくれないなあと思ってたし」


 苦笑いしつつシェイナは頬を掻いた。


「この眷属の子もすごいけど、邪竜様はやっぱりもっとすごいんだね。あたしがさっきから全然消せなかったこの火を、まさかゲロかけただけで消しちゃうなんて」

 シェイナの口塞ぎを脱したレーコは、

「勘違いするな人間。あれはゲロではない。邪竜様の生命エネルギーが濃密に圧縮されたものだ。あれが触れればたとえ魔王ですら無事には済まない」

「へ? そなの?」

「そりゃ魔王さんも積極的に触りたいものじゃあなかろうね」


 汚いし。


「ま、まあというわけで、うちの親とか他の人にはあたしのこれは内緒にお願いね? せっかく積み上げてきた天才のイメージが壊れたら恥ずかしすぎてもう家出するしかないし……」


 そのとき、すごい勢いでレーコがシェイナから視線を逸らした。

 わしとシェイナは石のような顔になる。


「れ、レーコちゃん……? その動きは何……?」

「レーコ。隠し事はいかんよ。身に覚えがあるならちゃんと白状しなさい」


 口を真一文字に結んだまま、レーコは目を泳がせている。

 チラチラと野営地を振り返り、決心したように拳を握る。


「大丈夫です。まだ間に合います。こうなれば、酒場にいた連中の記憶を改竄してきます。ぶっつけ本番の新技になりますが、きっと上手くいかせる自信があります。もしかすると頭を物理的に爆発させてしまうかもしれませんが……」


 わしは止めて、シェイナはパニックに陥った。

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