ファンの定義
「……わしのファン? いやいや、ありえないでしょ。だってわし邪竜よ? 怖い竜よ? 人間に好かれる理由なんてないでしょ」
「そんなことはありません邪竜様。私は生贄として捧げられた人間の頃から邪竜様を尊敬しておりました」
「お主の例を一般論として語るのはやめて」
ハイゼンは苦笑して机の上に手を組んだ。
「まあ、確かに珍しくはありましょうな」
「そんな風に笑わないで。お主、それは教育上大丈夫なの? やけに物騒な思想を持った子になったりしてない? 隙あらばすぐ短剣で人に斬りかかったりするような」
「いえいえまさか、そんなことはありません。そこいらのチンピラではあるまいし」
わしは無言でレーコを振り向いた。
レーコは「?」と頭に疑問符を浮かべて首を傾げている。
ハイゼンは静かに立ち上がり、物思いに耽るような仕草で窓際に立った。
「実を言いますとな――今となっては身の程知らずで恥ずかしい話ではありますが、私は昔、邪竜レーヴェンディアを討って功名を得ようと考えていたのです」
「ほう?」
がたりと立ち上がったのはレーコだ。案の定、片手に短剣を握っている。
「落ち着いてください。もちろん若気の至りです。それに、挑もうとするだけで『人類を破滅に導く気か!』と冒険者連中から度々フクロにされましてな。悪しき邪竜を討伐しようとしているのに、なぜ味方であるはずの人間から妨害されるのか、当時の私はさっぱり理解できておりませんでした」
「当然のことだ。邪竜様は温情深い御方であられるが、貴様らが逆鱗に触れようものなら魔王よりも先に人類を滅ぼしていただろう」
「そう。卑近な喩えではありますが、寝た猛獣をわざわざ起こすようなものです。迂闊に手を出して藪蛇となり、第二の魔王を目覚めさせることとなっては目も当てられない。周りから何度もそう説かれました」
「邪竜様が第二の魔王? 履き違えるな。魔王の方が邪竜様の二番煎じなのだ」
「その順序へのこだわりは果たして今必要なのかの」
窓から差し込む陽光を浴びながらハイゼンは目を閉じている。なんとなく回想に酔っている気がしないでもない。
「――それでも当時の私は諦めませんでした。『邪竜レーヴェンディアには触れるな』という冒険者の間の常識に風穴を開けようと試みたのです。なんせ邪竜と呼ばれるほどの存在。どこかで確実に人間に害を与えているはず。そう考えて、邪竜殿に関するあらゆる文献を当たりました」
「わしの文献ってあるの?」
「数だけでいえば数多とございます。ですが、信憑性の高いものはごくわずかといえるでしょう。若き日の私は、あらゆる資料に向き合って詳しく検証を重ねたのですが、信じられるものは過去の英雄が記した伝記などのごく数点のみでした」
「どんな内容じゃった?」
「戦いを挑んで敗北し、辛くも命を拾ったという内容です。かなりの激戦だったとの内容なので、邪竜殿もその英雄に覚えがあるのでは? よろしければ文献を今ここに持って参りますが――」
「あ、うん。悪いけどきっとその資料は捏造じゃね」
わしに対して本当に信憑性の高い資料があるとしたら、それには「長生きで体の大きい草食獣。とても弱い」とか書かれているはずだ。断じて激戦の記録などではない。
レーコもわしに倣って頷き、
「そうだ捏造だ。邪竜様が人間ごときと激戦を繰り広げるはずがあるまい。瞬殺に決まっている」
「別方向から回っても一周して同じ結論になるのね」
「……そうでしたか。あの激戦の描写には手に汗を握ったものでしたが、空事でしたか……」
「そうね。あとできればその本は燃やしておいてね」
弱ったハイゼンの心の隙をついてさらりと注文しておく。回り回ってまた誰かの手に渡るのは避けたかった。
「では、お前の娘は捏造文献の描写で邪竜様のファンになったというのか? ……何とミーハーな」
「いいえ、決してそういうわけでもないのです。若い頃の話にはまだ続きがありましてな。結局私は、現在の邪竜殿が人類に害をなしているという結論に至れなかったのです。それどころか、一部の地域においては抑止力として魔物から人里を守っているとの事実すら窺えました」
「えっ、わしが抑止力に? どこの地域で?」
「おそらくはライオットがいた村の近辺でしょう。あの近辺は周囲に比べて魔物が非常に少なかったそうです。おかげでかなり平和ボケしていましたが」
それは単にたまたまではないのだろうか?
地形とか環境とか、そういう理由であの辺は魔物が発生しにくいだけでは?
「そうした考察に辿り着き、私は邪竜殿への見識を改めたのです。過去がどうあろうと、今は結果として人々に安寧をもたらしている。ならば敵対の必要はあるまい、と。それからは討伐のために鍛えた腕を活かし、こうして軍属の身として人々の安寧のため過ごして参りました」
しかし、とハイゼンは繋ぐ。
「娘が幼い頃にこの思い出話をしたところ、『寝てるだけで周りを守れるってすごい!』と若干間違ったニュアンスで解釈してはしゃぎましてな……。苦労嫌いな娘にとっては、激戦を繰り広げていた頃の邪竜殿よりも、静かに暮らしながらついでに周囲を守る現在の邪竜殿の方が魅力的に映ったようです」
レーコは顎に手を当てて頷く。
「なるほど。ならば後期型の邪竜様ファンに分類されるな」
「後期型って何その区分」
「自らが最も影響を受けた邪竜様の活動年代に応じてファン層を分類したものです。先の記録は捏造でしたが、ああした激戦に惹かれる中期型にはミーハー層が多いです。しかも中期型は自分たちの世代を黄金時代型と称することがあるので、他世代のファンからは忌み嫌われています。嘆かわしい。邪竜様はその生涯すべてが黄金時代。すべての時期こそに趣を感じられてこその真のファンというもの――もっとも私は眷属なので既にファンを超越した立ち位置におりますが」
「さらっと事実のように言うけど、そんな人たち実在するの? お主は本当にそういう人たちと接触したことがあるの?」
「きっといます。私は確信しています」
「そういうのを捏造というのよ」
悪意がないからなおのこと酷い。
わしは肩を落とすが、少しだけ安堵もしていた。
そういうアンニュイな気質の娘なら、レーコと違って熱狂的にわしに絡んでくることもないだろう。
と、ハイゼンがこちらに向けて頭を下げてきた。
「大変厚かましい願いはではあるのですが、娘を一言注意してやってはくれないでしょうか。邪竜殿が寝ていても周囲を圧倒できるのは、かつての弛まぬ努力があってこそだと教えてやってください」
「えっ。わしそんな偉そうなこと言えない。だって基本食っちゃ寝の人生だったし」
人様にそんなことを言ってはバチが当たりそうだ。
「そう。邪竜様は生まれつきの絶対的強者。努力などとは無縁。もとより貴様ら人間とはスケールが違うのだ」
「そうですか。……では! 眷属殿から願えませんか? 邪竜殿の眷属になったからといって、いきなり強大な力が得られるわけではありますまい。どんな道もそう甘いものではないと教えていただければ、あの娘の性根も少しは治ろうというものです」
レーコは少しも迷うことなく即答する。
「分かった。宿賃代わりだ。邪竜様の眷属として私が積んできた努力を余すことなく教えてやろう」
わしには全然説得力が感じられなかった。
 




