なんか、きた
近く、というのはレーコ基準での話だった。
詳しく聴いたところ、わしの鈍足でいけば丸五日はかかる長距離である。
「飛びますか」
「飛ばない」
断固としてわしは徒歩を主張した。
旅というのは地を踏みしめてこそ得られるものがあるのだ――とかそんな感じのことを言って。
だが、正直五日の歩き通しはつらい。手持ちの食料も心もとない。
肩を重くしたわしが露骨に歩みを遅くすると、背中に乗るレーコがわしの顔を覗き込んでくる。
「いかがなさいました邪竜様。はっ……、そういうことですか」
「わしが何も言っていないうちから強引に何かを悟るのやめて」
「小金を稼ぐなどという些事に邪竜様を煩わせるとは眷属として失格でした。やはりここは私が手っ取り早く金を採って参りましょう」
「あっ。でも金山って魔物がいて危ないんじゃ……うん……お主なら大丈夫とは思うけどね……」
「心配は無用です。金山ごとふっ飛ばしてしまわぬようセーブしますので」
「そこまで想像を超えた心配はちょっと範囲外じゃったかな」
「それでは」
制止する間もなくレーコは翼を生やしてひゅうっと飛んで行った。
途端にわしは不安になる。この平野とてまったくの安全地帯ではないのだ。いつ魔物が現れるとも知れない。元のサイズならこけおどしくらいはできるかもしれないが、今は薬を飲んでミニサイズである。
が、びっくりするような早さでレーコは戻って来た。
「ありゃ。どうかしたの? 忘れ物?」
「いえ。見て来ました」
「え? もう?」
「邪竜様からいただいたこの翼なら、この程度の距離は瞬きの間にございます。して、金山の魔物ですが――なかなかできる奴らのようです」
わしは目を剥いた。まさかレーコをして「できる」と言わせる魔物が早々に現れようとは。
「私が金山に着いた頃には一匹残らず撤退していました。早くから私の殺気を感じ取り、実力差まで正確に見極めるとはなかなか大した連中です」
「うん。どうせそんなことだとは思ったけどね」
「それよりも邪竜様。魔物は割とどうでもいいのですが、もっと大きな問題が発生しました。こちらは無視できない事態です」
レーコはちょこんと地面に正座して姿勢を正した。
「どしたの藪から棒に」
「よくよく考えたら、金山を見つけてもそのまま金塊が転がっているわけではないのですね。適当に地面を砕いてみたら金色っぽいカスのついた石は見つかったのですが、とてもそのまま売り払えるほどのものではありませんでした」
「あ。そういえばそうね。鉱石ってちゃんと精錬とかしないとただの石ころじゃからの」
「溶鉱炉代わりにとりあえず炎を噴いて金山を火の海にしてみたのですが、それだけで金が浮いてくるほど甘いものではなく……」
「今、金山は地獄みたいになっとるんじゃろうなあ」
冷静になって地平線を見たら、遠くに霞む中で、噴火しているみたいに赤く輝いている山が一つだけあった。あれがきっと金山だったものだろう。
「ついては、あの山を丸ごと人間に売り払いましょう」
「魔物がいなくなっても自然災害発生中ってことで売れるか不安じゃの。あの火って放っといたら消える?」
「三日三晩ほどで」
「その間に山が平地になっとらんといいね」
そもそも金山はわしらの所有物というわけではないので売れるか否かは疑問だが、ひとまず山に向かって歩き続けなくて済みそうだ。
「んじゃ。適当に町を探そうかの。レーコ、道案内お願いね」
「かしこまりました。最寄りの町はあちらになります」
そう言ってレーコが指さしたのは、燃え盛る山の方角である。
「ははは。冗談きついのうレーコ。もっと近いところあるじゃろ?」
「いえ。あの山脈を越えねば次の町はありません。越えずに別の町を探すのであれば、一旦来た道を引き返して――あの冒険者の街、ペリュドーナを起点に逆方向へと進まねばなりません」
「いきなり道のりが険しすぎない?」
「山脈の向こうはこれまでと別の国ですから。国境というのはえてして人を阻む山や川が基準になるものです」
「ううん……。道が悪いのは嫌じゃけど、あんまり人が越えてなければわしの悪評も伝わってないかもしれないのう……」
引き返せばまた邪竜扱いで肩身の狭い思いをするのは目に見えている。
まだまだ体力を鍛えねば今後どうなるかも分からないし、少しは運動として歩いた方がよいのではないか。
わしは煩悶する。
――だけど、最近ちょっと頑張ったし、今日くらいは手を抜いてもいいんじゃないだろうか。
「のうレーコ。わし、実はちょっと昼寝がしたくてね」
「はい」
「じゃから、わしが寝てる間にそっと飛ばせて山向こうの町まで連れていってくれん? 絶対に、絶対に起こしちゃ嫌よ」
「分かりました。そよ風で揺りかごを作るがごとく、邪竜様を安眠のうちに運びましょう」
「ちゃんとわしが熟睡したのを確認してから飛ばせてね」
早くも「旅とは地を踏みしめ」の格言を自分で横紙破りしてしまうが、レーコはそのくらいで動じる子ではない。
これで安眠のうちに次の町である。元から心労で睡眠不足気味だったわしは、草原に伏せるなり吸い込まれるように眠りへと落ちていき――
「邪竜様」
レーコの声で目が覚める。
視界は寝起きの涙で濁っているが、足元に生えている草の種類が違った。山を越えて植生もわずかに変わったようである。
「ありがとのレーコ。おかげさまでよく眠れたよ」
「いえ、礼などとんでもありません。こうして町に着く前に降りてしまうことになってしまいましたし……邪竜様、あれをご覧ください」
あれ、と指さされてもわしの視力ではレーコが何を捉えているのか見えない。
わしの視力で測れるのは、さっきまで正面にあった山脈が背後に聳えていることと、どこまでも続く新たな地平である。
と、その地平の向こうに微かな人影が見えた。
一人や二人ではない。前衛は盾持ちの剣、後衛は弓。多種多様な武器を持った百人ほどの集団が陣を組んで、ゆっくりとこちらに迫って来る。
「山に異変があったので、町の駐留部隊が様子を見に来たようです。このままでは山を横取りされかねません。……やりますか?」
「やっちゃだめ。絶対だめ」
わしはレーコの服の裾を引っ張って止める。わしが止めているうちに逃げて――そう祈るも、駐留部隊は距離を詰めてくる。
しかし、その間に割り込んでくる存在があった。
岩である。が、ただの岩ではない。いくつもの岩が寄り集まって人間や獣の形となり、まるで本物の生き物のように蠢いている。
魔物だ。山を追い立てられたのがまだ近辺に残っていたのだ。
「こちらは片付けても?」
「う、うん。くれぐれも向こうの人達を巻き込まんように――」
が、レーコが短剣を抜く前に動きがあった。
部隊の後衛から雨あられと矢が放たれる。本来、硬質な岩の魔物には効果が薄いはずだが、うなるような勢いで放たれる矢は強引に岩の身体を削ぎ取っていく。
それだけでは致命傷とはならない。小柄な獣の形をした岩の魔物が矢をかいくぐって部隊に迫る。
しかし、それも前衛の剣槍に叩き潰される。厚手の刃はこの魔物を想定しての装備だろう。
なかなか強力な魔物相手に、まるで危うさを感じさせない。
わしは感心して目を輝かせていたが、レーコといえば、
「下手に交戦するものだから邪魔ですね。今の状況だと一緒に消し飛ばしてしまいます」
一切の感情を見せず淡々と分析している。頼もしすぎて怖い。
わしはいつものように存在感を消して嵐が通り過ぎるのを待つ。このままいけば部隊が勝つだろう。
「やー! そこの邪竜様、ちょっと助けてくんなーい? 勝てそうだけどめんどくさくってさー!」
そこに、部隊の中から素っ頓狂な叫び声がした。
わしとレーコは目を丸くして見合わせる。女性の声だったが、聞き覚えはない。
わしは早くも冷や汗を流す。山を越えまでしたのに、悪評は届いてしまっていたのか。
あと、なんだかレーコはちょっと嬉しそうに不気味な微笑みを浮かべていた。
不穏な感じで「そうか……そんなに邪竜様の力が拝みたいか……仕方のない人間よ……」と呟いている。この子の喜びの琴線は本当に分からない。
「では邪竜様どうしましょう。私の希望としてはここで凄さを見せつけて格の違いを思い知らせるべきかと」
「いやダメじゃって。暴れたらあの人達を巻き込んじゃうでしょ」
「確かに……ですが、邪竜様のあの技ならば」
レーコが言うなり、岩の魔物たちが吊し上げられたかのように宙に浮かび上がった。
そして、平原の上空に突如として空間を抉ったような黒い穴が出現する。
魔物たちは抗う術もなく穴に吸い込まれていき、やがて黒穴は静かに消滅した。
「やはり、この場面ではこの技しかありませんね。邪竜様の亜空間創成を応用した必殺技『邪竜の煉獄』。人間たちもさぞ恐れ慄いたことでしょう」
わしも恐れ慄いた。
人間たちもだいたい恐れ慄いていたが――それでも一人だけ、「うっわー! すっご!」と緊張感のない声を上げる者がいた。
舞台から飛び出してきたのは、白いマントと装甲服を身に纏った少女だった。白い髪を編んでまとめている。
興奮気味にこちらに駆け寄って来て、晴れやかな笑顔で言った。
「やー邪竜様! ものは相談なんだけど、あたしを眷属にしてみたりとかしない?」




