非があるとすれば
わしは臆病である。
魔物と戦うなんて生まれてこの方考えたこともないし、そもそも荒事を想像しただけで足が竦んでしまう。
そんなわしが、たぶん最凶の魔物を前にして変に落ち着いていた。
「見直したぞ。情けないトカゲとばかり思っていたが、危険を顧みずにあの娘を助けようとはお前もなかなか根性があるじゃないか」
笑みを浮かべたアリアンテがわしの尻尾を握る。
少し誤解されている。確かにわしは勇気を振り絞りはしたが、それは単に武器として振り回される覚悟のためである。
レーコに立ち向かう危険というのは、そう考慮しなかった。
「なんというか、そういうんじゃなくてね」
「口を閉じていた方がいいぞ。本当はまずお前を元の大きさに戻したいところだが、さすがにそう易々とはいかせてくれんようだ」
アリアンテとレーコの視線が交錯したとき、空気に稲光のような緊張が走り抜けた。
来る。
刃のごとき爪を五指に伸ばしたレーコが急降下してわしらを雑草のように刈りとろうとする。
それを阻んだのはわしというより、わしを巧みに操るアリアンテである。
今回は「振る」というよりも「置く」といった印象が強い。レーコの襲い来る軌道を先読みして、最も邪魔になる位置に、両手で抱えたわしの身体を割り込ませたのだ。
爪が一閃しようとするも――
わしの腹に激突するなり、レーコは思いきり弾き飛ばされてぺたんと尻餅をついた。
何が起きたのか理解できずに、半ば竜と化した姿のままで首を傾げている。
力の源泉である思い込みは健在であっても、暴走状態にあってわしが誰だか認識できていないのだろう。
もしかするとヤギの真似のときのように「邪竜様が装備品扱いなどあってはならない」と現状を認識拒否しているのかもしれない。
警戒するように翼を再び羽ばたかせ、レーコは宙に舞い上がる。
「よし……いいぞ。せいぜいそのまま様子を見ていろ。聖女、レーヴェンディアを元に戻す準備はいいか!?」
「任せてください!」
聖女様の足元から何匹もの水の蛇が出現し、わしの胴体に絡みつく。それから綱引きのような動作で蛇を縄と手繰り、聖女様は魔力の吸収を始めた。
が、何かしらの気配を察知したのかレーコが攻勢に動いた。
手足に纏った竜鱗を逆立たせ、翼で生んだ豪風に乗せて散弾のごとく放ってきたのだ。
「くそ!」
アリアンテが悪態をついてわしを豪快に振り回す。目が回って吐きそうになるが、歯だけはなんとか食いしばる。
範囲を制する面攻撃をされては、おちおち攻撃に手を回せない。
聖女様もわしの陰に伏せて魔力の吸収を中断している。
さらに、鱗に込められた魔力は無力化できているが、風は無効化できない。鱗がわしにぶつかるたびに石がぶつかるような痛みがビシビシと骨身に響いてくる。アリアンテの体力とて無限ではない。
このまま散弾を撃ち続けられては、ジリ貧で負けてしまう。
わしの心に悲壮な色が漂いかけたときだった。
レーコの生み出す暴風に乗っていた散弾が、いきなり方向を曲げて明後日の場所に突き立ったのだ。
「ふ、俺を差し置いて風を操ろうとは、笑止千万――」
縛られていたはずの銀のドラゴンが、ボロボロになりながらも鉄縄を解いて立ち上がっていた。
身体の一部が黒焦げになっているところからして、たぶんさっきレーコが放った火球が命中して縛めを焼き切ったのだろう。
「――さあ、舞台は整った! 今こそ再戦といこうではないか小娘! そして俺が勝った暁にこそ、我が真の名を返して貰う! それでこそ俺はこの不名誉なドラドラという名を捨てること――んがっ!」
レーコが放った巨大な火球が銀竜に直撃して、彼は遠くに吹き飛ばされていった。
「ありがたい。あのドラゴンが貴重な時間を稼いでくれたぞ。後で墓を立ててやろう」
「待ってアリアンテ。たぶんまだ死んでないから」
「なぜだ? 結構エグい感じの威力だったぞ。地面も抉れているし。確かに竜族はタフだが、あの娘の攻撃力なら……」
「冷静に考えるとそうなんじゃろうけど」
わしは唸って、
「なんというかの。あんな風になってもあの子は結局レーコに違いないと思ったのよわし。傍迷惑なとこも、わしにだけは妙に従ってくるところも、いつもより言動が激しくなってるだけで本質的には変わらないんじゃないかなぁ……と」
それに気づいたとき、急に怖くなくなったのだ。
事実かどうかは分からない。本当にもう魔物と成り果てるだけなのかもしれない。
けれど、それで震えが止まったのだから構わない。
銀竜という邪魔者を排したレーコが、本来の獲物を狩るべくこちらを向いた。
レーコの背後で夕日が落ちようとしている。半透明の月が地平線に浮かんでいる。
「本質的に変わらない、か。よほど普段から問題児なんだな」
危機的状況にも関わらずアリアンテが笑う。
「そうなのよ。で、わしに何か落ち度がなかったかいろいろ考えたんじゃけど――」
ばちん! と一際大きく手を打ち鳴らす音がした。
「準備完了です! い、い、いいですね!?」
ガタガタと足を震わせて聖女様がわしらに叫びかけた。
わしらが頷くとともに、同時に作戦が動き出す。
まずは聖女様による挑発だ。
「や――――い! ば――――――か!!!!」
貧弱なボキャブラリー。
半ば理性を失ったレーコですら、怒りというよりは哀れみの視線で宙から聖女様を見下ろしていた。
そのまましばしの沈黙が流れる。
「どうするレーヴェンディア。特に時間稼ぎのいらない場面で無駄に時間が出来たぞ」
素でいるときは意図せずレーコの逆鱗を触りまくるくせに、わざと触れようとすると逆に可哀想なもの扱いをされるとは。
「うぅ……そんな……絶対怒ると思ったのに……」
「泣かないで聖女様。そうだ。わしをバカにするとええよ。あの子、わしをバカにすると一番怒るから」
もしくはライオット関係か。
「あ? そうなんですか。それなら簡単そうですね。えーっと、それじゃあ……や――い!! お前のペット、ポンコツトーカゲ!!!」
レーコが周囲の大気を震わせるくらい高々と吼えた。
わしはちょっと傷いた。
だが落ち込んでいる暇はない。レーコが吼える口に魔力を集中させ、わしらどころか余波で街ごと吹き飛ばすほどの攻撃を繰り出そうとしているのが窺えた。
「あ、後はおねがいします!」
身を屈めた聖女様が、くいっと手元の水蛇を最後に一引きする。
その途端にわしの身体が元の大きさに戻り、『邪竜』にふさわしい姿へと変貌する。
もちろん見かけだおしである。非力である。
しかし、そんなのは今この場ではまるで関係ない。
「レーコ。お主がこうなったことについて、わしに非があるとするなら――」
レーコが火炎を噴く。今までのものとは質が違う。
鋭く一直線に収束されたそれは、万物を焼き尽くす破壊の光線だ。
わしはその光線を、全身でぶつかって跡形もなく叩き消した。
「――正面から、ちゃんと叱ってやらなかったことじゃの」
尻尾からわしの身体が浮かび上がり、回転の勢いをもってレーコに打ち上げられた。




