覚悟を決めて
高速で回転する世界の中、走馬灯が見えた。
草を食った過去。樹の皮をかじった過去。洞窟でぐうすかと眠っていた過去。
生涯の回想を振り返りつつ、我ながら本当に薄い人生を歩んできたと思う。
しかし安らぎの時間は長く続かなかった。
なにしろ、半円を描いたスイングの終着点は残酷なる地面なのだ。
「んぎゃああ――――っ!!」
わしはワンテンポ遅れて悲鳴を上げながら、「びたんっ!」と情けなく地面に衝突した。
そして息を詰めて悶絶する。
「希望が見えたぞレーヴェンディア。お前という武器があればあの娘に対抗することができるかもしれん」
「うう……いかん。これはいかんよアリアンテ。わし思いっきり腹打った。それにこんなの尻尾も絶対千切れるって。だから何の躊躇もなくまた尻尾握り直すの本当にやめて」
「頑張れ。負けるな。お前こそ真の邪竜だ」
「声援が雑すぎないお主? あとわし邪竜になんてなりたくないし」
打開策の出現と同時に早くも心が折れそうなわしだったが、なぜか数呼吸のうちにみるみる痛みが引いていく。
よく見れば、アリアンテの手が淡く光っていた。
「あ、お主」
「私はこう見えて魔導士が本職でな。まして道場を預かる身。弟子に施す回復魔法の一つや二つ覚えてなくては話にならん」
なお、このときわしは妙な寒気を覚えた。
本来は優しく神聖なはずの回復魔法に、何とも言えず禍々しい用途の気配を感じたのである。
「さあ、これで尻尾は千切れないしスイング後に地面と激突しても問題ないな」
その禍々しさの正体が一瞬で露見した。まさに無間地獄である。
それにしても、痛めつけと回復を抱き合わせにする手法にまるで迷いがない。これは相当手慣れている。
「いくぞ!」
「待ってまだ心の準備ぎゃああああああ――っ!」
アリアンテが駆け出す。わしは背中を地に削りながら引きずられる。
レーコから雨あられと降り注ぐ斬撃を返す刀で弾きつつ、アリアンテは叫んだ。
「私がお前をあの娘のところまで運ぶ! 隙を見て飛びつけ! お前が貼り付けば魔力を発動できなくなるはずだ!」
「れ、レーコは、空を飛んどるんじゃけど?」
必死で舌を噛まないようにしながらわしは尋ねる。
アリアンテはその途端に大きく身を屈めた。
「ならばこちらは跳ぶだけだ」
瞬間、重力が倍になった。
まるで投石器で射出されたようにわしらの身体がレーコ目がけて宙を駆けていく。それを成したのはアリアンテの強脚一つだ。
迎え撃つレーコが放つのは無数の火球。
拳大のサイズなれど、一つ一つが熱で光を陽炎と歪ませて、周囲の空間を奇妙に捻じ曲げている。
「頼むぞ!」
「もうどうにでもして」
アリアンテはわしを盾のごとく正面に構えて攻撃をかいくぐる。
弾幕を前に無防備に身を晒されるのは、さしずめ人質にされている気分だった。
わしに当たるなり、火球は幻のように消えていく。熱さの残滓はあるが痒いくらいだ。
いける。レーコの攻撃はわしに通じない。
「もうすぐ届く! 手を伸ばせレーヴェンディア!」
目の前に迫ろうとするレーコに広げた前脚を伸ばす。そして名前を呼ぼうとしたとき――
唐突にバランスが崩れた。
原因は、正面と背後から同時に浴びせられた突風だった。
正面はレーコが黒翼を軽くはためかせた烈風で、背後は取りこぼした火球が地上で生んだ爆風であった。
二つの風に翻弄されたわしらは、放物線軌道から錐揉み状態で弾きだされる。
「いけないっ!」
受け身も取れぬ落下に助けを出してくれたのが聖女様だ。
いつぞやわしを引きずり込んだ水溜りが着地点に生まれ、わしとアリアンテの身を水飛沫の中に受け止める。
すぐさま駆け寄る聖女様。
「だ、大丈夫ですかっ!?」
「助かった。礼を言う」
アリアンテは水から上がって凛々しい視線をレーコに向ける。
「いかん……。どうも風までは消せんようじゃの……」
ぷかぷかと水に浮かびながらわしは悲観的になる。
直接的な魔力は消滅させることができても、一度生まれてしまった風は単なる物理現象だ。元はレーコの魔力といえど、遡って消すことは敵わないらしい。
「あの無数の弾は厄介だな。取りこぼすと背後で爆発する。さっき聖女を狙ったような、大きめの攻撃の方が一気に消しやすい」
アリアンテは聖女様に向きなおって、
「悪いがもう一度囮になってくれるか。できるだけ大きい攻撃を誘うよう、極限まであの娘を挑発して」
ほとんど「自発的に死ね」と同義の言葉を放った。
「嫌ですよぉっ! さっきのだって私本当に死ぬかと思ったんですからぁっ!」
「しかしお前が身体を張らねばこの街は滅びるぞ」
「う、ううっ……」
えげつない。この場でレーコに次いで邪悪なのはアリアンテではないかと思ってしまう。
と、その矛先が今度はわしに向いた。
「お前も覚悟しろレーヴェンディア。跳躍ごときの勢いでは羽ばたきで蹴散らされる。今度はダイレクトにお前をぶん投げる」
「うわあ。わし生きてられるかな」
遠心力だけで全身の血が偏って死ぬ気がする。
「四の五の言っている場合ではないぞ。見ろ」
空中のレーコの様子がおかしかった。隙だらけのわしらに攻撃もせず、ただ獣のように唸っている。
いや、それだけではない。
眼を凝らして分かった。翼がじわじわと広がっているのだ。さらに手足を覆う紋様はいつしか本物の爪鱗となって、白かった細腕を手甲のごとき様と変えている。
「元に戻るどころか、ますます竜に近づいている。悠長にしていたら手遅れになる」
「あの子ったら本当にもう……」
眷属を名乗るにも、もうちょっと肩の力を抜けばいいのに。
わしは長いため息をついた。
そして静かにアリアンテに顔を向ける。
「のうアリアンテ。お主、元のサイズのわしを吹っ飛ばしたことがあるじゃろ。投げることもできるかの」
「全力を尽くせば可能だが、薬が切れるまではまだ時間があるだろう」
「いんや。聖女様が魔力を吸ってくれれば元の大きさに戻れるみたいでな。いつもの身体ならちょっとは風にも耐えられるかもしれん」
きょとんとした顔でアリアンテがわしを見た。
「なんじゃの。珍しいものでも見る顔して」
「どうした。いや、協力的なのはいいんだが、お前らしくないと思ってな」
「時間稼ぎで戻るなら逃げ回りたかったんじゃけど。あの感じだと、遅くなればなるほどレーコが大変なことになりそうじゃから」
「まあ理屈でいえばそうなんだが――どうした? らしくないぞ? 頭でも打ったのか?」
あんまりな言いようである。
わしは単になけなしの勇気を振り搾っているだけだというのに。
「あのな、さっきお主に振り回されたとき、ちょっとだけ思い出したんじゃよ」
「まさか邪竜としての過去か」
「違うわい。そんな過去じゃなくて、わしが生まれたばかりの小さい頃の話」
わしだって最初からでかい図体だったわけではない。
そんじょそこらのトカゲと大して変わらなかった時代もある。
「わしが小さくてまだほとんど喋れないトカゲだった頃、人間の子供たちに助けられてな。というのも、人里の非常食として飼われていたわしを――」
「少し気になるが長話をしている場合ではない。結論だけ話せ」
んん、とわしは眉を寄せて。
「まあ、つまりな。何が言いたいかというと、わしはレーコのことがそんなに嫌いではないということじゃよ」




