『邪竜レーヴェンディア』っていうのがわしの名前らしい。初耳
街の上空の怪鳥の群れが一瞬で消滅した。
安堵しかけたわしだったが、ちょいと視線をずらせば、別方角から無限に湧くかのように人面怪鳥が飛来してきている。
一撃で大群を屠ったレーコの実力を見る限り、この怪鳥は大した脅威ではない。不安要素はレーコが魔力の使い過ぎで昼のようなスタミナ切れを起こして墜落することだ。
「のうレーコ。大技もええがちいとばかしペース配分を考えてな? 辛くなったら一旦下に降りて休憩してもええのよ?」
「しかし、街にいる人間はいずれ邪竜様の配下となる者たちです。いたずらに魔物を放置して犠牲を増やすわけにはいきません。私の力の及ぶ限り一人でも多くを救い――いずれは邪竜様の役に立つ死に方をしてもらわねば」
「お主、優しいのか優しくないのか分からんのう」
円形の城壁に囲まれた街の中央に飛翔する。
空中に睨みを効かせて怪鳥どもを牽制すれば、街の住民たちも迎撃の負担が和らぐだろう。
もっとも、そう判断してわしを飛ばせているのはレーコなのだけれど。
と思いきや、眼下で戦場の指揮を執っている鎧の戦士が叫んだ。
「新手だ! 新手のモンスターが来たぞ! 凄まじく禍々しい魔力のドラゴンだ! ええい、怯むな皆! ともかく最大の攻撃手段で迎撃を――!」
その魔力、わしのじゃなくてレーコの。
禍々しいとか評されるくらいにヤバいオーラ発してるのね、この子。予想はできたけど。
「撃て!」
城壁の上に立った戦士たちが一斉に攻撃を放った。
光の魔弾が、炎の渦が、剣から放たれる風の斬撃が、変幻自在の軌道を描く矢が、空を裂いて飛ぶ投槍が。
歴戦の勇士たちの放つ必殺の一撃は、その威圧感だけで半分ほどわしを気絶させかけた。
まあ長いこと生きたし、思い残すこともそんなにないかな――とわしが祈りかけたとき、
オオォォォォォ―――――――――――――――――――!
わしの背中で、レーコが吼えた。
断末魔ではない。というか、もはや人間の発する声ではない。
背中にいるのがレーコだと知っていなければ、わしも「とんでもなく強くて邪悪なドラゴンが間近で吼えている」と勘違いしたろう。
しかも、単に恐ろしげな声というだけではなかった。
凄まじい咆哮は物理的な衝撃をもって球状に広がり、あたかも結界を張ったかのように、飛来するすべての攻撃を完璧に打ち消してしまったのだ。
「狼藉者どもめ。かくも些末なる力で邪竜様に仇なすか」
レーコの声は夜空に高らかと響き渡っている。
もう駄目だ。完全に悪役の登場である。
「ちょっとレーコ。待って待って。お主、さっきの話を忘れてない? わしは邪竜じゃなくて単なる駄竜ね。んで、お主は眷属とかじゃなくて普通の竜遣いの魔導士。今からでも頑張って路線修正して」
「……そう、でした。申し訳、ありません。承知、いたし、ました。努力、します」
下手糞な芸人の腹話術みたいな喋り方だった。
思い込みは激しいのに自覚して何かを演じるのは苦手らしい。
「間違えましたみなさん。私は非常に清らかな心を持つ正義の魔導士です。こちらは何も取り柄がないですが非常に大人しく人に懐きやすい安全な竜でございます。街が燃えた大変なようなのでみなさんを助けにきました。歓迎してくれると嬉しく思います」
沈黙が夜を支配した。
パチパチと街の建物が燃えていく音だけがまるで焚火のごとく呑気に響いている。
「……どうする?」
「いや、正直めちゃくちゃ胡散臭いけど、戦っても勝ち目なくない?」
「さっきの攻撃、一吼えで散らされたしな」
「罠でもとりあえず乗っとくべ」
「んだ。味方ぶって背中から刺してもええし」
「よし。ひとまず味方ってことで扱おう。絶対信じねえけど」
「決まりだな」
「――などということをヒソヒソと話しているようですね。私たちの耳をあの程度の小声で誤魔化せると思っているのでしょうか」
ちなみにわしには何も聞こえなかった。
「よし! 歓迎しよう! そのままゆっくりと降りてこい。城壁の砲台がちょうど空いている。そこに着地しろ」
指揮官がこちらに応じる。レーコの操る黒翼が羽ばたきの勢いを落とし、滑空するように宙を降りていく。
砲台のスペースに降りると、殺気をみなぎらせた冒険者の方々の出迎えがあった。もう帰りたかった。
「互いに腹に抱えたものはあるだろう。だが、少なくともこの場で君たちが敵でないことを幸運に思う」
と、一人だけ殺気の薄い者があった。もしくは隠すのが上手いのかもしれない。
指揮官らしい鎧の戦士だ。
こちらに歩み寄ってきながら、握っていた長大なブロードソードを背中の鞘にしまい、兜を外した。すると、鮮やかな赤い長髪がはらりと腰まで流れる。
女性だ。
この猛者たちの中にあって女性の身で指揮官を務めるとは、よほどの実力者なのだろう。
「アリアンテという。どうかこの街を救うため、我々とともに戦ってくれ」
丁寧に手甲まで外して彼女はレーコに握手を求めてきた。
さすがにわしの方には来ないようである。そもそも握りあえるほど手のサイズが合わないし。
「こちらこそ、よろしくお願いします」
堂々と握手を求めてきた騎士のアリアンテに対し、レーコはちょっと目線を逸らしつつ手を差し出し返した。単に挙動不審になっているだけだろうが、かえって怪しく見えてしまう。
「私はレーコ。そしてこちらは我が主たる偉大な邪竜様……ではなく、普通のドラゴンです」
「お主さ、わざとやってない?」
「邪竜様の命に背くなど、滅相もありません」
「ほらまた邪竜って呼ぶし」
「ドラゴン殿。貴方のお名前は?」
ふいにアリアンテから尋ねられて、わしは目を丸くした。
名前なんてないのだ。わしの種は長寿な代わりに個体数が少ないから、一つの生息圏の中で二頭も三頭も集まらず、当然として個体を区別する呼び名も必要ない。
ところが、思わぬ方向からの流れ弾があった。
ざわめきを隠せない背後の冒険者たちからである。
「なあ、あの黒鱗に蒼い瞳って……南の村に祀られてる邪竜レーヴェンディアじゃないのか?」
「ギルドの手配書で見たことがある。間違いねえ」
「飛んできたのもあっちからの方角からだよな」
「嘘だろ。あの魔王と双璧を成す大怪物が目覚めたなんて……」
驚愕。わしに大層な名前が付いていた。
レーヴェンディアとか名乗ったこと一度もないけど。
その会話を聞くなり、水を得た魚のようにレーコが元気を取り戻した。
「ふ。人間どもにしては鼻が利くではないか。悟られてしまってはしょうがない。まさしくこのお方こそ邪竜レーヴェンディア様。だが光栄に思え。邪竜様は貴様らを害するつもりはない。当面の敵は邪竜様の統べるべきこの世をほしいままに蹂躙しようとする、無謀にして愚かなる魔王のみだ」
「お主もノリノリで観念しないでくれる? もっと粘ろうよ」
「もとより邪竜様の御威光は私の演技ごときで隠しきれるものではありません」
「うわ、わしに責任転嫁してきた」
アリアンテは表情を硬くし、
「まさかとは思ったが、やはりそうだったか。それにしても――魔力を隠すのが上手いな。一瞬、本当にただの大トカゲかと思ったぞ」
「邪竜様を愚弄するか」
レーコが目を鋭くして宝石の短剣を構えた。だが、アリアンテは動じない。
「分かっている。眷属にされたばかりのお前からして、既に私の力を上回っている。それだけで本体の力は推し量れようものだ」
ん? とわしは首を傾げた。その疑問を代理するかのようにレーコが問う。
「なぜ私が眷属にされたばかりだと知っている」
「見れば分かるさ。力の大きさに比して、魔力の扱いがまるでなっていない。それがかえって恐ろしいがな」
扱いがなっていないというのは、換言すればまだ伸びる余地があるということだ。
ここにいる誰よりも、他ならぬわしが戦慄した。
「だが、今は長話をしている場合ではないな。魔王を倒すという話はまた後で聞くとして、まずはこの街の火を収めねばならん。幸い怪我人はほとんどないが、このままだと街が焼け落ちる」
「え? こんだけ燃えとって人の被害ないの?」
「何だ竜よ、不満か?」
「いやいや。よいことだと思っとるよ。怪我したり死んだりしたら大変だもんの」
「……呑気なことを言うものだな」
調子が狂ったと言わんばかりにアリアンテは咳払いをした。
「ともかく街を見てくれ。あいつが街を荒らす魔物だ」
首を伸ばして街を見下ろした。
街の建物を壊し、火を放ち、破壊の限りを尽くしているのは――骸骨だった。
といっても、単なる人間の骸骨ではない。白い骨が無数に組み合わさって、異形の怪物の形や、攻城兵器のような形に変化して自在な動きを見せている。
しかもそれが一体ではなく、街中にいくらでも走り回っている。
「最初はあの人面鳥だけの襲撃だった。対空攻撃で順調に迎撃していたが、鳥どもの死体が溜まったころに、死体から抜けた骨がああして動き始めたんだ。戦えば弱いのが幸いだが、数が多い上に、いくら砕いて細かい破片にしても再結集して動き始める。完全に無力化するには原型がなくなるまで焼き尽くすなり溶かすなりの手段を取らねばならん」
なるほど。魔物にありがちな汚い二面作戦である。
レーコは上空をじっと眺めて、
「さっきみたいに、私と邪竜様の攻撃ならあの鳥どもを骨すら残さずに消せる」
「そうだ。お前たちには空の方を頼みたい。骨の供給がなくなれば地道にではあるが数を減らしていくことができる」
わしは嫌だった。また空なんて飛んだら、いつ降ろしてもらえるか分かったものではない。
しかし何の対応も取らなければ魔物と認定されて袋叩きされそうだ。
「レーコ、よい鍛錬の機会だ。お主だけで行ってみよ。飛べるな?」
「邪竜様には及びませんが」
ばさっ、と黒い翼がレーコの背中から生えた。この子、「やれるな?」って言ったらだいたいのことをやりそうな気がする。演技以外。
「それでは奴らを殲滅して参ります」
「疲れたらちゃんと休憩は取ってな? 空中で寝たらいかんよ?」
果たして注意は聞こえたかどうか。残像が残るほどのスピードでレーコは宙に舞い上がり、夜空に銀光の爪痕を描き始めた。
そしてふと思い出す。
わしは大勢の冒険者たちに囲まれて、どこにも逃げ場のない状況だった。レーコがいなくなれば身を守ってくれる存在はない。
「レーヴェンディアよ。眷属の娘だけで大丈夫か?」
アリアンテが眼光鋭くこちらを睨んでいる。
「手伝ってやりたいのは山々じゃが、わしが戦うと余波だけでこの街が壊れてしまうでの。お主らもそれは望まんじゃろ」
焦った挙句、一世一代のホラを吹いた。
実のところ全身全霊で突進しても民家一つすら壊せないと思う。
どうにか話を逸らそうと、わしは至極当然の忠言をして冒険者たちを散らそうと試みる。
「ほれ。わしはここで休憩しとるから、お主らは早いとこ『生首』を探して骨を止めるがよい。人面鳥の死体に紛れてなかなか見当たらんじゃろうが……」
「『生首』? 何のことだ?」
なぜかアリアンテが理解していないようだったので、
「何って、この骨の化け物――繰首頭の本体じゃよ。ほれ、人間の生首の形をしとって、その視界の中にある骨を操るやつ。街中あちこちで動いとるから、どこか高いところに転がっとるんじゃろうな」
人面を持つ魔物の死体に隠蔽して繰首頭を送り込み、骨の軍勢で街を攻め落とすというのはちょっと昔に流行っていた手段だと思う。まだ図体が今ほど大きくなかった頃に人間から餌をもらっていたことがあったが、餌をくれていた住民の街がその手で攻め落とされたことがある。
あのときは悲しかったので、「何と卑劣な手口だ」とよく記憶している。
「皆! 聞いたな! 怪鳥の死体に紛れて、不自然な位置にある生首を探せ!」
弾かれたように冒険者たちが散開した。
と思いきや、僅か数十秒後には誰かの雄叫びが挙がり、街中の骨がからからと力を失っていった。
「さすがに魔王軍の元幹部だ。魔物の能力に詳しいな。ギルドの文献にもそんな情報は載っていなかったぞ」
褒めているのか皮肉っているのか、生真面目な顔をしたアリアンテの本心は読めない。
不用意な発言で変に疑わせてしまったかとわしは内心に汗を流す。そして冷静に考えて思いだす。
わしが小さかった頃だから、4000年以上前の出来事だ。
そりゃあ文献にも残っとらんよ。