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真の邪竜は


「レーヴェンディア! 今すぐ眷属の娘から離れろ!」


 仲間を連れずに単騎で戻ってきたアリアンテは、わしの元に駆け寄るなりそう叫んだ。

 またもうたた寝気味だったわしは目をこすって、「なんじゃな急に」とうめく。


「よかった、まだ乗っ取られてはいないようだな。ともかく今すぐ離れろ。もしかするとお前の身体にはまだ例の精神魔物が憑依しているかもしれん。街から増援の術師を呼んでいるから、そいつらが憑依の有無をはっきりさせるまでお前も結界で隔離したい」

「それなら大丈夫よ。ついさっきレーコに突撃して散っていったわい……可哀想にのう……」


 ああ、とアリアンテの表情から力が抜けた。


「結局そうなったか。つくづく規格外だな、お前の眷属は」

「この子が無事なのはよかったんじゃけどね……。あの魔物ももう少し話を聞いとくれればよかったのに」

「それは無理な話だ。魔物というのは基本的に普通の動物と違って、人間を害することが行動原理になっている。どうあろうと話し合いが通じる相手ではない」


 わしは一心不乱に泥の塔を建造している聖女様を見て、


「あれは?」

「稀有な例だな。魔物として生まれたが、たまたま信仰が得られて神に鞍替えしたタイプだろう。元々、魔物や精霊や神といったものに明確な区分はない。人の役に立つのが神、害するのが魔物、どちらでもないのが精霊といった具合だ」


 要は毒と薬みたいな区分だろうか。


「人間の悪感情が集結して自然から生まれるのが魔物だ。だが、信仰心が長い時間で集えばああなる可能性は皆無ではない」

「じゃ、あっちは?」


 わしは未だ気を失った銀のドラゴンを爪先で示した。ここにはいないが三頭象もレーコによって強制的に改心させられた。あれは人を害するべき魔物としてどうなのか。

 アリアンテは真剣に口を結ぶ。


「もっと単純だ。魔物は、より強大な魔物に従う本能がある。たとえ知性を持った上級の魔物であろうとその本能には抗いがたい」

「レーコってば魔物のヒエラルキーの中に組み込まれとるの?」

 しかも頂上付近に君臨しているとは。

「邪竜の眷属だからな。魔物の類だろう」


 議論の土台がおかしい。そもそも邪竜とかいう存在がいないのに、眷属だけ実在するなんて。

 わしはレーコの寝顔を見た。

 見た目は何の変哲もない子供なのに、つくづく難儀なものである。


「妙だな」


 と、いきなりアリアンテが立ち上がった。

 聖女様も泥の塔を崩して両手に魔物避けの水を集わせ始めた。


「え、二人ともどうしたの急に?」

「雲の流れが速くなった。それに、巨大な魔力が近づいてきている。レーヴェンディア、お前も野生動物だったなら少しは勘が働かないのか?」

「んー。目の前に対象がいたらだいたいの強さとかは分かるんじゃけど、そんな風にざっくりした気配は探れんよわし」

「分かった。下がっていろ」


 役立たずの烙印とともにわしはてくてくと草むらの陰に引っ込む。

 夕焼けに赤く染まっていた空はみるみるうちに光を失くしていく。空を覆っていくのは不気味な紫色の雲塊だ。

 色濃く漂うのに雨の一滴も降らせていないのがかえって奇妙である。


「分かります。あれ、すっごく大きい魔物です」


 聖女様が敵に向かって威嚇する猫のように身震いした。アリアンテは既に剣を構えて呼吸を整えている。

 やがて紫雲は地上に向けて降下を始めた。通常の雲ではおよそありえない動きだ。

 いつの間にか祭りの囃子も止んでいる。住民たちも異常に気付いて屋内に避難したのかもしれない。


 来る。

 こちらを押し潰すような軌道で降って来る雲と、戦闘員二名の視線が交差し――


『くそ……くそ! 我の本体までも吸い込むつもりか、邪悪なる小娘め! 貴様らぁ! 見てないで止めろぉ!』


 紫雲がなんか喋った。

 二人の視線がわしを――というより、わしの背中のレーコに向く。

 未だ眠ったままだが、確かによく見れば紫雲はレーコを目がけて落ちていっている。


「まさか本体まで吸い込もうとしていたのか……」


 剣を鞘に納めたアリアンテは、眠るレーコの頬を指先で軽く突いた。


『何なのだ……! 一体何なんだというのだ、この娘の異様に大きい闇は……! しかも特に根拠のない絶妙にフワっとした感じの闇は……!』

「わしもね。どういうことかずっと気になってるんだけどね」

『しらばっくれるなこのクソ雑魚トカゲぇ! なんかこう……あるだろ! これだけの闇を抱えるようになった過去とか!』

「うん……」


 わしは深く深く頷く。申し訳なさと多大なる共感を胸に秘めて。

 しかし、そんな心のやり取りは長く続かなかった。


「待て貴様。今、邪竜様を何と呼んだ?」


 死神が目覚めてしまった。

 地に降り立ったレーコは青い瞳を煌々と輝かせ、仁王立ちで紫雲を見上げている。


『お……起きたか小娘! 我が止めろと言ってるのにぐうすか寝続けやがって! 早く我を吸い込むのを止めろ!』

「私は何もしていない。風車に飛び込んだ脆弱な羽虫が勝手に巻き込まれて死にゆくだけのこと――」


 比喩がちょっとカッコいい。ひと眠りしてノリノリみたいである。


「温情深い邪竜様は分体を始末するだけで見逃したようだが、私は許さない。貴様は邪竜様を冒涜した。その愚行は天地において二つとない大罪と知れ」

『ふざけるな! 我だって魔物ゆえ死は覚悟しているが、こんな理不尽な死に方があってたまるか! 根拠のないフワっとした闇に呑まれるなど……ええい、こうなれば!』


 精神魔物が吼え、紫雲が竜巻のように渦を巻いた。

 そしてレーコを貫かんとする勢いで突進していく。


「無謀な」


 レーコが呟き、わしとアリアンテと聖女様が一様に頷いた。

 突き出されたレーコの拳が空圧だけで竜巻を吹き散らし、空を晴れやかな夕空に戻す。


『くそ……我もここまでか……。だが、最後の最後に貴様の闇を覗かせてもらうぞ……。貴様の、真なる闇を……』


 千切れた雲の欠片が、末期にそう言葉を放った。見れば無数の雲の欠片がレーコにまとわりついて、最後の抵抗をしている。


「そうか。そんなに私の闇が知りたいか。ならば教えてやろう。私は――」


 レーコは人でも殺してきたかのような邪悪な笑みを浮かべて、こう言い放った。


「ライオットが私を屋敷から放逐しようとすることに怒りを抑えきれず、夕食のスープに奴の嫌いな緑豆をこっそり混ぜてやったことがあります」

『こいつもか! こいつもこんな感じか! 畜生が! だからそういうのはやめろと言って――あっ』


 糸がぷつりと切れたように精神魔物の声は途絶え、紫雲の欠片は跡形もなく消滅した。

 わしは本当に申し訳ない気分になって、せめてもの祈りを捧げた。


「申し訳ありません邪竜様。私としたことが魔物の挑発に乗ってしまい、つい醜態を晒してしまいました。人間時代のこととはいえ――主の家の子弟に無礼を働くとは、誇りある奴隷として失格の行いでした」

「いいんじゃないかの。好き嫌いを直してやるのはいいことじゃと思うよ」

「それはそれで複雑です」


 ライオットのためになったと思うのも癪なのだろう。レーコは首を斜めにして怪訝顔だった。


「ま、これでこの街を狙ってた魔物も退治できたし一件落着じゃの。みんなで祭りに戻って飯でもくわんか? そしたらレーコ、また適当な街を目指して出発を」

「それなのですが、邪竜様」


 レーコは軽い相談でもするような感じで切り出した。


「ん? どうかしたの?」

「実は、ただ今魔物を吸い込んだことで魔力がいつも以上に充足しておりまして」

「うん」

「そこに加えて心の闇を晒したことでいささか自制の力が落ちておりまして」

「あれで闇なのね。うん、それで?」

「未熟な私では少しばかり魔力の制御ができなくなりそうなので、よろしければ邪竜様のお力で止めてもらえるでしょうか?」

「ああそんなこと。ええよええよ。えーっと……ん?」


 あまりにも平穏な風に言ったので、あんまり内容が咀嚼できていなかった。

 そこに、街の方から紫雲の接近に慌てたらしい警備兵の集団が駆けてくる。


「アリアンテさん! さっきの紫の雲は一体――?」

「下がれ! もっと危険なのが出るぞ!」


 わしが制止する暇もなく、アリアンテは何の躊躇もなくレーコに斬りかかっていた。

 しかもいつぞやの峰打ち剣ではなく、正真正銘の真剣で。


 それをレーコは指一本で受け止めてみせた。


「れ、レーコ?」


 返事はない。レーコは俯いたまま、酔っ払いのように肩を左右に揺らしている。


 そして一瞬のうちに劇的な変化が生じた。


 レーコの手足にわしの鱗を模したような紋様が浮かび上がり、背にいつぞやの黒翼が生える。

 ゆっくりと正面に上げられた顔には青い瞳が煌々と光り、一切の言葉を封じるように口は真一文字に結ばれている。


「いかんってレーコ。さっきのはナシ。わしにはそんな大それたこと――」

「もう無駄だレーヴェンディア!」


 アリアンテの言うことは正しかった。

 レーコの翼が羽ばたくと同時に、一帯に爆風のような衝撃が走って全員が吹き飛ばされた。

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