一件落着……?
祭りの騒ぎを遠くに聞くというのは、いささか味気なかった。
だが、少々の退屈と引き換えに事態の終息が得られるなら大したことではない。
銀のドラゴンを包囲するように聖女様が即席の水路を引いて、わしらはあくび混じりに延々と監視を続けている。
「平和じゃの」
「はい。丸一日は目覚めないように拳を撃ちましたから」
「そっか」
平和は尊い犠牲の上に築かれていた。
わしは静かに黙祷を捧げて銀竜の安寧を祈る。
「いやあレーコ様がいると本当に安心です。どんな怖い魔物が来てもどうってことないです。どうですか? もしよろしければこの街で暮らしませんか?」
「戯言を抜かすな。私たちは魔王を倒す旅路の途中。こんな片田舎でのうのうと過ごしている暇はない」
「そうですかー。残念です」
聖女様のありがたい申し出は、あっさりとレーコによって断られてしまう。
まあ、仮にレーコがいなくともわしも辞退しただろう。
長期滞在となれば、この聖女様はまたどこかでレーコの逆鱗に触れてしまいそうだし。そうなったら街の人に対して責任が取れない。
見張りながら休憩しつつ、アリアンテが戻ったらドラゴンのことを任せて早々に発とう。
「聖女様、周りはどんな感じかの?」
「魔物の気配は全然ないです。それよりも街の警備の人がこっちに来ないかが心配かも。今はみんな酔っぱらってるみたいだけど」
「そうじゃなあ。こんな大きい魔物が転がってるのが見つかったら騒ぎになって祭りどころじゃなくなるもんのう」
と、レーコが手刀を振るアピールを見せた。
「そうなる前に街の連中を全員眠らせて来ましょうか? このドラゴンのように」
「それは本末転倒というものじゃよ」
盛大な篝火に、作物が捧げられた急造の祭壇。ご馳走が呆れるほど並ぶ長卓に、街を隅まで彩る錦布。
そんな華やぐ景色の中で、住民たちがみんな気絶して倒れ伏している。
あまりのギャップに恐怖しか感じない光景である。
通りすがりの旅人でも来たら、邪悪な儀式に失敗してみんな魂を抜かれたとか勘違いしそうだ。
「たぶん大丈夫です。もしこっちに来そうになったら私が止めてきます。見てくださいっ」
聖女様は自信満々に胸を張ると、操った水で自分の身体を包んだ。
一瞬ののちに水が吹き飛ぶと、現れたのは最初に会ったときと同様の子供の姿だった。
「驚いたでしょう? なんと、あのとき道案内をした少女はこの私だったのです!」
「わあ。驚いたなあわし」
「なんだかリアクションが薄いですね……? まあいっか。警備の人が近寄ってきたらこの姿で迷子になったとか言います。そうしたら街の方まで誘導できますから」
「うん。期待しとる」
役立って上機嫌の聖女様は、ニコニコと笑いながらレーコに顔を寄せる。
「ねえねえレーコ様。私、このとおり自由に変身できるんです。なんせ水は決まった形がありませんからね。何かリクエストがあればお好きなものに変身しますよー?」
「何でも……?」
意外。レーコが何やら興味深そうな反応を見せた。
どうせ「うるさい黙れ」と跳ねのけるだろうと思っていたが、まさか年相応の無邪気さも兼ね備えていたというのか。
と、レーコがくるりとこちらを向いた。
「邪竜様。ご相談なのですが」
「うん?」
「もし御身を似せることを許していただけるなら、あの水魔に邪竜様の真の姿を模させてよろしいでしょうか?」
なんのつもりだろう、とわしは思う。
大サイズだろうと小サイズだろうと、わしの姿など常日頃から見ているはずであろうに。
「ええけど、何させるつもり?」
「実は先ほど、祭りの演劇を見て思ったのです。あの水魔ごときに来歴の劇があるならば、邪竜様の偉業を伝える物語がなければおかしいと」
「だんだん雲行きが怪しくなってきたの」
恍惚と舌微笑みを浮かべてレーコは続ける。
「故に――あの水魔に邪竜様の5000年分の生涯を余すことなく叩き込んで、役者に仕立てようと思うのです。ご安心ください。私がすべて指導します」
わしは重々しく首を振った。
聖女様が動揺のあまり、ぐしゃぐしゃの雲みたいな不定形になっているのが見えたからである。
「うんとね。わしの生涯は他人に演じられるようなものじゃないからダメ」
「……やはりそうですか。せめて一分の再現だけでもと思ったのですが」
「ええのええの。ちゃんとお主に伝わっていればわしは満足じゃよ」
実際のところレーコにこそ一番伝わってないけど。
「ほれ、しばらくは暇そうじゃしまた昼寝でもしとったらどうじゃの? もしかしたら出発が夜になるかもしれんでな」
「かしこまりました」
睡眠を勧めると、レーコは定位置であるわしの背中によじ登って、またもやコロっと寝た。
安堵して元の成人女性の姿に戻った聖女様は、しげしげとその様を眺める。
「不思議ですねぇ。レーコ様、なぜかトカゲさんにすごく懐いてるんですね」
「複雑な事情があっての。あと、あんまりレーコの近くでトカゲって言わないで。うっかり目が覚めたらお主もあのドラゴンみたいになっちゃう」
わしの忠告を聞いてか聞かずか、聖女様は睡眠中のレーコの顔をまじまじと見つめている。
「それにしても、本当に普通の人間の子供みたいですね?」
みたい、じゃない。
信じがたいけれどそのまんまなのである。
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駿馬の脚をさらに魔力で補強すれば道行きはこの上なく速い。
想定よりも余裕を持って街に到着したアリアンテは、ひとまず道場へと戻ることとした。
冒険者として各地を巡っていたときに蒐集した道具や宝物は数多い。あるいはあの中に、有用なものがあったかもしれない。
たむろしている連中もいるだろうから、声をかければ腕に覚えのある術者を探してもくれるだろう。
「おいみんな――」
しかし道場の扉を開けたアリアンテが見たのは、板張りの床に転がされたライオットの死体だった。
その周りでは、怪しげな薬液を沸騰させている奴とか、怪しげな呪文を唱えている奴とか、根性論の励ましを吼えている奴とか、とにかく色んなタイプの救命者がいた。
おそらく死に追い込んだのもそいつらだろうけど。
黒頭巾で顔面を覆った怪しげな術者が叫ぶ。
「まずい! アリアンテさんが帰ってきたぞ! 早く隠せ!」
「無理だいまさらどこに隠すってんだ!」
「大丈夫だいじょーぶ。寝てるだけ寝てるだけ。そう言い張ればいいもん」
「待ってみんな。今度こそ薬が上手くいくから! さっきのはちょっとしたミスだから!」
アリアンテは無視して道場奥の流し場に向かった。
そしてタライいっぱいに水を張って、死に際のライオットの顔面を狙ってぶちまける。
びちびちと魚みたいに少年が跳ねた。
そして水から逃れようともがき、咳き込んでのたうつ。
「おお、やったぞ! 息を吹き返した!」
「さすがアリアンテさんだ!」
「馬鹿か貴様らは。これは死んだふりだ。こんな子供にまんまと騙されるとは感心できんぞ。というか脈くらい取れ。救命しようとしたくせに誰も確認していなかったのか」
「くそっ!」
アリアンテが指摘すると同時、死体だった少年は文字通り生き返ったような勢いで道場の外に飛び出そうとした。
しかし、その動きは回り込んだ汚い大人数名にブロックされる。
「嘘はいけないなぁライオット君。我々とっても心配したじゃないか」
邪悪な笑みである。
「嘘こけ! なんならちょっと楽しんでたろてめえら!」
ぎゃあぎゃあと言い争う声に呆れつつ、アリアンテは本題を切り出そうとする。
だが、その前に違和感があった。
――死んだふり。
なぜかそのフレーズが妙に引っかかったのだ。
アリアンテは記憶を探る。近々に戦った魔物で取りこぼしがなかったか。
最も怪しいのは、レーヴェンディアに憑りついた瞬間に消えた分体である。
邪気を糧とする魔物なら、あの無害なトカゲに憑りつけば相応に弱るだろうことは予想できていた。
しかし、だからといってああまで完全消滅するものだろうか?
考えつつも、アリアンテは己を戒めるように首を振った。
「いや、間違いないはずだ。眷属の娘が気配の消滅を確認した」
あの娘の能力は次元が違う。探知においても誰よりも正確だろう。間違いなどあるはずがない。
――メェ
――なんだヤギか
結論付けようとしたとき、降って湧いたのは先刻の間抜けなやり取りだった。
そしてそれが意味するものに気付いた瞬間、アリアンテは戸を破る勢いで道場から飛び出していた。
「アリアンテ様?」
「悪い皆! 魔物探知や封印に長けた術者を穀倉の街まで手配してくれ! 私は先に行く!」
ただならぬ雰囲気を察して並走してきた馬に飛び乗り、アリアンテは渾身の力で手綱を握る。
レーヴェンディアが関係する場合においてのみ、あの娘の勘はまるで信用してはならなかった。
彼女の能力の源になっている思い込みの元がレーヴェンディアなのだから当然だ。
そして彼女にとって、レーヴェンディアに触れた精神魔物が生存しているなど――『あってはならない』。
たとえそれが事実であろうとなかろうと、彼女は『消えた』と認識するはずだ。
「もしそうだとしたら、狙いは――」
まだレーヴェンディアの体内に精神魔物が潜んでいるなら、狙うのはただ一人だろう。
誰よりも強力な魔力を備えた、その眷属である。




