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崩壊へのニアミス


「いけないっ! 街が泥で埋もれてるっ! 早く戻さないとみんなが沈んで死んじゃうー!」


 意識を取り戻した聖女様の第一声がそれだった。

 最初はほとんど半狂乱にも近い状態で慌てふためいていたのだが、楽器を打ち鳴らす楽隊や泥遊びに耽る祭りの風景を見て、徐々にその動きを緩めた。


「おはよ聖女様。もう身体は大丈夫かの?」

「トカゲさん? あ、あの……? これってみんな、何してるの……?」

「お祭りじゃよ。心配せんでええ。お主の湧かせる泥をみんな心待ちにしとったようじゃよ」


 聖女様は泥が利用されることは知っていたようだが、まさか街全体を沼化してなお感謝されるとは想像もしていなかったようだ。

 こうして備えがある以上、過去に何度か同じことをやっているはずだが、たぶん魔物時代のことで記憶が曖昧なのだろう。


 だが、一安心と喜ぶべき状況にあって聖女様はなぜかいささか不満げだった。


「あっ、そうなんだ……。ふーん……よかったね!」


 そしてまたいじけたように三角座りで広場の隅の資材に向かう。

 無事を喜ぶ気持ちと、魔物としてのプライドがぶつかり合っているらしい。

 横から顔を覗き込むと、顔を真っ赤にしてぷるぷると震えている。


「そんなに悔しがらんでもええじゃろ。お主だっていまさらこの街を沈める気なんてあるまいし」

「うるさーい! やればできるんだから! 少しは怖がらせてやる! えいやぁ――っ!」


 聖女様が叫ぶと、ほんの気持ちばかり地面が柔らかくなった。

 次いで街のどこかで「お恵みの泥がさらに湧いたぞ!」と歓声が上がった。

 悶絶した聖女様はごろりと不貞寝した。


 この街はきっと今後も平和だろう。


 わしは安心して祭りの輪にこっそり入っていく。ちょうど新鮮な野菜が振る舞われているのだ。

 アリアンテが見張り――ということになっているから、街の警備兵が『邪竜』のわしにいちいち付いて回ることもない。


 それでも順番待ちの列に並ぶと目立ちすぎるので、野菜を捌く調理場の裏手に回った。


 調理場の裏手には、乾いた土や灰を撒いて地面の水気を抜いたスペースがあり、何頭かの馬が繋がれている。


 蹄が長い間泥に埋もれていると、馬はストレスで落ち着かなくなる。

 常設の厩や家畜小屋は浸水対策を取っていたが、流れの商人の乗ってきた馬はこうして一部ここに避難させられているのだ。

 調理の残飯がそのまま与えられるので給餌の利便性も高い。


 わしは何食わぬ顔で馬たちの間に滑り込んだ。

 商人に飼いならされた馬だけあって温厚である。近づいても騒がないし怯えない。

 

「すまんの。ちょっとわしにもおこぼれを分けとくれ」


 ぶるるん、と馬が鳴いた。動物と意志疎通はできないけれど、たぶんオーケーしてくれたのだと思う。なにしろ祭りで出る残飯は膨大だ。彼らだけで処理しきれるものではない。

 馬たちの陰に隠れつつ、運ばれてくる切れっ端にありつけばいい。


 が、そこで思わぬアクシデントが発生した。


「あ、ドラドラだ! まだ街にいたんだ!」


 調理場から、野菜の葉っぱを大量に抱えた子供たちが走ってきたのである。

 この馬たちに餌やりをして遊んでいたらしい。


 途端にわしの心が凄まじい警報を発した。

 なんということだ。すっかり子供たちの存在を失念していた。

 ドラドラ呼ばわりされているところをレーコに見られてはいけない。激昂するに決まっている。


 しかし、この泥場では走って逃げるのも難しい。子供たちにすぐ追いつかれてしまうだろう。

 目をキラキラさせながら近寄ってきた子供たちに対し、わしが取った苦肉の策は、


「……メェ」


 喋れない普通の動物を装い、人違いならぬ竜違いだとアピールすることであった。

 しかしトカゲの鳴き声なんてさっぱり分からないから、つい発してしまったのはヤギっぽい鳴き声である。


「あれ? ドラドラ?」

「メェ」

「喋らないね」

「お腹が空いてるのかな?」

「メェ」


 ぐいぐいとわしの口に野菜が押し込まれる。とても甘くて美味しい。

 嬉しいには嬉しいし感謝の言葉を述べたいが、ここは一刻も早く去ってもらわねばこの子たちが危険に晒されてしまう。

 わしは恍惚の表情でメェメェ連呼した。


「もードラドラったらなんで喋らないのー?」

「お昼寝明けで寝ぼけたりしてるのかな?」


 子供たちは遠慮せずにわしの背中にまでよじ登ってくる。

 わしは助けを求めて辺りに視線を振る。ちょっと離れたところにアリアンテが立っていたが、目を背けて口元を押さえていた。あれは絶対笑っている。騎士のくせになんて非情なのだろう。


「……邪竜様?」


 しかし、その場に突如として投下された一言にわしとアリアンテは一瞬で戦慄した。


 手に抱えた綺麗な野菜のザルをぼとりと地面に落とし、驚愕の表情でわなわなと震えるレーコがそこにはいた。


 きっと、わしへの土産を調理場で調達していたのだろう。

 ありがたいことだがタイミングが最悪だった。


 アリアンテが剣の柄に手を触れて臨戦態勢を取る。

 せめて子供たちが逃げる時間だけでも稼ごうという決死の覚悟が窺える。やはり騎士だった。


「メェ」


 応援としてわしができたのは、せめてもの欺瞞工作だけだった。

 わしはヤギです。ちょっと珍しいヤギです。自己暗示でもかけるようにそう念じる。


「眷属の娘よ。我が命にかけてもここは通さ――」

「なんだヤギか」


 アリアンテが子供たちとレーコの間に割り込むと同時に、レーコがなんか呟いた。


「……今、何と言った?」

「いけない。疲れている。ヤギと邪竜様を見間違うなんてあってはならない。邪竜様があんな風に子供に馬乗りされるはずはない。きっと私が疲れているだけ。あれはヤギ。断じてヤギ。間違いなくヤギ」


 レーコはザルを拾ってすたすたと引き返していった。

 助かった。わしが子供に遊ばれている風景を見て思考回路がオーバーフローを起こしてくれたらしい。

 要は許容できない現実を前に現実逃避したのだ。


「すまない。私としたことが気が緩んでいた――すまないが子供たち、そのドラゴンから離れてくれるか。実は病気で喋れなくなっているところでな。今から治療しなければならないんだ」

「え? そうなのドラドラ?」

「ごめんね。病気だったの?」


 泣きそうな顔になる子供もいたので、アリアンテが「ちょっと風邪で喉が腫れただけだ」とフォローを入れる。

 わしはちょっと調子に乗って過剰にメェメェとアピールして、アリアンテから密かに「うるさい」と睨まれた。


 子供たちが解散した後、アリアンテは長い長いため息をついた。


「レーヴェンディア」

「はい」

「少しは威厳を持った方がいいな、お前は」

「威厳と言われてものう……」


 わしは肩を落とす。

 ボロが出る日はそう遠くないのでは、と暗澹たる気持ちになった。

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