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過去帰りする聖女様


「ちょっ、いきなりどうしたの聖女様。目とかいろいろ怖くなっとるけど。あと街沈んどるよ」

「我は水魔――底なしの絶望に人を呑み糧とする者――」

「いかん。これはもしやレーコへのリスペクトが過ぎてしまったか」


 この豹変っぷりは覚醒したときのレーコ以来である。言ってる台詞も心なしか似ている。

 わしは聖女様の近くに身を縮こめて顔を寄せる。


「目を覚ますんじゃ聖女様。あの路線に進んでもたぶんいいことは特にないぞ。お主は街のみんなに慕われとるんじゃから、わざわざドン引きされる方面に身を落とすでない」

「沈め……泥よ……何もかも呑み込むがいい……」

「ああこりゃ結構本格的じゃの。どうしたもんじゃろ」


 だが、そう言いつつもわしにはまだ幾分かの冷静さがあった。

 聖女様の闇落ちにレーコほどの重篤さを感じなかったのだ。端的にいえば迫力が足りない。

 アリアンテが魔王軍の一員を騙ってしばいてきたときの方がまだ恐ろしかった。


「とりあえずレーコのとこ連れてって説得してもらおうかの。尊敬対象から注意されれば目も覚めるじゃろ」

「ククク……我が泥中にもがくのだ愚かなる人間ども……」


 わしは聖女様の服の首元を口の端にくわえて、吊るしたまま街への扉をくぐった。

 扉の境界に脚を踏み込むや、ぐんと吸い込まれて噴水のごとく泉から身体が飛び出る。危うくくわえた聖女様を放してしまうところだった。


「あいたっ」

 べちゃりと着地する。泥まみれになった地面が柔らかくて助かった。

「見るがいい……この深淵の泥濘を……貴様の身を地獄までの道連れとしよう……」


 わしは足元を確かめる。

 普通の泥である。聖女様がいうほどヤバい代物ではない。わしの巨体の重みをしてなお、完全に沈むことはない。

 じっとしていると少しだけ沈むが、足を一歩踏み出せば普通に脱出できるほどだ。粘り気も大したことない。

 ただ、自力で動けない建造物には少々の被害が見られる。ある程度の深さで沈下は止まっているが、傾いた民家は床下までの浸水を免れないだろう。修繕の費用が嵩みそうだ。


 わしは聖女様を地面に置く。聖女様は自立せずにそのままぱたりと泥に半身埋めての横倒しになった。

「なあお主。ノリでこんなことしちゃいかんよ。作物だって植えたばっかりじゃろ。こんな風に泥まみれにしちゃ根腐れしてしまうって」

「すべては地底の闇に沈むのだ……」

「あっ、やっぱり駄目じゃな。しかたない」


 わしはそこそこに息を吸いこんで、近くを見回しながら適当に呼びかけた。


「おぉーい。レーコー。どこぞにいるならちょっと来とくれー」


 その瞬間、街の外れの方面で、巨大な漆黒の翼が宙に広がった。

 音速を遥かに超えた飛翔。衝撃波が生んだ雲の輪を軌道に曳いて、翼の持ち主が瞬時のうちに近寄って来る。


「ただいま馳せ参じました邪竜様」


 背に翼を畳んでレーコが跪く。

 これからは迂闊に呼びつけるのはやめようと、わしは固く心に誓った。


 聖女様の矯正を頼もうかと思ったが、それよりもまずわしは気になっていたことを尋ねる。


「ああ、えっと。とりあえずレーコ。わしがおらん間に変わったことはなかったかの?」

「この泥を除けば、他は特にありません。子供たちと遊ぼうと鋭意努力しておりました」

「あ、そうなの。よかった。どんな遊びをしようとしてたんじゃの?」

「ドラドラという大人しいドラゴンを探していました。子供たちが餌付けをしたがっていたようなので」


 わしは全身から冷や汗を噴き出した。


「あ、あぁー……。うん。で、どうじゃの? 見つかりそうかの?」

「既にそれらしきドラゴンを確保しております」


 一体、どこのドラゴンさんが冤罪で捕まってしまったのだろう。

 とにかくごめんなさいとしか言いようがない。


「首を斬り落として頭だけを餌付けごっこに使おうとしていたのですが――その折に街がこのような事態になりまして。遊んでいる場合ではないと一旦中止した次第です」

「すごい遊びじゃのう。邪教の儀式かのう」


 平静を心がけつつも、わしの脚は小鹿のようにガタガタと震えている。

 首だけを玩具にされる光景は、一歩間違っていた場合のわしの未来である。

 中止されたみたいで本当によかった。後でちゃんと捕まったドラゴンさんの心のケアをしないと。


「ところで邪竜様。そこに置いてあるのは聖女ですか」

「あ、そうそう。この子のことでお主に頼みたいことがあってね」

「分かりました」

「短剣をしまいなさい」


 全然分かってない。明らかにトドメを刺すつもりだ。


「なんというかの、この子はお主のことを尊敬――もとい、友達になりたがっているようでの」


 レーコはすごく嫌そうな顔をした。

 憮然として、頬を少し膨らませている。


「考えられません。この女は邪竜様を何度も愚弄しました。許せません」

「まあそう言わんの。邪竜の眷属としては器の大きさも重要じゃよ」

「……そういうものですか」


 どうにか頷いてくれた。

 これで、レーコから説得してもらおう。「怖く振る舞うばかりが真の魔物ではない」とかそれっぽい話をしてもらえば目を覚ましてくれるだろう。


「ですが邪竜様、今この聖女は操られているようです。聞けば魔王軍の幹部――心を操る魔物が、聖女に憑り付こうとしていたとのこと。聖女の精神に異質な魔力が宿っているのが感じられます」

「え」


 操られている?

 寝耳に水の情報にわしは当惑した。

 待て。確かあの豹変っぷりは異常だった。レーコという前例があったせいで麻痺していた。

 あのとき飛んできたバッタの魔物――あれがもしかして、聖女様に幹部とやらを運んできたのだろうか。


「邪竜様もそれは感じておられたはず。なぜ、魔王軍の幹部を見逃して聖女に憑りつかせたのですか? やはり一網打尽に処分するおつもりで?」


 まずい。確かにレーコからすれば解せないだろう。

 邪竜レーヴェンディアともあろうものが、魔王軍の幹部の謀略を見逃して街を泥に沈めてしまうなど、決してあってはならない失態だ。


「――やれやれ、そんなことも分からないのか? ずいぶんと鈍い眷属を持ったな、レーヴェンディア」


 突然の声に視線を向けると、近くの民家の屋根の上に腕組みをして佇んでいる人影があった。

 重装の鎧甲冑を纏い、しかしその重みを感じさせぬ身のこなし。


「貴様は」

「あ――アリアンテ? なんでここに?」

「なんで、はないだろう邪竜様」


 アリアンテは地面に飛び降りた。どういう技巧か、沼地に鎧だというのにまったく身体が沈んでいない。


「この街の警備兵からギルド経由で泣きつかれたのだ。『悪名高い邪竜が来た、救援をくれ』とな。もちろん、お前が人間を害するつもりがないのは知っている。だが、伝令でそう伝えた程度では警備兵たちの不安は拭えまい。なので私が直接、彼らに話をするためやって来たというわけだ」


 喜べレーヴェンディア、とアリアンテは繋いだ。


「お前にかけられていた懸賞金も、一時的に凍結される見込みだ。人間と協力体制にある者に対して、首に値をかけては無礼千万というものだからな」

「ふん。元より人間ごときに狩られる邪竜様ではない。その程度で恩を売ったつもりか」


 わしの心は踊っていた。

 今日はいい草が食えそうである。


「あ――そうだアリアンテ。よければお主の方からレーコに説明してやってくれんかの。この件に関するわしの考えを」


 まったくいいタイミングで助け舟が来てくれた。

 正直、言い訳できる気がまったくしなかったのだ。場合によってはレーコの推測どおり聖女様ごと魔王軍の幹部を「一網打尽」にするハメになっていたかもしれない。



「えっ」



 しかし、アリアンテが漏らした一言は絶望的なそれだった。


『えっ、じゃないわい。なんか考えて助けに来てくれたんじゃないのお主?』

『一瞬だけでも考える時間を稼いでやったんだ。今からでも考えろ。早く貴様の無能を誤魔化さないと新しい邪竜が爆誕するぞ』

『ムリムリムリ。だってもうわし頭の回転鈍くなっとるし』


 一瞬の間に、目線だけでこういうやり取りが展開された。

 レーコの機嫌は目に見えて斜めになっていく。わしとアリアンテだけが分かる風に意思疎通しているのが気に食わないのかもしれない。


「邪竜様。よろしければ私にもお考えを教示していただきたく思うのですが――」


 アリアンテが神妙な顔で親指を立てた。グッドラックとでもいうつもりか。恨んでやる。


 こうなれば「お主が自分で察してこそ価値がある」とかの方便でいくしかない。

 もしかすると今までみたいに勝手な解釈で暴走してしまうかもしれないが、背に腹は替えられない。


 わしが口を開きかけた、まさにそのときだった。


「おおいみんな! 喜べ! 聖女様のお恵みだ! ゆうに百年ぶりの泥祭りだ!」


 わらわらと建物から街の人々が飛び出してきて――誰も彼も、泥地で歩くための幅広下駄を履いている――やいのやいのと喝采を上げ始めていたのだ。


 呆然とするわしらの近くを一人の住民が通りがかった。

 どこぞの酒場から飛び出してきたのか、酒樽を両脇に抱えており、茹でタコのように真っ赤な顔をしている。そしてガハハと笑いながら聖女様を見て、


「おう、そこに倒れてるお姉ちゃんももう飲み始めてんのかい? これから長いんだからあんまり急ぎすぎるなよ。なんせお恵みの泥が湧くなんて、爺さんの代以来だからなあ。祭りの積み立て金もドッサリだし、みんな一晩や二晩じゃ興奮が収まりきらないってもんよ」


 そうして、千鳥足で泥を跳ねたてて街を駆けていく。元のサイズに戻ったわしを見ても動じないあたり、よほど酔っているか浮かれているか、もしくはその両方だろう。


 どこからともなくドンドコピーヒャラと楽器の音まで響き始める。

 よく見れば街の倉庫のほとんどは高床式で、沼化の影響を受けていない。


「えっと、レーコ。これはね」


 言葉が続かず困っているわしの足元で、しくしくと泣き声がした。

 魔物モードの聖女様が顔を覆って涙を流していた。


「なんでぇ……私が頑張って沼を作ってるのに……周りを耕さないでよぉ……泥を勝手に持ってかないでよぉ……人を沈めるための特製の泥なのに……畑の土に最高とか言わないでよう……お願いだから誰か沈んでよぉ……」



 この街が生まれた経緯と、聖女様がこうなった理由が、だいたい分かった。

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