いざ冒険者の街へ
――で、これってどこに飛んどるの?
と尋ねることには多大なリスクが伴っていた。
思い込みだけで魔法が使えるようになっているレーコである。仮に空中で思い込みが解けたとしたら、とんでもない悲劇となるのは自明のことだった。
邪竜にあるまじき自信のない態度を取っていては墜落の可能性が急上昇する。
というわけで何も言えぬまま、黒翼を背中にくっつけてバサバサと羽ばたき続けている。
かといってこのまま放置していたら強行軍で魔王の本拠地にまで飛んでいくような気もした。
場所はどこにあるか知らないけれど『邪竜の千里眼』とか適当なこと言って探知し始めそうなノリだし。この娘なら本気でやりかねない。
だから、それとない会話で行き先を誘導するように心がけた。
「レーコよ。正直に申すとわしの力は往年よりも衰えている。隠居しておったゆえ、戦の勘も錆びついた。反対に魔王はその力を充溢させ、方々に軍勢を伸ばしている。今すぐに衝突しても勝ち目は薄かろう」
「やはり魔王とは邪竜様をしても一筋縄ではいかぬものですか」
「うむ。だが、それが好機でもある。行き過ぎた支配は反発を生むもの。人間の中にも魔王に抗おうとする者は数多くいよう。わしは彼らと手を組もうと思う」
「……なるほど。邪竜様には遠く及ばぬ者どもとはいえ、数が揃えば確かに戦力にはなりましょう」
「故に、まずはそうした戦士の集う街を探す。わしは今の人間界には疎くてな。よさそうな街を案内してはくれんか」
「承知しました。私も世間のことはほとんど知らないのですが、邪竜様の命とあらばいかな場所だろうと探し当てましょう。――開け第三の目『邪竜の千里眼』」
ネーミングまで見事に正解。わしもだいぶこの娘の癖を掴んできたようである。
となると、この路線で誘導して正解だった。何もしていなかったら当初の予想通り魔王の本拠地へ一直線だったはずだ。
「見えました。ここから北東に向かうとペリュドーナという名の、冒険者の集う大規模な街があります。なかなかの手練れも多いですが、城壁に囲まれた要塞となっており、関所の審査はかなり厳しいようです。また、周囲に比べて安全な分地価や物価は高く、商人ギルドはそれを利権としてモグリの行商や闇市の排除に躍起になっています。一方で、街に繁栄をもたらしている冒険者ギルドが蔑ろにされているのではないかという不満から、近年では冒険者が公然と主催するバザールも開かれ、街は商人派と冒険者派で二分されている状態です。近年の問題としては地下水路の老朽化に伴う水質および衛生状態の悪化が挙げられ、医療系の白魔導士や水質浄化に詳しい錬金術師が遠方から招かれていますが、地下水路の抜本的な改築工事は未だ成されていません。というのも、地下水路の環境を整備すると、そこが魔物の侵入口になりかねないという懸念がかねてから噂されており……」
「そのへんでええよ。場所探るだけかと思うとったら本当に千里眼なのね」
「出すぎた真似をして申し訳ありません」
「いやいや構わんよ。しかし、物価が高いのは憂いの種じゃのう。こんなことならば村でちょいと金を恵んでもらえばよかったわい」
「それでしたら心配ありません。この宝石の短剣がございます。売り払えば相応の価値となりましょう。ライオットの家の家宝ですから」
え、とわしは声を鈍らせた。
「家宝って、ええの? いや、元からわしへの捧げ物に持ってきたならええのかもしれんが――」
「捧げ物ではありませんが、構いません。魔を祓う力があるということで、私が生贄にされる前にライオットが『これで邪竜なんか刺して逃げろ』と握らせてくれやがったのです。そんな不敬な意図で託された短剣など金銭に換えて何ら問題ありません」
「それなら返してくりゃよかったのう。売るのはやめようかの。バチが当たりそうじゃ」
それに、なんだかんだ肌身離さず持っているところからして、本心では友の形見として大事に思っているのかもしれない。ライオット死んでないけど。
「ま、ともかく行ってみようかの。そこでレーコには一つ頼みがあるんじゃが」
「何なりと」
「わしが邪竜と称して冒険者の街なんか行ったらまず間違いなく袋叩きじゃろ?」
「――そして五秒で街を灰に」
「せんから。そんなことするなら街に行った意味がなかろうよ。わしのことは、あくまでお主の使い魔ということで通すがよい。お主は竜遣いの魔導士と名乗って穏便に仲間を集うのじゃ。よいな?」
「わ、私が邪竜様の主を演じると……?」
会ってから初めて、レーコの声に動揺の響きが混ざった。
「そうじゃ。できるな?」
「ま、真に申し訳ありませんが、私は誰かの上に立った経験というものがないのです。ましてや邪竜様を使い魔などと扱うのは畏れ多くてとてもできません」
「そう気に負う必要はない。話しにくければ敬語のままでもよい。ただ、必要以上にわしを持ち上げるような態度を控えればよいのだ」
ここに、わしの真の狙いがあった。
冒険者に混じって常識を学ばせつつ、邪竜扱いをやめさせることでだんだん違和感に気付かせていく。
しばらくを平和に過ごせば、憑き物も落ちてまともになるかもしれない。そうなったらレーコの身柄は冒険者ギルドに預かってもらえばいい。才能は抜群なのだから。
「……努力はしてみます。足らぬ点があればどうぞご容赦を」
「珍しく自信がないのう」
「はい」
ともかく策は上手くいったようで、自然と翼は北東に針路を向け始めた。
このまま計画が順風満帆にいけば意外とすぐに呑気な山暮らしに戻れるかもしれない。
「そういえば邪竜様。さきほど、街の情報をお伝えするときに少々言い忘れたのですが――」
「ん? あんまり細かすぎる情報はいらんよ」
「そうですか。では到着した折にでも」
そのまましばらく飛び続けた。
すると、広大な原野の中に、石造りの円い城壁で囲まれた都市が見えてきた。
夜中だというのにひどく明るい。
田舎の寒村と違って、人々が集う街というのは夜にあってかくも面妖な光を放つものなのか。
いや。
違った。
「あの街、めちゃくちゃ燃え上がっとるよね!? あれ民家の光じゃなくて炎じゃよな!?」
「はい。強力な魔物の襲撃を受けている真っ最中です」
「街の水質事情よりもそっちを最優先で教えて欲しかったなー、わし」
近づけば近づくほど阿鼻叫喚の悲鳴が聞こえてくる。
街の上空では人面の怪鳥が無数に舞いながら高笑いしていて、城壁の内では何やら白い異形の化物が住民を襲いまわっている。さながら地獄絵図だ。
「いかがなさいますか邪竜様。ここは静観して、生き残った手練れのみを選別するのも策かと思いますが」
「お主って息をするように怖いこと言うよね」
「では、やはり救援に行くのですね」
「わし、乗せられちゃったのかな」
黒翼がはためいて街の上空へ旋回する。一見するとわしが飛んでいるようだが、実際にやっているのはレーコである。止めてくださいと切に思うが、もうどうしようもない。手綱のない馬車の方がまだ止めようがあるくらいだ。
わしは死にそうなほどの焦燥を押さえて言う。
「レーコよ。よいか。この戦いにおいてわしは、非力で主人なしには何もできない駄ドラゴンを演じる。それを上手く駆って、竜遣いの魔導士らしく戦ってみるがよい。それができれば街の者にも自然と受け入れられよう」
返事はなかったが、ぎこちなく頷いている感じが何となく伝わってきた。
今はどうにか乗せておかないと街の人々もろとも消されてしまう。
すぅっ、と背中で深呼吸する音が聞こえた。
次の瞬間、短剣からの斬撃が夜空に大きな光の爪痕を曳いて、人面怪鳥の群れを塵すら残さず一掃した。
竜遣いの要素ある? とわしは思った。