遥かに恐ろしいもの
「惑わされるな! どうせ街を襲いに来たに決まっている! 撃て!」
後列で指揮を取る騎馬弓兵が叫ぶと同時に、象の魔物に向かって大量の矢が放たれた。
以前に訪れた冒険者の街と違って、ここには腕利きの者が少ないらしい。あくまで「それなりに訓練された」程度の矢の威力だ。
とはいえ、彼らも力不足を自認しているようである。
三頭象に相対しつつも、常に退却の手を意識しているのが見える。緩く散らされた隊列は、敵に攻撃の的を絞らせぬとともに、互いの退路を塞がぬ形でもある。
おそらく、飛び道具で多少なりの手傷を与えて、形勢が不味くなれば聖女の守護がある街へと逃げ込むつもりなのだろう。
「だから――自分は戦うつもりはないと言ってるッス!」
だが、その戦術が有効なのは一撃離脱でダメージを与えられる相手に限る。
三頭象は、風車のごとく回転させた三本の鼻を盾とし、襲い来る矢を空中ですべて叩き落としてしまった。
そのまま得意げに鼻を振って、
「はっはっは。見たッスか。自分、これでもなかなかブイブイ言わせてたクチなんッスよ。力の差を分かってくれたなら、落ち着いて話を聞いてくれると――」
「何をしに来た。邪竜様に立てた誓いを破って、性懲りもなく人の街を襲いに来たのなら、この私が容赦しない」
その時点でレーコは既に、象の頭の上で短剣を突きかざしていた。
不穏な動きを見せれば三つの頭すべてを刹那のうちに斬り落とすことができる姿勢だ。
「申し訳ないッス。自分、ちょっと調子に乗りましたッス」
「分かればいい。で、何をしに来た」
「それより眷属の姐さん。また矢が飛んで来てるッスけど」
「そう」
レーコが軽く手を振ると、矢がすべてあさっての方向に吹っ飛んだ。
そこでようやく兵士たちはレーコが象の上に立っていることに気付いたらしく、一様に愕然とした表情を浮かべていた。
「流石は眷属の姐さんッス」
「下手なお世辞はいらない。私は今、邪竜様から力の行使を禁止されている。眷属としては無力にも近い状態。こんなのは何の自慢にもならない」
「あ、そうッスか。自分、なんかさっき調子に乗ってたのが超恥ずかしいッス。忘れて欲しいッス」
三頭象が恥じらう様子を見せていると、兵士たちが口々に叫んだ。
「そ、そこの君! 危ないから早くその魔物から離れなさい!」
「無理ですよ。きっと人質にされてるんです。おのれ、何と卑劣な――」
「待ってろ! 今助けるからな!」
「みんな落ち着け。あの子供、見た目は普通の女の子だけどあの邪竜レーヴェンディアの部下だぞ」
なぁんだ、なら安心じゃん。という安堵した雰囲気が兵士たちの間に広がり、ややあってから全員が凍ったように硬直した。
「だったら逆に駄目じゃないか! 邪竜がとうとう部下の魔物を呼んで街を潰しに来たんだ!」
「く、僕たちの命運もここまでですか……おのれ邪竜め……」
「俺はやるぞ。ここで立ち向かって真の力に目覚めてやる」
「やめとけどうせゴミみたいに無駄死にするから。逃げて聖女様に守ってもらうしかないだろ」
レーコは憮然としたまま兵士たちの話を聞き、
「いけない。とてもいけない。邪竜様が誤解されてしまっている。邪竜様はこの街を害するつもりはないというのに」
「邪竜の大親分は優しいお方ッスからね」
「優しいだけではない。優しさと厳しさを兼ね備えつつ、無尽の徳に溢れ、あらゆる存在を魅了してやまない偉大なるお方だ。よく覚えて心に刻み付けろ」
「はいッス」
「分かったなら首を出せ。お前をこの場で処刑とすることで、邪竜様とは無関係だということを証明する」
「眷属の姐さんに邪竜の大親分の優しさは受け継がれていないみたいッス」
「そんなことはない。苦しませずに一発で仕留める優しさは持っている。だから暴れるな、暴れると急所を外しかねない」
暴れまわって逃れようとする三頭象の首根っこを、レーコは片手で鷲掴みにする。
もう一方の手で短剣を振りかざして脳天に狙いを定めるが――思い直して鞘に納めた。
「あ、あれ? 見逃してくれるんスか?」
「お前の言うことも一理ある。確かに邪竜様に比べて私は狭量かもしれない。今日もそのことでお叱りを受けてしまった」
「ああ、だからさっき力の行使を禁じられてるとか言ってたんスね。ぶっちゃけ自分からしたら全然禁じられてる感がなかったんスけど」
何を言うのだろうか、とレーコは思う。
竜の眷属としての能力である『爪』も『翼』もその他もろもろもしっかり自重しているではないか。邪竜様の加護を受けてちょっぴり身体は強くなっているが、誤差の範疇である。
「まあ、話を聞いてくれるなら何よりッス。実は自分、つい先日までこの街を攻め落とそうとしておりまして」
「やはり」
「話の途中で首筋に冷たいものを当てないで欲しいッス。邪竜の大親分なら広い度量で最後まで聞いてくれると思うッス」
「それならもう少し話を聞く」
ちなみにこの会話の間も兵士たちは喧々囂々の議論を交わしていたが、特に興味もないので放っておいた。
「というのも、自分こう見えて魔王軍の一員だったんスよ。下っ端の下っ端ッスけど。ああ違うんス、過去形ッス。今はもう魔王なんかじゃなくて邪竜の大親分に忠誠を誓ってるッス。会ったことないけど、魔王なんてきっと陰気で人望もなく邪竜様の足元にも及ばない奴と決まってるッス」
「ならいい」
「んで、街を守ってる聖女の結界の破壊工作をしてたんスが、これが厳しいんッス。ここの聖女はめちゃくちゃ強くて、生半可な魔物じゃ追い返されてしまうんスよ。自分も水路に近づくのが精一杯でしたッス」
「あんな雑魚を相手に情けない。私たちは簡単に通れた」
レーコは多少なりの抵抗を感じたが、邪竜様に至っては障害とすら感じていなかったようである。
「お二人は規格外ッスから。で――自分がここに来たのはっスね、今までのお詫び行脚というか、注意喚起というか」
「注意?」
そうッス、と象は頷いた。
「実を言うとッスね、自分も最近知ったんスけど、ここの聖女って魔物なんスよ。底なし沼の化身みたいな感じの。それがどういうわけか、泉を湧かせて人間と共生してるわけッス」
「侮らないで欲しい。私も邪竜様もそんなことはお見通し」
「あ、知ってたんスか。なら話は早いッス。魔王軍の奴らも遅まきにその情報を掴んで、ある作戦を立案したみたいなんスよ。それが――」
「六牙象、ずいぶん人間と仲がよくなったようだな」
ばさり、と上方から羽音がした。
レーコは空を見上げる。朝の太陽を背に遮って、巨大な身体を宙に舞わせている者がいる。
銀の鱗に覆われ、鋭い角と牙を持つ――竜だ。
街と兵を嘲るように見下ろしてから三頭象に視線を向ける。だが、象は動じなかった。
「嘆かわしい。なんと嘆かわしい。我々、誇り高い魔族ともあろうものが、人間の軍門に下って情報を吐こうとは」
「……先輩ッスか。そうなんスよ。自分、これからは人間と仲良くすることにしたんス。だから作戦もぶっちゃけるつもりッス」
「そんなことをこの俺が許すと思うか?」
「許さないとは思うッスけど、自分は先輩より遥かに恐ろしいものを知ってしまったんス」
「抜かせ!」
銀のドラゴンが激昂して飛来してきた。
三頭象は立ち竦み、兵士たちは悲鳴を上げて逃げ惑う。
レーコはドラゴンを観察しつつ、ぼそりと呟く。
「これが、ドラドラ……?」
あまり大人しそうにも賢そうにも見えなかったが、とりあえず子供たちのためにも生け捕りにしておこうと、短剣は納めて拳を握った。
朝の街に、胸のすくような清々しい殴打の音がこだました。




